2.
「ええ、びっくりしましたよ。夜遅くに秋風さん家に灯りが点いてたんです。それで昨日頂いたお裾分けのお皿を返しに行ったらね……」
枯枝美空はかすれた声で何度も同じことを繰り返していた。手にしている杖がなければまっすぐに立てないのだろう。先ほどから杖がぐらついており何度も場所を変えている。
「いつもはその時間に電気は点いていないんですね?」
リリーが質問すると、美空はのろのろとかぶりを振った。
「いえ、それがですね。綾梅さんはこの時期になると、習字の展覧会のため作品を作っているみたいなんです。だいたい電気を点けていますね」
「なるほど。つまり起きているのがわかっているから、お皿を返しにいったということですね」
美空はこくりと頷いた。
「それでは次の質問をさせて頂きます。昨日はずっとご自宅におられたんですか?」
「ええ、いました。といっても誰も証明するものがいませんが」
証明する必要はない、とリリーは心の中で思った。彼女には無理だ。このご老体にナイフを扱うこと自体、難しいだろう。殺人ができる体ではない。
「構いませんよ。昨日の夜、習字教室は行われていましたか?」
「それがですね、その時間は寝てたのでわからないんです」
美空の眼を見ると、力のない視線でリリーのことを眺めていた。あなたは今でも寝てるんじゃないですかと毒を吐きたかったが止めておいた。
「そうですか。ちなみにお裾分けというのは」
美空はぼーっと何かを考えるように小さく唸りながら口にした。
「昨日は鳥の唐揚げを頂きましたね。その前はお味噌汁を頂きましたし、その前にはざぼんの砂糖漬け、その前は―――」
「ああ、もう結構です。昨日は鳥の唐揚げですね」
メモ帳に書くまでもないが、一言だけ唐揚げと書いた。
「すいません、僕からも。家の扉は開いていたんです?」万作が腰を曲げて上目遣いで訊いた。
「開いていました。一瞬戸惑ったんですけど、開けた時に鼻につく匂いがしたんです。ただことじゃないと思って玄関を上がらせて貰いました。すると目の前に誰かが吐いた後があったんです」
娘が嘔吐したものだろう。次を催促すると、彼女はそれに応じる。
「電気の点いた部屋を覗くと、綾梅さんが倒れていました。それを見たらもう、足が竦んでしまって。お電話をお借りして警察に電話した次第です」
「そうでしたか。御協力感謝します」
美空は突然大粒の涙を蓄え嗚咽を漏らしながらいった。
「桃子ちゃんは悪い子じゃありません。花屋さんに勤めるくらい心が優しい子なんです。どうか、刑事さん。早く桃子ちゃんを見つけてあげて下さい。犯人に拘束されているのかもしれません。じゃないとあの子の命が……」
誰かと暴れまわった形跡はないですよと反論したかったが、彼女に説明してもしょうがないと諦め作り笑いで応じた。
「わかっております。早急に事件を解決できるよう努力します」
桃子の命が掛かってることはわかっている。だがそれは別の意味でだ。自殺でこの世を去られてしまったら警察の汚点だと貶される恐れがある、それだけは避けなければならない。
……そろそろ切り上げて他に行こう。
万作に車を回すように手で合図をする。彼もそれを首だけで了承し足早に駆けていく。
……次は娘の職場だ。
花屋を想像すると、億劫になるが仕方ない。早急に事件を解決する他、道はないのだ。
秋風桃子が働いている花屋は大学病院の通りにぽつんと佇んでいた。学生通りで若者向けの飲食店が並ぶ中、色鮮やかな鉢物が外に並んでいるのですぐに見つかった。
花屋の扉には『瞬花終灯(しゅんかしゅうとう)』と書かれた暖簾(のれん)が掲げられていた。あの店で間違いない。娘の部屋にあった花瓶にはこの文字が刻まれていたからだ。
店の中に入ると、背の高い男性が鉄の鋏(はさみ)で紐で縛られた花の茎を切っていた。どうやら今朝仕入れてきたものらしい。花を包んであるラップに日付が書かれている。
「お尋ねしたいことがあります。お時間よろしいでしょうか?」
警察手帳をかざすと、背の高い男は即座に了承してくれた。
「構いませんよ、どうぞお入り下さい。とても狭いので窮屈でしょうが」
男は店主のようで春花椿(はるのはな つばき)と名乗った。娘の隣にいた女性が店主だと勝手に推測していたので少々面食らう。
「こちらのお店で働かれている秋風桃子さんのことについてです。今日は出勤だったんじゃないですか?」
