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2016年07月13日19:32

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「シアター・プノンペン」をきっかけに考える。憎しみは何も生まない。マンデラは偉大だった。

7月2日(土) 岩波ホール」
「シアター・プノンベン」(ソト・クォーリーカー)
一人の娘がひょんなことで、クメール・ルージュ大虐殺時代の混乱で最終巻が失われた映画に、若き日の母が出演しているのを発見する。それを手繰る中で浮き上がる歴史の悲劇と、男女の愛憎・嫉妬。ミステリー仕立てではあるが、その真相はよくある展開で新味はない。ただ、終幕のすべてを許そうとの、東洋的な寛容と安寧の心に、私は感銘した。(よかった)


 憎しみの連鎖は何も生まない。アパルトヘイトが平和裡に収束したのは、ネルソン・マンデラ大統領が、報復を厳しく禁じたからだ。

 日中関係、日韓関係が、今は最悪だ。ただ、日韓条約締結時には韓国側が日本の過去を許し、日中国交正常化時にも周恩来・毛沢東はすべてを水に流した。日本は謝罪の意味も含め経済援助をしたはずである。そこを無視して過去を蒸し返せば、日本も排他的、戦闘的にならざるをえまい。

 他国のことをあげつらってばかりでもいけない。日本も、原爆投下された被害者意識を、声高に叫び過ぎるのもどうかと思う。戦争には両国の立場があり、一方的な被害者は存在しない。

 日本人の多くは、原爆が戦争を早期終結させたとのアメリカの意見に、ヒステリックに過敏に反応する。だが、「父親たちの星条旗」を観れば、アメリカ側としては、何で遠くの極東までいって戦争を継続し、アメリカ人がバタバタ死ななきゃいけないのとの心情が、よく判る。

 さらにクリント・イーストウッドは、両方の眼から見るべきだとの観点で、日本人がなぜあれ程に頑強に抵抗しアメリカ兵を殺しまくったかを「硫黄島からの手紙」で描いてくれた。思い返すに、クリント・イーストウッドは凄い仕事をしたものだ。

「シアター・プノンベン」の歴史の悲劇の描き方は、ルーティンで平凡だが、女性監督ソト・クォーリーカーらしく(この言い方もセクハラかな?)「すべてを許そう」との、憎しみは何も生まない点を指摘した素晴しさがあった。

 そう言えば私には、原発反対派の人は憎しみに溢れている方が多いような気がするが、偏見かな?人は、自分を正義の味方の立場においた瞬間、悪魔と断じた物に対して憎しみを倍加させるみたいである。


7月6日(水)
 シネマヴェーラ渋谷  『ジョージ・キューカー、映画を語る』刊行記念
             ジョージ・キューカーとハリウッド女性映画の時代
「フィラデルフィア物語」(ジョージ・キューカー)
アル中で時に記憶を失ってとんでもないことをやらかすキャサリー・ヘップバーンを巡っての、離婚・再婚劇のてんやわんや。上流階級と成り上がり者の関係とか、セレブのスキャンダル狙いのジャーナリストとかの社会性も付加しているが、他愛のない恋のサヤ当てドラマ。でも、キャサリンを中心に、ケーリー・グラント、ジェームス・スチュアートのスターのオーラが、魅せる物に仕上げている。(まあまあ)

【シアター】イメージフォーラム
「シリア・モナムール」
       (オサーマ・モハンメド ウィアーム・シマヴ・ベデルカーン)
アラブの春から民衆蜂起、そして内戦へと至ったシリアの現状を、SNSに流れた1001人からの映像をコラージュした作品。デモ・弾圧・拷問・戦闘・累々たる死体の山etc…。かつて白日の下に晒されることのなかった映像の乱打。「首相官邸の前で」と同様に21世紀でなくては創れない映画だ。後半は、亡命男性監督と、現地の女性監督が捉えた映像に被せて、二人の独白に近い言葉の交換。「夜と霧」を思い出させる鮮烈の映像詩だ。ただ、偏ってもいいから「首相官邸の前で」のように、強烈な政治的主張をぶつけた方が、逆に内戦の真実を炙り出せたような気がしないでもない。(まあまあ)


7月7日(木)  立川シネマシティ

「ブルックリン」(ジョン・クローリー)
就職難のアイルランドからアメリカに移住した少女に近い若い女性。ホームシックに泣きべそをかきながら、次第に愛に出会い順応していく。そこへ家族の悲報で急な帰国。アメリカに身につけたスキルで、故郷は快適に過ごせる場になっていた。そこでも芽生えた新たな愛。二つの愛に揺れる女心をアカデミー候補のシアーシャ・ローナンは清楚に繊細に表現した。単なるラブロマンスでなく、新しい世界と住み慣れた故郷という社会的対立項にまで広げたところに、映画の奥行きが感じられた。(よかった)

