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2016年06月14日17:23

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『瞬花終灯(しゅんかしゅうとう)』 第三章『楓の終幕』 PART7 (完結)

  14.   

 翌日。

 桃子は銀介に朝食まで御馳走になり二人で五重塔に向かった。昨日は暗闇で全体像が掴めなかったが写真で想像していたイメージより断然小さかった。

「こういった古い塔は急に思い立っても作れないんです。木材は山で切ってもすぐに使えませんからね」

 銀介が思い出を噛み締めるようにいった。

「水につけて乾燥させて、また水につけて……。この何年もの繰り返しが湿気にも乾燥にも強い材木になるんです。特に室生寺は山の中にあるので気候が変わりやすくそういった所でも注意して作られます。建てるにしても、木の特徴を掴まないといけません」

 楓はどのようなイメージでこの塔の再建に望んだのだろう。一度崩れた塔を建て直すなんて生半可な気持ちじゃできないに違いない。

「人を扱うことも同じです。ほとんどの職人さんが楓さんよりも年上でした。初めのうちは楓さんに対して舐めてかかる人もいました。

 しかし彼は折れませんでした。職人の気持ちも汲み取って仕事を組み合わせていたんです。楓さんの熱い思いでみんなが一つに纏まっていきました。棟梁としての楓さんがいたからこそこの塔はできたんです」

 桃子はマフラーを掴んで塔を眺めた。いつの間にか自分の父親が作ったことをすっかり忘れるほど塔にのめり込んでいた。それほどこの塔には夢中にさせる何かがあった。

 この塔を作るためには楓だけではなくたくさんの職人がいたのだ。年上のものを扱うのがどれほど難しいか桃子にはまだわからない。だが自分が責任者となって先頭に立つプレッシャーは計り知れないだろう。

 楓は負けなかった、最後の最後まで全力で立ち向かったのだ。妥協のない塔の造りを見て桃子は父親のことを心から尊敬した。

 楓の木が風に吹かれながら枝をゆらゆらと動かしている。目を閉じるとその音が彼の言葉になって聞こえてくるようだ。


「どうだ、これは俺の仲間達で建てたんだぜ、凄いだろ?」


「この軒の反りがな、本当に難しかった。でも綺麗だろう。綾梅にもみせてやりたかったな」


「昔の宮大工達は凄いよ。千年という長い時を越えてこの塔を残してきたんだからな。
 だが今の宮大工だって凄いんだ。自分が作ってないものを同じように造るのは本当に難しいんだぜ? 相手の気持ちを汲み取らないといけないからな。

 桃子の次の世代の人達が見たら何ていうだろうな? やっぱりいい仕事をしているって認めて欲しいな」


 一瞬の間に心の中で父親の声が流れていく。自分には父親がいないと無意識に何度も考えていた。父親などいらないと心の中では叫んでいた。

 しかし今は違う。楓が建てた塔に誇りを感じる。自分が建てたようにこの塔に愛着を感じるのだ。
 心の中の曇りが少しずつ晴れ渡っていく。父親への強い気持ちが桃子の足を進めた。

 塔を拝見した後、奥の院にある納骨堂を目指した。石で出来た階段には所々にくすんだ苔が生えている。その両端には写真で見た石楠花があった。花はすでになく葉っぱのみになっている。きっとあの塔は春に完成したのだろう。

 階段を登っているとヒノキの皮がないものがあった。ほとんどのヒノキの皮には苔が生えているのだがこの木の皮は白くなっており表皮が剥がれている。この皮が室生寺の屋根を作っているらしい。本当に昔の人の発想は凄いと桃子は思った。