店主は困った顔をして頷いた。
「そうなんですよ。今日は出勤のはずだったんですが連絡がつきませんでした。いつもはそんなことはないんですけどね。昨日はいつも通り出勤していたんですよ」
やはり何も連絡を入れていないらしい。
「早退はしてませんか?」
「ええ、いつもは十九時までなのですがこの時期は忙しいので二十時半まで仕事をしてから帰りましたよ」
アリバイありとメモ帳に書き込んだ後、再び尋ねることにした。とりあえず彼女の居場所を突き止める何かを探らなければならない。
「秋風桃子さんがどちらにいるか心当たりありませんか? もし同僚がいれば、その方からも話を聞きたいのですが」
そういうと店主は乾いた笑みを浮かべた。
「実は桃子ちゃんと二人だけなんです。花屋は中々儲からなくてバイト一人いれるのがやっとなんです」
「そうですか」やんわりと話題を変えるため、弱めの声で続ける。「では彼女の友人はご存知ないですか? 何でもいいんです、何か行方を捜す手掛かりが欲しいのですが」
「やっぱり今朝の事件に巻き込まれたんですね、困ったな」
どうやら事件については知っているらしい。彼女の情報の続きを催促すると、店主は頭を捻りながら話し始めた。
「桃子ちゃんはここで働き始めて二年くらいになるんですが、お友達はよくお花を買いに来ますね。ただ連絡先は知りませんが」
先程桃子の部屋から撮った写真を見せると、彼は頷いた。
「そうそう。この子です。最近はちょっと店に来てないんですけど……」
どうやらその友人は近くの看護大学に通っているらしい。友人から彼女への手がかりを探す方法も検討した方がよさそうだ。
「では質問を変えさせて貰います。秋風桃子さんは母親と仲がよさそうでしたか?」
店主は首を縦に振った。
「そうですね、桃子ちゃんから毎日お母さんの話は聞いていたのでよかったんだと思います。お母さんが書道家ということも知っています」
母親との関係は良好と書き込む。娘が加害者であれば、怨恨での殺害ではないことになる。何か別の理由があるのかもしれない。
「もう一つ別の質問を。桃子さんがよく利用するお店なんかはご存知ですか? どんな場所でも構いません」
「そうですね、桃子ちゃんはパンが好きで、よくお昼御飯を近くのパン屋に買いに行きますね。休憩は十二時から十三時に取ってもらっているので、その時間にいつも買いにいってます」
「そのパン屋はどちらに?」
「近くにあるんですが、この近くにはパン屋が二つあるんです」
店主は席を離れ紙とペンを用いて丁寧に地図を書き始めた。
「桃子ちゃんが行くパン屋は歩きで二十分くらいにあります。この道を十分くらいまっすぐ行くと、病院のゲートが見えますので、次に病院ゲートを通り抜けて左に曲がってさらに十分くらい歩くと大学ゲートが見えてくるので、その近くにあります。赤い屋根が目印になるのですぐわかると思いますよ」
「もう一つのパン屋は?」
「この通りにあるパン屋ですよ」店主は人差し指を突き出した。「反対側の道を辿っていけば五分でつきます」
どうして娘は遠いパン屋で買っているのだろうか。片道二十分、往復で四十分掛けてまで行くほど美味しいのだろうか。
「桃子ちゃんは現在行方がわかっていないんですよね?」店主は恐縮したように改まってリリーに尋ねた。
「ええ。一刻も早く見つけ出したいのが本音です」
発見が遅れれば最悪の事態も考えられる。もちろん、それは桃子が遺体として発見された場合だ。
「桃子ちゃんは確かに怪しい立場にあると思うんですが、僕は犯人ではないと思っています」
店主は苦い顔をして続ける。
「彼女は夢を持って働いていました。自分の店を持ちたいといつも笑顔を振りまきながら仕事に望んでいたんです。彼女がそんなことをするはずがない。何かわかったら、僕にも連絡を頂けませんか?」
捜査上の秘密があるとはいえ、この男は本気で桃子を心配しているのだろう。話せる範囲でよければと自分の名刺をそっと置いた。
桃子の通うパン屋の名前はフランスアという名前だった。店主のいっていた通り朱色に染まった屋根が目印になっている。車を駐車するスペースがないため、万作を車に留まらせ一人で店に向かう。
「いらっしゃいませ。今の時間帯はチーズパンと餡(あん)パンが焼きたてですよ」
笑顔が可愛いらしい店員の接客を受けながらパンを購入する。もちろん情報収集のためだ。店員のオススメのチーズパンと餡パンを二個ずつトレーに載せてレジに並ぶ。
