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2016年05月11日22:23

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お題19『書道』 タイトル『華道ガールと書道ボーイのミックス展覧会』

 生け花(いけばな)。
 それは生きている花を直接器に挿け込み、花本来の姿を目の前に映す鏡だ。
 生け花には基本の生け方があり、それは江戸時代から続いているので無碍(むげ)にできない。私はその型を1つずつ覚えることが好きだった。覚えたら、おばあちゃんとお母さんが手を叩いて喜んでくれるからだ。
 だが今、その型に嵌(はま)ることができないでいる。彼の書道を見てから、私は今までの生け花に疑問を持つようになってしまったからだ。
 彼の書は型にはまらず、私の心を見透かすようだった。私が今まで積み上げてきたものを、彼はその1つで全て崩してしまった。
 型を失った私は幻想の世界に身を浸しているような感覚に陥った。私の中に眠っていた感情が私の意志とは関係なく暴れ狂う。私の心と体は彼の墨の世界に染め替えられてしまったのだ。
 ……彼のことをもっと知りたい。
 いけないことだとわかっているのに欲求を抑えきれない。この葛藤を無理やり消し去って彼に私の全てを見て欲しい。彼に私を認めて欲しい。
 彼が欲しいと気づいた時には、私は自分を見失っていた。
 悔しいが、私の初恋はあなたなのだと認めるしかない――。

「ねえ、彩華(あやか)ちゃん、今日の課題やってきた?」
 前の席の唯が両手を合わせながら懇願する。
「ああ、現国の分ね。はい、どうぞ」
「いつも悪いね」
「これくらいでよければ、いくらでも」
 私が微笑むと、彼女は申し訳なさそうな顔でノートを両手で掴んだ。謝るくらいなら最初からやればいいのにと思うが、彼女には世話になっているので文句はいえない。
「うわ、やっぱり綺麗な字だね。彩華ちゃん、書道習っていたの?」
「小さい頃にね。それでも大した腕はないわ」
 私は今、宗像という福岡県の海沿いの町に住んでいる。父親が亡くなって母の実家に戻ってきているのだ。高校を途中で編入したため、友達もいなかったが、前の席の彼女が私に色々と世話してくれるため、私は前と変わらず平凡な高校生活を送ることができていた。
 この学校に転校してきてから、早二ヶ月が経とうとしている。
「彩華ちゃん、京都にいたんでしょ。修学旅行で地元に帰れるチャンスがあるね」
「……そうね」
 私は心なく頷いた。
 私は池坊と呼ばれる華道の家元に属していた。跡取り問題で、父親が亡くなってから、私はこの福岡県の田舎に飛ばされたのだ。順調に型を覚え昇段試験をクリアしてきていたので、数年もすれば家元を継ぐことが決まっていたのだが、その機会を失ってしまった。
 だからといって、まだこの仮面を崩すことはできない。私の母親はまだ権力争い負けたつもりはなく、再び上京するつもりでいるからだ。
「いいよねぇ、京都」唯は課題を机の上に置いてこちらを向いた。「彩華ちゃんのお母さんも美人だし、彩華ちゃんも生け花習ってるし、京都ってやっぱり華やかな街だよねぇ」
「そうでもないわ。ちょっと古臭いしきたりはあるけど」
 私は実家を想像しながら告げた。
 今の現状に納得はいっていないが、理解はあるつもりだ。それは母親のことが嫌いではないからだと思う。母はきちんとした性格で前を向いて私のことにも理解がある。福岡に出戻ることになっても愚痴も零さず、私に謝るだけだった。彼女の1つ許せない点は父親と不倫して私が生まれたという一点だけだ。
「彩華ちゃん、好きな人いないの?」
「いないわ」
「勿体無い、せっかく美人なのに」唯が人間ではないものを見るように私を凝視してくる。「生け花ばっかりやってると、彼氏できないよ」
「彼氏なんか必要ないから」
 私は不倫などはもちろん、男と付き合いたいとは思わない。好きだからといって自制心を失えば、母親のように人生が狂ってしまうからだ。
 だから私は花に生きると決めた。花は私を裏切らないし、言葉で誘惑してこない。きちんと向き合った分だけ応えてくれるから、私はこの世界に一生身を投じる覚悟がある。
「よし、皆席につけよ」担任の古谷(ふるや)が声を上げた。「授業をする前にみんなに発表することがある」
 そういって古谷は黒板の上に1つの書を張り出した。
「実は菊池(きくち)の書が入選をとって、今度、生け花の展覧会の文字を担当することになった」
 クラスにいる全員が大声を上げて、彼を祝福する。私は周りに合わせるように拍手をした。
 ……文字を担当しようが、メインは花だ。騒ぐことじゃない。
 私は気にせず欠伸をした。早く授業を終えて、生け花教室に向かいたい。
「愛染(あいぜん)、お前、今度展覧会に出すんだよな」
 古谷先生に指摘され体が硬直する。欠伸を見られたかもしれない。
「はい、そうですが」
「よかったら、菊池にアドバイスしてやってくれ。お前の意見も参考になるだろう」
「わかりました」
 そういって私が頭を下げると、周りにもてはやされている男がこちらを見て頭を下げてきた。
 彼が菊池なのだと知り、私は再び教科書に目を向けた。
 