「あれはざぼんの木じゃないです?」桃子はヒノキの後ろに生えてある木に注目した。

「よくご存知ですね」銀介は大きく頷く。そういえば一度楓さんがざぼんの砂糖漬けにしてくれたんですよ。あれは美味しかったなぁ」

 桃子は胸が高鳴った。
「家でもお母さんが砂糖漬けにして食べさせてくれたんですよ。私の大好物なんです」

「ということは綾梅さんから教わったのかもしれませんね、実に手際がよかったのを覚えています」

 楓はこの木を見て家族が恋しくなったのかもしれない。そう思うだけで切ない気持ちが溢れてくる。

 ……もうすぐだからね。

 もう着くからさ、待っててねお父さん。


 納骨堂は厳かな雰囲気を漂わせながらも秋の季節に染まっていた。桃子と銀介は手を合わせ目を閉じた。

 当時の楓の姿は想像できないが、確かにここにいたという思いが自分の気持ちを熱くさせる。桃子は手を合わせて素直に心の声を届けることにした。


 お父さん、今まで来れなくてごめんね。

 本当はお父さんのことが知りたくてしょうがなかったの。お母さんとの生活でもちろん不自由はなかったよ。でもやっぱりお父さんと話がしたかった。

 仕事の話、お母さんと出会った頃の話、お母さんと結婚した時の話、私が生まれた時の話、たくさん聞きたいことがあったんだ。

 もしお父さんが五重塔を建てたのなら、たくさん文句をいって帰ってやろうと思ってたの。でもね、今は恨んでなんかいないよ。だってお父さんが一生懸命作った塔を見たら、いえなくなっちゃったよ。

 本当に凄かった。私が宮大工になってやろうかって思うくらい心を奪われちゃった。

 今ね、お父さん、私花屋で働いてるんだよ。毎日残業で給料も安いし手も荒れて大変だけどさ。

 楽しいんだ。自分が知らない花に出会った時の感動だったり、思いも寄らない花の組み合わせで心をときめかされたり。毎日が新鮮で充実してるんだよ。

 お父さんもそうだったのかな?

 きっと夢中で仕事に打ち込んでたんだろうね。棟梁としての仕事は想像がつかない程、大変だったんだろうけど最後まで見れなかったんだよね。辛かったよね。

 でもね、すごい立派な塔が建ってるんだよ。私にとっては世界一の塔です。

 すごいよ、お父さん。

 私もお父さんみたいに一生懸命頑張って、みんなから尊敬される花屋さんになるよ。

 だから応援しててね。

 お父さんが建ててくれた家は今も立派に残ってます。ありがとう。本当にいい家だよ。

 今日ここに来れてよかった。

 本当に、よかったよ――。


 桃子は目をあけて後ろを振り返った。柔らかい風に楓や銀杏
いちょう
の葉が舞い上がり、辺り一面が臙脂色と黄支子(きくちなし)色に覆われた幻想の世界へと遷り変わっていた。漂う哀愁が魂を揺さぶる。

 銀介に促されて建物の隙間にあるものを眺めた。そこにはすでに葉がなくなっている一本の木があった。木の下に立札があり種蒔きの日付が書かれていた。

 その日付は建物が完成した一年後だった。

 ……なぜ一年空いているのだろう?

 疑問に思い立札の字をよくみると納得がいった。その文字は長年見慣れたものだった。

「……桃子さん、これを」

 銀介の方に振り返ると封筒があった。中を開けると細い筆で書かれた手紙が二枚入っていた。一つの表題には『一家団欒
いっかだんらん
』と書かれてある。楓の字と同様力強い字体だ。
 しかも、この字は片時も忘れたことがない。

「一通は楓さんの手紙です。もう一つは……その木の種を植えた方からのものです」

 ……そんな、そんなことが。

 桃子がたじろいでいると銀介が促した。

「私のことは構わずに。どうぞお読み下さい」

 桃子は頷き手紙を手に取った。

 まさか、こんな所で再会できるなんて―――。

 桃子は涙を抑えながら字を追った。

  15.

 思いつきで桃子に手紙を書こうと思ったんだけど、なんて書いていいかわからないね。いつも短い字数しか書かないから読みにくいかもしれないけど、そこは我慢して読んで下さい。

 最後だけ読むとかしないでね、本当お願いだから。


 これを書いている時の桃子の年齢は三歳です。

 今の桃子は何歳になってるのかな?

 もしかしたら、修学旅行の間に抜けて見に行ってるかもしれないし結婚してるかもしれないね。もしかしたら私が死んでからおばあさんになって読んでるかもしれません。

 奥の院にある桃の木はもう見ましたか?

 私がここに来た記念に楓のお守りから種を抜いて奥の院に植えました。銀介さんにきつくいっておいたから順調に育ってると思います。お守りの中が寂しくなったので代わりに梅干の種を突っ込んでおきました。今日食べたおにぎりの具が偶然にも梅干だったのでちょうどよかったです。楓もあの世で泣いて喜んでいるでしょう。

 まあ、冗談はこのくらいにして……本題に入ります。


 この手紙を読んでいるということは桃子の意志で来たことは間違いないですね?