「お仕事中すいませんが、お尋ねしたいことがあります。お時間よろしいでしょうか?」
頭を下げて手帳をさりげなくかざすと、店員の表情が急変した。慌ててフォローに入る。
「驚かせてすいません、この方をご存知ないですか?」
写真を見せると、店員は目を丸くした。
「ああ、いつも買いに来てくれるお客様です。昨日も来られましたよ。男の方とよく一緒に来られますよ」
男の話を催促すると、170〜175cmくらいの男性で長い金髪の褐色肌だそうだ。先程の店主とは間逆な感じなのだろう、とイメージを膨らませる。
「凄く格好よかったんです。私の好きな服のブランドを着ていたということもあるんですが」定員は嬉しそうに宙に視線を漂わせ思い返している。
「二人はお付き合いをされている感じだったんですか?」
「そうですね、そんな感じだと思ってました」
「どれくらいの頻度で来ていました?」
「ほぼ毎日でしたね。私はここのお店で三ヶ月くらい働いているんですが、だいたい来てました。ただ、雨が降った時はあまり来てなかったですね」
なぜ雨の日にパンを買いに来ないのだろうか。公園などで食事ができないという理由からなのだろうか。
「そうなんです。もちろん雨が降れば、お客さんは減りますけど、雨の日にお二人が来たのは見たことないですね」
新たな客が入って来た所で、リリーは再び頭を下げた。
「ご協力感謝します。ではまた何かありましたら、立ち寄らせてもらってもよろしいですか」
「もちろんです。その時はまた、パンを買っていって下さいね」
店を出ると万作がハンドルを握りながら待っていた。腹を空かせているのか、リリーが掴んでいる紙袋に目が釘付けになっている。
近くの公園に駐車し二人は休憩することにした。
「万作、ちょっと飲み物買ってきて」
「いいっスよ。いつものでいいんですよね」
「うん、それでいいわ」
リリーが返答すると、万作はだるそうに頭を掻きながらは近くの自動販売機に向かった。彼女は彼が視界から消えたことを確認して先に餡パンを掴んだ。
彼が戻ってくるのと同時に有無をいわさず袋を突き出す。
「はいどうぞ。店員のお勧めらしいから、きっと美味しいと思うわ」
「ありがとうございます。あれっ? 同じ物を二つ買ったんスか?」
「何か文句でも?」
リリーが睨みをきかせると万作は口を閉じて静かにチーズパンを食べ始めた。
早速買って来てもらった紅茶を手にすると、ミルクティーだった。無言で万作に押し付け、彼の飲み物を催促する。
「私、これ嫌いなの。あなたのと換えさせて」
「えっ、冬月さん、紅茶なら何でもいいっていってたじゃないですか」
再び睨むと万作は牛乳を差し出してきた。できればお茶がよかったなと思いながら一口ずつ飲む。
娘に男がいることを告げると、彼は表情を変えずにいった。
「ということは匿って貰っているというのが妥当ですね」
「もちろん、そうなるわね。問題はどこにいるかね」
今、必要な情報はそこだ。リリーは思考に集中するため目を閉じこめかみを押さえた。
まず二人はお昼にパン屋に来ているということだ。桃子の昼休みは十二時から十三時。店でバイトとして働いているのは秋風桃子一人だけ。店主は男友達を知らないといっていたので、店には来ていないのだろう。どこかで待ち合わせをして買いにいっている確率が高い。
……待ち合わせ場所、どこだろうか。
十二時前後、人通りは悪くないはず。褐色肌で長い金髪を照らし合わせると、大学生が妥当だろう。
「人通りが多いのは大学しかないわね」
「そうですね。若い方ならば、それが妥当かと」
この付近には大学と病院が一つになった大学病院がある。秋風桃子の年齢からいっても釣り合いは取れる。それに彼女の友人もその大学にいる可能性が高い。
次のルートと同時に、もう一つ別のルートを探ることにした。秋風綾梅の習字教室の生徒にも話を聞いて置く必要がある。本来なら習字教室がある時間に犯行が起きているのだ。教室の生徒のアリバイは取れているが、休んだ理由はまだ聞いていない。
万作に習字教室の生徒を任せ、リリーは秋風桃子の友人を探すことにした。
腕時計を覗きこれからの予定を整える。まだ午後十三時にも回っていないが、この調子で足跡を辿っていけば今日中に見つけることも可能だ。遅くても被疑者を見つけるのは数日だろう。
刑事特有の勘がそう告げている。
3.
