mixiユーザー(id:2223977)

2015年11月24日00:27

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判ってしまえば至極単純なこと

証明されるまでには
何千年何万年と
かかるかもしれないが

証明されなくとも
個人的に判ることは
可能で
たとえ個人的であるにせよ
判ってしまえば
単純明解なこと。

我々が最も信頼を置くべき
判断基準は
我々の意識が
病に陥ったり
苦の只中で
その
身体の病や
意識の苦を
回復させようと働く力である。

我々総(すべ)てには
生理的な病であれ
心理的な病であれ
病に陥った時には
復元しようとする力が内在している。

もちろん
自然に回復する病もあれば
自然に回復しない病もある。

けれども
どんな病であっても
生理と心理は
その「理(ことわり)」からの逸脱から
回復させようとする作用が働く。

この自然な治癒力
あるいは免疫力は
我々の意識的な意志
(選択的意志=プロアイレシス προαίρεσις)
とは独立して無関係に働く。

つまり
我々が治ろうと
しているか否かに
関係なく
治す為にのみ作用し続ける。

我々がたとえ諦めていても
時既に遅きに失している場合であっても
治そうと最期(=死の時)まで働く。

この作用が
我々が最も信頼を置くべき
判断の基準(クリテリウム)。

あるいは
この回復作用の中で
この回復作用に気付く自覚が
我々の判断基準。

なので
我々は
我々の外に存在している
為政者や
法律を
最高の判断基準と
すべきではない。

為政者の判断や
法律の判断は
通貨と同じで
或る社会や
或る時代の
「取り決め」であり
絶対ではない。

もちろん
個人は
個人が属する社会の法によって
統制されるので
個人は法から自由ではないが
だからといって
法が最高の判断基準であるというのは
人工的な判断を
自然の法則よりも優先させる
独断論であり
間違った判断(誤謬推理)だ。

法は
人間が考えたもので
その限り
国家が定めたものであると雖(いえど)も
自然の摂理を越える判断基準であるわけではない。

生理の「理(ことわり)」が
法律の「律(規律)」よりも優(まさ)る。

規律は論理であり倫理であるが
生理は論理や倫理以上である。

論理は平面であり二次元平面の存在であるが
生理は立体であり三次元もしくは
それ以上の次元を含む時空に存在している。

二次元の平面判断よりも
三次元空間や三次元以上の時空判断の方が
優れているのは
間違いない。

もちろん
三次元は二次元を含むので
生理の方が論理よりも優れているからといって
生理は論理を排除する必要も必然も無い。

或る位置に定まった二次元論理は
同じ位置の二次元論理と
同じ位置を争って
互いに他を排除することなしには
自分自身の位置を確保することが出来ない

それは平面には
同じ場所に一つの平面しか描けない(存在し得ない)
からである。

生理が論理を排除しないのは
三次元空間は二次元平面を
(前後左右に回転させる事で)
同じ場所に無限に許容し得るからである。

たとえば
x y z 軸の中心点ゼロを通る面は
或る平面上には一つしか描けないが
或る空間内には
理論上
無限の平面が描けるように。

なので
生理は
空間的にも
時間的にも
一つの場所
一つの時刻に
無限の平面(論理と心理)を
同時並行的に存在させ運動させることができるので
論理は
生理に
敵(かな)う筈が無い。

なので我々は
論理ではなく
生理を
我々の判断の基準にすべきである。

生理的に判断することを
習慣化すれば
論理的な矛盾も簡単に越える事が出来るし
論理的に矛盾することを解決することも可能となる。

なぜならば
二次元に於て不可能なことは
三次元に於ては可能だからである。

我々の生理の再生能力と
我々の生理の化生能力とは
我々の生理が健全である時には
どこにも存在していないかのようにみえる
潜勢力である。

けれども
一度病に陥ると
その潜勢力は
起動し始める。

この起動時に
我々が
我々に内在している生理の内実を自覚することが
悟りや啓示と呼ばれる現象である。

心理だけで
論理だけで物事を判断する時代は
終わろうとしている。

これからは
論理を含む生理で物事を判断出来る人類が
増殖してゆくのでなければならない。

即ち
これまでは単に論理だけで物事を考えて
自分の意見に合わない人の意見を
押え付けるか排除するような仕方で
対立が解決しなかったが
これからは
単に論理的に物事を考えるだけではなく
論理の基礎に生理が存在していることを人類が自覚して
論理を内在する生理で三次元的な判断をする人間を
量産すべきである。