「愛染さん、どこ行くの?」
 授業を終え、私が教室を出ると、菊池という男が私の後ろをついてきた。
「稽古」
「ああ、今日もあるんだ。生け花教室」菊池は犬のように人懐こい笑顔を見せる。「その前に頼むよ。どんな字を書いたらいいか教えてくれよ。俺、生け花のこと全く知らないからさ」
「好きなように書いたらいいんじゃない」
 私は彼の横を通り抜けようとしたが、彼が再び周りこんできた。
「ごめん。本当にマジでやばいんだって。ねえ、俺もその教室にいったらだめかな? 生け花を少しでも学びたいんだ」
「……ダメじゃないけど」
 私は不意に母親の顔を思い浮かべた。母親の前に彼の姿を見せるわけにはいかない、彼女なら必ず誤解するからだ。
 不倫したことに負い目を感じているのか、私に好きな人がいないか四六時中、見張っているような人だ。男の姿を見せただけでなんといわれるか、わからない。
「このまま、何もいわないなら俺はその教室まで行くつもりだぜ」菊池は軽快な口調で脅してきた。「嫌なら少しだけでいいから時間をくれないか。俺のも期限があるみたいで、焦ってるんだ」
 彼の提案で教室に戻り自分の席に座り直す。彼は唯の席に座り私の机の上にノートを広げた。
「書道歴は?」
 私が尋ねると、彼は手を広げて一年ずつ数え出した。
「12年になるかな。全部真面目にやってたわけじゃないけど」
「そう」
 私は返事をして、構想を練った。展覧会は一般の人に見て貰うのが第一条件だ。なので、捻った文字よりも一目でわかるインパクトがあるものが望ましい。
 彼に条件を説明すると、大きく唸った。
「んー難しいな。要は一文字で見せないといけないってことだな」
「そうね、それが一番いいと思うわ」
 彼はそういってノートの上で様々な文字を書いていった。その中で『愛』という字が私の目に留まる。
 いつも何かを記入する時に私は苗字であるこの字をなんとなく書く。だが彼の字を見て、私の心が妙に浮き立っている。
 生け花にも型があり、同じ型でも人が違えば全く別の作品になる。要は人の心が作品に出るのだ。
 彼の字を初めて見るのに、妙に懐かしいものまで感じる。
「愛染さん?」
「ああ、ごめんなさい」
 彼に指摘され、私は目を反らした。その字を見ている間、自分の時間が止まっていることに気づいたのだ。その字を見ている間、父の生け花を思い出していた。
「愛染さんはいつから生け花をやってるの?」
「私も12年ね」
「そっか。じゃあ同じだね。俺の実家、書道教室やってるんだよ、だから小さい頃から字を書くのが当たり前でさ。愛染さんの所も?」
「そうよ」私は端的に答えた。「花は私にとって身近なものだったから、花に触れることが当たり前だったの。だからあなたが思いついたことをそのまま書けばいいと思うわ」
「ありがとう」菊池は笑って答えた。「そういって貰えたら助かる。頑張ってみるよ」
「あ、涼介。いたいた」
 教室の外に小柄な女性が立っていた。それを見て彼は手を上げたが、そのまま面倒そうに手を振った。
「花鈴(かりん)、先に帰っていいっていっただろう」
「いやそれがさ、見てよ、これ」彼女はスマートフォンを取り出してこちらに画面を見せてきた。「今日、波がいいみたいなの。だからどうかと思って」
「波がいいってどういうこと?」私が彼女に聞くと、彼女は嬉しそうに説明し出した。
「今日の海の波がいいってこと、私達、サーフィンやってるの」
「そうなのね」私はなぜか苛立ちを覚えながら彼を睨んだ。「じゃあ後は頑張ってね、菊池君」
「あ、待って、愛染さん」
 彼が走ってきて、私の腕を掴む。
「何かしら?」
「俺は遊びでサーフィンをやってるんじゃない」菊池は息を荒げながらいった。「いや、遊びでやってるんだが、それは書のためでもあるんだ」
 意味がわからない。別に彼の趣味を咎めるつもりはない。
「どうしてそんな言い訳を?」
「何か怒ってる気がしてさ、眉間に皺がよってるし……」
「私は別に怒ってないわ。怒る必要がないから」
 私は冷静に告げた。しかし自分と同じだと共感を求めてきた相手が軽い性格だと気づいた後、私の中に黒い淀んだものが流れていく。
「サーフィンで波に乗ることは書と一緒で、感覚が必要なんだ。勢いが必要というか、いつでもできるわけじゃない所が似ていて……」
「別にあなたが何しようと勝手だけど、どいてくれる?」
 私はそのまま振り返らずに下校した。
 なぜかはわからないが、その日の生け花は最悪だった。
 