 私はこれから楓に関わるものはできる限り処分しようと思います。楓の意思を受け継いで桃子には何も話さないつもりです。

 彼は塔の事故を連絡しなければそれで済むと思っていたようですが、もちろんそんなわけには行きません。

 現場責任者がいなくなれば警察が動くからです。それでも彼は私との約束を守ろうとするため、敢えて写真だけを自宅に寄越しました。そして私と桃子のために自分の気持ちを添えた手紙をここ、奥の院に預けることにしたのです。

 本当に不器用な人です、そんな嘘をついてもすぐにばれるというのに小細工を施すことを止めません。そこがまあ可愛い所でもあったんですが、それが最期というのは二重の意味で残念な人でした。まあ、楓らしいといえばそれまでなのですが。

 だから私もここに私の本心を残そうと思います。もちろんこの先を読むかどうかは桃子が決めて下さい。別に読まなくてもいいです。私が残したいから残すだけですから。


 楓はね、本当に頑固で建築バカでした。私が認めるんだから間違いありません。昔からデートしてても、映画見てても、遊園地に行っても、Hしてても建物の話しかしない人だったんです。

「あの建物、どうやって出来てるんだろう」

 それをいうことが彼の日課でした。

 頭、おかしいでしょう? 私みたいな美人が付き合ってあげてるというのにです。
 その度に蹴りを入れてやったけど結局直りませんでした。その頑固さに惹かれたんですがやっぱり失敗だったと思います。桃子には申し訳ないと思うけど運が悪かったと思って諦めて下さい。

 ここに来てからわかったことが一つあります。楓が京都から奈良に移った時に連絡をしなかったのは親方の差し金だったということです。何でも家族が現場に来たら気が散るし棟梁としての威厳がなくなるといわれたみたいです。

 その話を常盤さんから聞いている時、私の頭には大きな文鎮が頭に浮かびました。目の前にあったら間違いなくそれで殴っていたと思います。それくらいハラワタが煮えくり返りました。蹴りの一発ですんだのは奇跡としかいいようがないでしょう。

 私がここに来れたのは常盤さんが手紙をくれたからです。写真だけの手紙が届いた後、彼から室生寺の住所が届けられました。

 なので桃子の近くに常盤さんがいたら一発、蹴りを入れて下さい。文鎮があればなおいいです。お母さんの代わりに一つお願いします。桃子が大人になっている時に常盤さんが生きていればの話ですが。


 五重塔は拝見しましたか?


 私は建物のことはよくわからないけど感動しました。楓が途中で亡くなったと聞いた時には本当にくやしい思いをしました。でも、だからこそ、この建物ができたんじゃないかな。

 本当に考えられないような苦労があったんだと思います。年上の人を動かすには理論じゃなくて心が強くないと誰もついて来ないだろうしね。

 その点では楓は満点です。子供の添削で使うようなグルグル巻きの花びら付きの花丸です。桃子にはまだあげてないけどこれからたくさん練習して貰うから、取っていることでしょう。


 桃子は今、何の仕事をしていますか?


 これが一番気になります。私の予想では料理人だと思います。ざぼんの砂糖漬けを食べている時の桃子の目、すごく輝いています。口の中に砂糖漬けが入っているのに、私が手に取るとまるでハンターが獲物を狙うような眼で睨んできます。私が食べようとするとそれを遮ります。

 正直に書かせて貰うと、実は二つに分けて作っていました。桃子用と私用の分です。今頃顔を真っ赤にしてこの文章を読んでいるでしょう。その光景が簡単に目に浮かびます。

 余談ですが、ざぼんという字は「朱欒」と書きます。欒という字は「糸」の間に「言」という字が入ります。これはおしゃべりを表すみたいです。

 私達、家族は三人で言葉を交わすことができませんでした。それでも私は幸せです。これを桃子が読んでいるということは初めての団欒ができているということです。普通の家族じゃできない、糸ならぬ文字だけの会話です。

