このところ続いている災害を見ていると、もはや我々の想定の粋を越えていて、国や自治体が多くの時間と費用をかけて対策を講じようとしているのはもはや虚しい作業に思えてしようがない。
個人レベルで考えるとせめてその場に居合わせないことくらいしか思いつかない。
異常気象と一口に言うが、自然界のレベルで言えばこの狭い国で短期間に1億2千万人まで増え続けたことの方が異常で、自然はその適正な状態に戻そうとしているのではないかとも思える。
今回の豪雨もたまたま首都をよけただけで、もし首都を流れる河川で起きたら被害はこんなものでは済まないだろう。
時間帯によっては人口をはるかに超える人々が避難民となり、想定外のパニックの連鎖により救う側も機能不全に陥るのは明白で、運の良し悪しで語るのはもうやめて、自分の頭で考える時期に来ているのだと思う
個人的にはそのパニックの中で死んでしまえばそれで終わりだが、問題は生き残ってしまった場合である。
ただでさえこの過密都市で、必要な避難所が確保できているなどとは到底思えない。自治体が指定する避難所とそこに集まると想定されている人数をみれば、首都圏に住み、勤務することがいかに危険かがよく分かるはずだ。
これまで地震に対する防災計画などは嫌というほど見てきたが、どれもこれも楽観的で希望的な数字だけが踊り、たとえば死者数に対する遺体安置所の面積確保などは敢えて触れていないのもいかにも現実とかい離しているのがよく分かる。
これが水害ということになればさらに面積は激減し、高層ビルくらいしか頼るところは思いつかない。しかし、ライフラインが停止した高層ビルほど悲惨なものはないだろう。電気も水もない中で移動は階段を使うしかない施設では避難所としては当然機能しないだろう。
もし命があればの話だが、もっとも現実的なのは2拠点居住だ。
災害保険に加入するより何より首都の自宅以外にもう1か所離れたところに住居を設けることで時間的にも精神的にも『安心』を手に入れることができるという点で現実的な保険を掛けるとになるということだ。「別荘」?などと立派なものじゃなくても、中古車1台分で購入できる物件などこのご時世掃いて捨てるほど存在する。
たったこれだけで避難所生活やその後の被災者住宅で不便な思いをすることもなく、精神的な安定を保つことができる。
もちろん所有するだけで税金や光熱水費などの経費は生じるがそれも含めて家計を調整すればいいことで、ある程度の所得があれば可能なのである。
これまでの海外旅行、飲み屋やスポーツジム通いの代わりに農作業や森林浴を楽しむことにライフスタイルを変えればいいだけの話である。
最近起こる災害の現実を見て自分がどう考えなければならないかは、個人個人の想像力の問題であり、これもその選択肢の一つではあるが、できるだけ行政や他人を頼らないですめばそれにこしたことはない。
■住民「まさかこちらまで」=小学校に続々避難―渋井川決壊・宮城県大崎市
(時事通信社 - 09月11日 13:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3611004
ログインしてコメントを確認・投稿する