 展覧会、当日。
 私は無我夢中で作品作りに没頭していたが、中々上手く挿すことができないでいた。型が決まっているのにだ。
 今日のメインの花は芍薬(しゃくやく)だとわかっているのに、体が思うように動いてくれない。
 ……後2時間しかない。
 私は胸元にある懐中時計を見て焦りを覚えた。着物の帯がいつも以上にきつく縛るような感覚まで働く。今までこんなに緊張した中で作品を作ったことはない。額から出る汗を拭いながら、何度も不安を拭おうとするが払拭できない。
 何としてでも作品を完成させなければならない。それに今回は福岡に来て初の展覧会だ。ここで失敗すれば私に未来はない。
「お、愛染さん、お疲れ様」
 振り返ると、菊池が後ろに立っていた。その手には大きな看板がある。きっと彼が書いたものだろう。
「どんな感じ? 苦戦しているように見えるけど」
「あなたには関係ないわ」
 私が目の前の器に手を伸ばそうとしたら、彼は私の両手を合わせ、それを包むように彼の両手で強く挟んできた。
「これ、うちのおまじない。大丈夫、愛染さんならできるよ」
「あ、ありがとう……」
 私は手を止めた。一度しか話していない彼にすら私の動揺が伝わっているのだ。このまま作ってもいいものはできない。
「深呼吸をして」
 私は彼にいわれた通り、呼吸を整える。緊張のせいか両手が震えている。今までにこんなことは一度もなかったのに。
 ……どうしてだろう。
 私は客観的に考えた。福岡に来て初めての展覧会だから? 
知っている人がいないから? 家元として恥じない作品を作らなければならないから?
 そのどれでもない、と思った。
 彼の字を見てから、私の生け花の型が崩れてきているのだ。
「まだ完成していないだろうけど、息抜きに俺の作品を見てよ」
 彼はそういって書を提示した。
 私は迷いながらも見ることにした。今のままではどうやっても作品は完成しない。それなら彼の作品を見て、気持ちを入れ替えた方がいい。