「日本で一番悪い奴ら」(白石和彌)
黒い組織を摘発するために、黒い組織に嵌り込み過ぎた警官の悲劇。「ポチの告白」「笑う警官」に続く北海道警の実話の映画化だ。前2作が、利用して捨て去る組織の非情さというよくある視点(それでも「ポチの告白」は傑作だったが)なのに対し、今回は不良警官として弾けまくった綾野剛の魅力がすべて。それにしても、前作の「凶悪」といいダークなピカレスクを爽快に観せてしまう白石和彌はユニークな存在だ。底流に師匠・若松孝二の反権力の炎の遺伝子があるからだろうか。(よかった)


7月10日(日)  上野オークラ劇場

「めぐる快感 あの日の私とエッチして」(渡邊元嗣)
過去の自分にメールを送ったことにより、過去の自分が人生の選択を変える。タイムパラドックスとパラレルワールドが複雑に絡み合う山崎浩治脚本を得ての、渡邊元嗣一流のブッ飛び映画、というよりもセンスオブワンダーに溢れたSFの楽しさ。話が面白すぎて、濡れ場で進展が中断されてしまうあたりが、ピンク映画として憾みが残る。最後のタイムマシンネタギャグだけが、かろうじてピンクならではの面目を保った。(よかった)

「いたずら家政婦 いじめて縛って」(小川欽也)
嫁に身の周りの世話を頼んでいた初老のエロ作家が、夫婦旅行の留守中は家政婦に面倒を見られることになる。どうやって家政婦にエッチ行為におよぶかのあの手この手、小説の題材のためと、幻想も交えてのコスプレやSMにまで至る。職人・小川欽也の典型的な「ピンク」映画だが、私の求めるピンク「映画」とは少々ちがう。(あまりよくなかった)

 併映の「ワイセツ家族 Part1 やりまくり母と娘」は「淫乱なる一族・第一章」の新版再映。


7月11日(月)

 渋谷HUMAXシネマ
「二重生活」(岸善幸)
門脇麦の大学院生が、実存とは何か?の修士論文のために、「目的を持たない」「対象者と接触しない」を条件に、一人の男を尾行観察する。映画的な面白い素材だと思ったが、それだけで持つわけもなく、不倫の連鎖という無茶振りに至り、彼女の高校生時代の思い入れたっぷりな独白や、指導教授の親孝行とか、どんどん凡な展開に墜ちていく。完成論文も、映画の中で社会的評価を受けたほどには、大したものだとも思えなかった。(あまりよくなかった)


 下高井戸シネマ  エリック・ロメール監督特集上映 ロメールと女たち

「海辺のポーリーヌ」(エリック・ロメール)
歳の離れた従妹の二人が、避暑地のひと夏のバカンスでのダブル恋のサヤ当て。ダイアローグで恋に関する蘊蓄が連打されるいかにものフランス映画。15歳のポーリーヌまでその輪に積極的に入るあたりは、さすが肉食西洋人種フランス映画。日本人の淡白(?)な私としては、15歳の少女なら「キューポラのある街」の石黒ジュンか、「ソロモンの偽証」の藤野涼子のようにあってほしい。(まあまあ)

「満月の夜」(エリック・ロメール)
引きこもり型の男と、社交性たっぷりで男友達いっぱいの女が、何故か愛し合い同棲するも、当然波長が合わない。その恋の顛末をフランス映画ならではの情趣で味わい深く描写するが、私にはどうでもいい。淡白どころか無粋な奴と、笑っていただいても結構です。(あまりよくなかった)


7月13日(水)  立川シネマシティ

「10 クローバーフィールド・レーン」(ダン・トラクテンバーグ)
アメリカが何物かに侵略され、とんでもないことになっているようだが詳細は分からない。舞台が、この時に備えて海軍OBが準備したシェルター内で展開されるからだ。交通事故で意識不明の身を救われたヒロイン。逃げて転がりこんできたシェルター建造に関わっていた若者。この3人の密室劇として展開される。スケールの大きい話を知恵を使い低予算で巧みに盛り上げるB級の楽しさの味わいだ。と思っていたら終盤一気にヴィジュアル大作の様相となる。これを儲けたと思えないで少々ガッカリするのは、SFガラクタおもちゃ箱を楽しんだ世代の性か。実は、パニック超大作に続く「2」の予告だったのかもしれない。(まあまあ)

「TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ」(宮藤官九郎)
高校生がバス事故で地獄に落ちた。地獄ではロック大会に優勝した者が天国へ行ける。何で?理屈を言ってもしょうがないクドカンワールド。輪廻転生が7回繰り返せるとか(そのほとんどは畜生への生まれ替わりだが)、猥雑で破天荒な展開の中に、純愛とか天国への皮肉とかも散りばめたエンタテインメントである。(まあまあ)


 ここまでで、今年のスクリーン初見観賞作品は159本。

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