以前にも何度か書いているが、当地では「かなり宇宙的にぶっ飛んだ」
夢を見ることがしばしばある・・アルナーチャラの巨大なエネルギーが潜在意識に働きかけてくるからかな?と思うわけでもあるが。
明け方にうとうとと見ていた夢はさほど「宇宙的」ではなかったが、なかなか興味深いもので、アシュラムのマザーシュラインの地下が巨大な宇宙戦闘機の複座コクピットになっていて・・・といってもどこかそれは普通の旅客機のキャビンと大差ないのだが、そこにグループで座って操縦するような感じ。
でスクランブルが掛かってそれぞれの配置につき飛び立つのだが、「今回は予定外のフライトのため全体の操縦はこちらで行うので、諸君たちは操縦桿を握る必要なはい」と機内放送?があって、つまり我々は「訓練生」みたいな感じである。
インド上空を垂直上昇して1回転すると、どうやらそこは南米らしい(実際には地球上でのインドの反対側に南米大陸の北の方が位置する)。そこに着陸して、そこから地上訓練・・といってもサバイバル・キャンプみたいな内容。
・・・と記述していくと取り留めのない展開だが、最後の方で私ともう一人が「今ここで展開している事象は、すべてヴァーチャル・リアリティ(仮想現実)なのではないか?」と疑問を抱き、この状況・・というかこのSF的な状況をコントロールしている「上部組織」に反逆を試みるため、グループが乗って基地?へ向かっているバスを乗っ取り、さあ、このあとどうなるのか?
・・というところで目覚ましのアラームが鳴った(笑)。
まあ話の肝としては、夢という一種の仮想リアリティの内部にあって更に「この状況は仮想リアリティ」なのではないか?・・・と感じている点であろう。
おそらくは誰しも、「夢の中で『夢を見ている』ことに気づく」ことがあることだろうが、さて「目覚めた後」で「ああ、今のは『夢を見ている夢』だったのか」と安堵したら、それも夢だった・・・みたいな無限に連鎖する悪夢?をみた体験のある人もいることだろう(私もある)。
しかしようやく本当に目が覚めてベッドから起きあがって一日のルーティーンが始まり「現実生活」のレベルに戻っても、「我々が生きているこの現象世界自体が巨大なマーヤ(幻)である」・・というテーゼが、ある種のインド哲学の基本認識の根底にあるわけで、
まして南インドの聖地のアシュラムで起居していると、「今自分がどのレベル&グラデーションの『現実』を生きている」のだろうか?・・とますますこんがらがってしまうのですなあ(笑)
さてではこの無限に続くような構造の中で、一貫して「それを見ているのは誰か?」、そして展開している状況ではなく「展開されている構造」を突き抜ける・・というのが重要なポイントなのだが、まあそれを象徴するようなベタな内容なのであった。
・・・とこの話は「前振り」のつもりだったが、いつの間にか本題みたくなってしまったではないか?
まあそもそも「解脱」だの「悟り」だの・・というものは、この「無限構造」である現象世界を見切って「真に目覚める」ことなのであるらしく、「霊性の道」なるものも、つまるところそれがゴールというわけではあるらしい。
・・が故に、アシュラム生活なんぞをしている身分にとっては、なるほどそれこそが「本題」に相応しい・・・はずではある。
しかしまあ真っ当な修行者であるならば、そこら辺の認識については全く疑うこともなく日夜それに専心しているわけであるが、「出来の悪い」奴(今回は5番弟子じゃなくて私自身の事であるが・・笑)は、その
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「解脱」・「悟り」とは、この「無限構造」である現象世界を見切って「真に目覚める」ことであり「霊性の道」のゴールである。
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と言うこと自体をも「疑って」かかるわけなのである・・・いや、ここはまあ妥協して? そのテーゼは(とりあえず)真理だということにしても、もう一つの疑問の方はそうそう簡単には払拭できない。
それは・・・
「私は果たして本当にそれを・その道を目指しているのだろうか?」
という大疑団なのである。
・・・ううむ、ますます書こうと思っていた本題から離れて行くではないか?
というわけでこれまた次回・・・には続かないかもしれない、「本題」ではないざんすからね、わははははは・・・・・!!!!!
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