 そこには一文字、『花』と書いてあるだけだった。だがその字には茎が生えているように、凛として立っていた。まるで生きているようにだ。
 
 ……凄い。
 私は心を動かされながらじっと見つめていた。彼は型に嵌らない字を書き上げたのだ。それはまさに彼が作ったものだと私の魂がいっていた。
「どうかな?」
「いいんじゃない?」
 私はそういって気合を入れ直し器に瞳を向けた。彼には絶対に負けられない。同じ土俵でなくても、私が今まで培ってきたものの方が上だと証明してみせる。サーフィンなんかしている彼に負けるはずがない。
 ……必ずいいものを作ってみせる。
 気づけば私の手の震えは止まっていた。私は心のまま、作品作りに没頭した。

「愛染さん、お疲れ様」
 展覧会を終えた後、菊池が後ろに立っていた。どうやら会場のセットを直すのを手伝っていたらしい。
「愛染さん、作品とってもよかったよ。芍薬、とっても綺麗だった」
「ありがとう」
 私が笑うと、彼は異性人を見るように私を凝視した。
「まさかお礼をいわれるとは思わなかったよ」
「失礼ね。私は思ったことはきちんという方よ」
「そっか。それならよかった」菊池は笑いながら自分の書を担ぎ上げた。
「俺もいいものができてよかったよ。愛染さんのおかげだ、感謝してる」
「私は何もいってないけど」
「一文字でいいといっただろう?」菊池は真面目な顔をしてこちらを見た。「たった一文字で人に気持ちを伝えることができるんだと思ったら気が楽になったよ、ありがとう」
 そういって彼は握手を求めてきた。
 彼の手はしゅっとしていて、指が長く綺麗だった。その手を見て私は再び動揺していた。
「握手くらい、いいだろ?」
「……ええ」
 彼の手の感触が私の温度を2度も3度も上げるように感じる。仮に彼に抱きしめられたら、私は蒸発してしまうかもしれないなと別の考えが浮かんでいた。
「涼介、こんな所にいて」
 声の方を見ると、花鈴と呼ばれた同級生がいた。彼女はずかずかと大股で近づいてきた。「早く帰るよ、お父さんが車で待ってるから」
「ごめんな、花鈴」菊池は謝りながら再び書を担いだ。「じゃあ愛染さん、また」
「ええ」
 二人の背中を見送ると、心臓に何か別の鼓動が聞こえてきた。今までに感じたことがない音を感じる。
 ……この感覚の正体は何?
 疑問に思いながら彼らを見ていると、彼女の方だけが再び戻ってきた。
「どうしたの? 忘れ物?」
 私が訪ねると、彼女は頬を掻きながらいった。
「うん、一つだけ忘れ物があったから、聞いて欲しいんだけど」
「ええ、何?」
「私と彼、付き合ってるから」
 彼女はそういって握手を求めてきた。
 ……そういうこと。
 私は彼女の握手を応じた。別に彼に対してそんな感情を覚えたつもりはない。
「私、別に男に興味ないから」
「そうなの?」
「ええ」
「そっか、ならよかった」彼女は満面の笑みで応えた。「私、遠藤花鈴。これからもよろしくね」
「よろしくね、遠藤さん」
「花鈴、早く来い」
 遠くで菊池の声が聞こえる。彼の声がとても心地よく聞こえる、さっきよりも離れているのにだ。
「じゃあそういうことで。また話そう、愛染彩華さん」
 ……そういうことなの、お母さん。
 再び彼女を見送りながら、私は母親に初めて同情した。人のものだとわかった瞬間、私は彼を欲しいと思ったのだ。これは紛れもなく私の感情だ。私にも母親の血が確実に流れている。
 ……これが初恋なのかしら。
 私は自分自身に問いただした。正直、彼に対して特別な思いはある。だがこれが恋なのかはわからない。父と同じものを感じるから特別だとはわかるが、この正体は未だわからない。
 ……まあ、いいわ。
 私は片付け終わった展覧会の会場を見渡して心の中で呟いた。
 自分の意思でここに来たわけではないが、一つ確かなことがある。
 それはこの地でも私が華道家としてやっていけることだ。






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