三次元的に生理的に判断するには
我々の生理が
論理的な逸脱時に働く事を
(即ち、心理の歪みを正す作用を)
病や逸脱の時に自覚する経験が
必要不可欠である。

他者や
外的な規範のみに
神経を使うだけの
これまでの判断の仕方

取って代わって

各々が
自分自身の内側に
個人的で主観的な意識を越えた
我々の祖先の系列の総ての過去から
我々が現在継承している遺産としての生理を
我々の判断の最高の基準とする
そのような判断の方法的原理が
確立されるべきである。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

ところで
我々の祖先が
我々の生理に遺した意志としての
(我々の心理の狂い(仮象=空)や
 我々の生理の狂い(病)を)
治癒しようとする作用が
我々の意識的な意志とは独立に
したがって
我々の選択的意志
(恣意=リベルム・アルビトリウム liberum arbitrium)
とは無関係に
しかし
我々の意志の内側(意識よりも深い奥)

作用すること



我々の外側で
暴力や権力等が
我々の意志に反して
我々の意志とは独立無関係に
作用して来ること

との

違いは

暴力が
我々の身体を拘束して
我々の意志に反した
他者の意志が
行使されるのに
対し

権力の場合は
我々の意志に反する点は
暴力と同じであっても
他者は直接我々の身体を拘束する
わけではなく
法的な強制力や
脅しで
我々をして
我々の意志に反した行為を
為さしめる。

けれども
我々の祖先が
我々に遺した意志としての生理は
我々の意識的な意志
それゆえに
我々の選択的意志(恣意=Willkür)
とは独立無関係に
したがって
我々の恣意に反して
作用するものであるにもかかわらず

我々の祖先の遺志としての生理は
どこまでも
我々を支援する方向で働く。

暴力や権力は
我々を支援する方向で働くことは
まずない。

なぜならば
祖先の遺志が我々を助ける目的で働くものである
のに対して
他者の暴力や
権力は
他者の意志や
権力者の意志を
実現する為に働くもの
であるからだ。

この区別を
為す事が
悟りであり
啓示である。

悟りは
我々の認識が
どこまでも
物それ自体を把握するものではない(空である=仮象である)
ということを
我々に自覚させ

啓示は
そのような
空の自覚のみが
真実であるということを
我々に自覚せしめる。

即ち
悟りと啓示の違いは

悟りが
我々の認識は
外界の存在と
どこまでも異なっている(我々の認識の空性=無自性性)
ことの自覚であり

啓示が
悟りの自覚
つまり
我々の認識の空性の自覚(=悟り)を自覚すること
だけが
本当の判断であり
そのような判断を齎(もたら)す実在を
神と名付けて
それ以外の一切の認識と
区別するのが
啓示である。

唯識思想が
外界の存在を否定する思想であると
捉えられる限り
実在論の反論
(例えば、識のみが実在であると言うのであれば
 我々人類が未だ存在しなかった地球も
 識が存在しないのであるから
 存在していなかったことになるが
 それは歴史的事実に反するという反論)

誰をも納得させられる根拠をもって
応える事が出来ない。

唯識思想の優れた点は
外界の実在の否定ではなく
むしろ
外界の実在を認めた上で
我々の認識が
どこまでも
外界の実在の総てをそのまま写し取っているわけではない
ということの主張にある。

我々の認識は
それが論理である限り
二次元(平面=平板)であり
三次元以上の時空間である外界の実在や
或いは又、我々の生理で生起している
現象の総体とは
次元を異にする。

つまり
二次元平面の容量(キャパシティ)は
どこまでも
三次元以上の時空間の容量(capacity)と
同じではあり得ない
ということの自覚が
唯識思想の根幹でなければならない。

「我々の意識とは独立無関係に
 外界に何かが存在するという認識」(=実在論)

空(=仮象=誤謬推理=パラロギスメン)
なのではなく
外界に存在している実在
(この実在は
 内界の Ungrund の真実在としての阿頼耶識をも
 含むと考えて)

それが実在である限り
我々はその実在の(作用も含めて)総体を
ありのままに捉えられていると
考えてはならない
即ち
そのように考えることは
空(仮象=誤謬推理=Paralogismen)である
という自覚が
唯識思想の最も優れた点であるべきだ。

原始仏教の縁起思想も
我々の認識の無自性(仮象性=空性)を
捉えているのであり
また
我々の祖先の行為・経験(=業)が
我々の現在に継承されている(遺伝子として)ことを
教えてくれているだけのことである。

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最終更新
平成27(2015)年11月24日 午前7時37分
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