mixiユーザー(id:17423779)

2015年07月01日05:11

401 view

林望 『古典文学の秘密 (光文社文庫)』  光文社 2010年5月刊

五年前に読んだ本。
林望 『古典文学の秘密 (光文社文庫)』 http://goo.gl/0QN3Xp #bookmeter 光文社 2010年5月刊。2010年8月8日読了。

『本当はとてもえっちな古典文学』扶桑社 2003.3 の改題・文庫化。

『源氏物語』と『とりかへばや物語』だけは、歯が立たないので、原文をとばして現代語訳のみ読みました。

「『今昔物語集』もまた、作者、成立年ともに不明の作品であるが、おおむね1120年くらいには出来ていたのではないかと考えられている。すなわち、平安時代後期である。

『宇治拾遺物語』と比べると、両者共通の説話も少なくないのであるが、概して『今昔』のほうが長い話が多く、そのなかには、平貞文(たいらのさだふん)や小野篁(おののたかむら)あるいは在原業平などの物語を略述する話もあって、ここまでさかのぼってくると、いわゆる平安時代物語の世界と交錯するところが認められる。

こうして、かたや『古事記』などの神話伝説の世界から次第に時代を下がってきて平安朝の物語文学のなかの艶冶なる場面を探りつつ、かたや江戸時代の世間話から次第にさかのぼって平安時代の説話集『今昔物語集』まで迫ってきた。

そしてこの二つの流れがこのあたりで一つに交錯することを見てきたのである。そうすると、恋を最大最高のテーマとして取り扱ってきた日本文学の流れのなかに、こうして常に、からだ、性愛、色事というものに対する一貫した興味が注がれていることを知ることができたであろう。

古典文学といったところで、決して我々の自堕落なる生活と無縁の高尚なるものではなくて、まるっきり我らの煩悩に満ちた日常を写したものであることが、このことをもってよく理解せられる。

ああ、神代の昔に至るまで、我がご先祖がたは、ほんとにその道がお好きであったなあ、どんな偉そうなことを言っても、しょせん色事の快美には、心を奪われずにはいなかったんだなあと、そう思わなくてはいけない。昔の偉人の高潔なる話ばかり読んでおのれらの実生活を実際以上に低く見てはいけないのである。」 p.157 第三章 「世間話」のハチャメチャな世界

「日本の古典文学は、こういうふうに我ら現代人とまるっきり変らない恋の思い、性愛の悲しさ嬉しさなど、艶なる世界の万華鏡であって、それを読んでみれば、ああ古典というのは決して別世界のことではない、自分の今の暮らしや思いとおんなじことを書いているじゃないか、と、つくづく懐かしまれるに違いないのである。

この「ほんとうの古典」の実相をちゃんと教える、それこそがこの国の国語教育の大根幹でなくてはいけないのだが、現実はそこから隔たることはるかに遠い。」 p.211 第五章 歌謡の古典の艶なる世界

「私は、ふつう学校では読まないけれど、これほど色事についてあれこれ書いているのが日本文学なのだよと、その「日本文学」のエロス的面白さを紹介するのが自らの任務だと思い定めたわけである。」 p.214 あとがき
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する