mixiユーザー(id:17119814)

2016年05月11日11:57

161 view

軍艦史(63)

南北戦争、今度は1864年2月17日。この日、南軍の潜水艦がチャールストン港にて
海上封鎖の任務にあたっていた、北軍の蒸気軍艦フーサトニック(排水量1200トン)
を、外装水雷による攻撃で沈没させた。これが潜水艦による敵艦撃沈の第1号となった。

使用された潜水艦は、ホレス・L・ハンリーによって製造されたもので、艦名などは無か
ったようなのだが、後になって製造者の名から「H・L・ハンリー」と名付けられた。こ
の艦は全長12m程度の小型潜水艇で、動力機関は搭載していないため、人力でクランク
を回すことでスクリューが回転する、人力駆動である。

艦底に大穴を開ける潜水艦による水雷攻撃は、非常に効果が大きかった。H・L・ハンリ
ーの排水量はわずか7.5トンである。ボート並みの大きさの船によって1200トンの
船が沈められたわけだ。

ところがやはり外接水雷の爆発は、自分達にも影響が出てしまったのか、この攻撃のあと
H.L.ヘンリーは浮上してこなかった。乗組員8名と共に海の底に沈んでしまったので
ある。南軍はその後、潜水艦によって艦底に外装水雷を仕掛ける攻撃方法を禁じた。

このように南北戦争では外装水雷がかなり使われた。自走式の水雷、つまり魚雷が兵器
として使われるようになったのは、1870年代に入ってからである。南北戦争が10年
遅く始まっていれば、H・L・ハンリーは沈まずに済んだのかもしれない。

いずれにしても、南北戦争での戦果によって、水雷が注目されることになった。1870
年代には水雷艇と呼ばれる、水雷攻撃を専門に行う小型快速の船が登場するようになる。

0 1

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する