フランスアの左にある大学ゲートに入った。ここから先は北九州大学病院の敷地だ。目の前に大学が見えるが、この先をさらに進んでいけば病院がある。二つの建物は袂を分けたように二分割されていた。
ここの大学は医学部、看護学部の二種類があり、合わせて生徒数も千人を越えているという。
これまた骨が折れそうな作業だが、動くしかない。大学の事務室で早速事情を話し検索を掛けて貰うことにした。
「そうですね、そういった生徒を探すとなると大変ですよ。今は大学は休みですし、写真があるといっても一年の時にとった写真だけなんです。大学生ですから、生活環境はころっと変わりますし。それでよければ検索させてもらいますが」
男性と女性で分けて貰うと三対七という割合になった。やはり医療大学だ。女性の方が圧倒的に多い。
秋風桃子の女友達は確実にいるはずなので先に検索してもらう。大学入学時の写真のため、まだ化粧もしておらず難なく見つかった。だが意外な事実が判明した。
「その子はですね、実は今海外旅行中なんです」
どうやら大学が主催する旅行に行っているらしい。つまり女友達が彼女を匿うことは不可能だ。
ということは彼氏の方が彼女を匿っている可能性は高い。
丁寧に写真を選抜していくと、条件に合うものは三名ほどいた。連絡先をチェックし、連絡を入れていくと一名だけ繋がった。どうやら大学校内にいるらしい。
しかしその生徒の姿を見た瞬間、落胆する他なかった。写真の面影はなく色も染めておらず坊主頭になっていた。
「どういった用件でしょうか?」
生徒は面倒くさそうにベルトに手を伸ばしズボンを上げている。名は若葉榎樹(わかば なつき)というらしい。警察手帳をかざしても力のない目でそれを見るだけだった。
「この写真を見て欲しいのだけど、この子を知らない?」
「知りませんね。見たこともないです。その人が僕に何か関係しているのですか?」
上手く論点をぼかして話すと、彼は趣旨を理解し次第に態度を軟化させていった。
「なるほど。この人が僕に似ているから僕は呼ばれたんですね。でもすいません。これは僕じゃないです。よく見ると全然顔が違うでしょ。それに髪もばっさり切ってます」
「この大学で君と似た感じの人はいないかな?」
「いないと思います、多分。だってその写真、入学当初のものですよ。そんな髪型をずっとしてたらここでは浮いちゃいます。それで今は坊主にしてるんですよ」
どうやら人違いのようだ。よく写真を見ると、確かに輪郭も違うし鼻の形も違う。他の二名にしても同じ可能性が高い。
……次の案を考えなければ。
近くの椅子に座り思案する。目当ての人物がいなかったとしたら次はどこにターゲットを絞るべきか。
職員、病人、その他の店の店員、夜の仕事……。
様々な要因を考え、足を運んだが、結果は惨敗だった。
外灯がぽつぽつとつき始めた。近隣の店も当たったが全滅で、褐色肌の金髪はいるが、長髪ではない人物がほとんどだった。
万作に連絡すると、習字教室は休みだったらしく、秋風綾梅が理由もつけずに休むことは初めてだったようだ。娘と話し合いを設けるためだろうか、それとも他の誰かと会う約束をしていたのかは未だ掴めない。
「間違いなく男の所でしょうね」
「そうね。今の所はそれしか考えられない」
署に連絡を入れると、今日の所は交代制になるようで一時帰宅が認められた。自宅に戻り軽くシャワーを浴びた後、茶葉をお湯に浸しカップに注ぐ。
……母親殺しの容疑、か。
胸の中にある冷えた記憶が心を凍らせていく。あの時の自分の行動が今でも許せず、母親への思いが青い炎のように冷えたまま再燃していく。
……どうしようもないことだって、わかっているのに。
後悔しても、明日は来る。考えまいとするうちに、心の感情はゆっくりと沈んでいき、やがて枯れていくようになった。今のままではミルクティーなど、とても飲めそうにない。
カップに口をつけ、ほっと吐息を漏らす。
やはり自分の体にはストレートティーが一番よく馴染む。
翌朝、橘から連絡があり現場に向かうと、笑顔の眩しい捜査官が天下を取ったように写真立てを運んできた。何でも昨日捜査に使った写真立ての中にもう一枚隠れていたらしい。その写真を見て彼女の瞳は拡大した。
そこには長い金髪をなびかせた褐色肌の男と秋風桃子が写っていた。
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