 今の桃子には楓の愛はわからないかもしれません。しかし楓は本当に桃子のことを愛していたんです。


 その証拠が一つあります。それは私達が住んでいる家です。


 あの家は楓が桃子のために建てたんですよ。私達、夫婦が二十五歳の頃に家を建てました。桃子が今いくつになっているかわかりませんが、これは大変なことです。

 私は家を建てることに大反対しました。もちろんそんなお金がないからです。それに彼がそんなことをいうとは想像もしていませんでした。

 楓は家を建てることが一生の夢だといっていました。理想の家を建てるためにもっと経験をつんでいきたいと意気込んでいたんです。

 それが桃子が生まれるということがわかって、一瞬でひっくり返ったんです。

「作り方なんてどうでもいい。ただ桃子のために家を建てたい」

 彼はそういいました。

 わかりますか? 建築バカな楓が『親バカ』に変身したんです。これってね、本当に凄いことなんですよ。天と地がひっくり返るなんてもんじゃない、天国と地獄がひっくり返るくらい凄いことなんです。

 そして私に決定打を与えたのが五重塔の修復の仕事です。習字教室を始めて間もなかったので今みたいに生徒はいなかったんですが、私は地元から出る気はありませんでした。なので楓が仕事を請けるとすると四年間彼と離れることになります。

 私の心は揺れました。しかし一方的に決められることが悔しかったので条件をつけたんです。


 一つは宮大工の仕事を最後にして、地元で仕事を探すこと。
 二つ目は仕事が終わるまでは一切連絡をしてこないこと。桃子の声も聞かせてあげない。

 この二つを守れるのなら作っていいよと挑発しました。これで家を建てることはないだろうと思ったら、「それでいいのか?」と逆に喜んでいました。

 親バカ、ここに極まり。こうして私は泣く泣く承諾し自分と同い年のローンを背負うことになりました。 

 それから京都に行くまでの楓はデートをしてもご飯を食べてる時でも建物の話はしなくなりました。桃子の話だけです。

 お腹を蹴ったというと、アホみたいに喜び。お腹が痛いというと、バカみたいに心配し。性別がわかるとそのままその日はベビー服売り場に直行です。

 生まれたらその反動でびっくりして死ぬんじゃないかと思うくらい、楓は親バカに成長しました。

 私はね、正直いうと嬉しかった。楓がどんな立派な建物を作ろうがどんな有名な大工になろうが関係ないです。私達の子供を愛してくれてさえいたらそれでよかったんです。

 だからね、桃子。お父さんのことをどう思ってもいいけど、お父さんは確かに桃子のことを愛していました。

 それだけはどうしても伝えたかった。そう、これが私が一番いいたかったことです。ようやく書きたいことが書けました。

 ともかく、です。なぜ私がこの手紙を書こうと思ったかというと、私が直接楓の話をしても伝わらないと思ったからです。

 桃子の意志でここに来て、お父さんの手紙を読んで、建物を見て、それから私が書いてある手紙を読んでからじゃないと何も伝わらないと思ったんです。

 全てを終えたら後は桃子の中で決めて下さい。

 以上です。
 これを読んで私に確認するのだけは勘弁して下さいね。恥ずかしくて家から逃げ出してしまうかもしれません。
 ただお父さんの格好悪い話ならいくらでもできます。

 その時を是非、楽しみにしています―――。


 心の中の陰りは完全に消え去っていた。

 桃子は再び楓の森を眺めた。楓の木にはほとんど葉が残っておらず紅葉は終幕を迎えていた。

 ……しかし冬が巡ろうとも幕切れない糸がある。

 彼女は楓と綾梅に思いを馳せた。その糸は父親と母親によってしか編めない家族の絆だ。自分の中にはすでに綻んでいる糸だと思っていた。諦めていた糸だった。

 だがこの絆は決して断ち切れない糸で紡がれている。それは縦と横の糸で編まれたマフラーのように暖かく永遠に続いていく。

 ……これは私にとって宝物だ。

 桃子はマフラーをぎゅっと掴み首を埋めた。このマフラーは寒さを防いでくれているだけではない。家族の温もりを閉じ込めてくれていたのだ。それは季節が巡っても変わらない。

 澄み切った心の中には両親の愛情だけが満ちていった。その感情が頬をつたって流れ落ち、楓の葉に潤いを与えていく。その葉はやがて腐葉土となり桃の木を実らせるだろう。そして再び輪廻を繰り返す。

 それが本当に愛おしい。

 ……私は一人じゃない。一人じゃないんだ―――。

 桃の木の前で、桃子は泣き終えることができずそのまま楓の葉の上に泣き崩れた。首に巻いたマフラーだけが柔らかい風を纏いながらふわふわと揺らめいていた。





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