mixiユーザー(id:10383654)

2014年09月05日17:12

85 view

あざみとヒスイ (続、スコットランドによせて)

このところ雨が多く、早朝散歩もままならぬし、三日ほど前から女房殿も不在。内閣改造の話もさほど面白くなく、ヒマを弄んでいる。
ということで、スコットランドについてのヨシナシゴトを、もうひとくさり。

スコットランドという名で直ぐに我々の頭に浮かぶのは、スコッチ・ウイスキー、タータン・チェック、キルト・スカートの兵隊さん、映画好きならショーン・コネリー程度かな?(「007」の彼より「薔薇の名前」の彼の方がウンとカッコ良かった。古い話だ(^^;;;))
だが、鎖国から開国へと近代化を模索してしていた頃の日本では、スコットランド人が活躍していた(暗躍していた?)。

坂本龍馬や西南雄藩の志士達が出入りしていた長崎グラバー邸の主はトーマス・グラバー。そのグラバーはスコットランドのアバディーン出身であり、彼を長崎に送った「ジャーディン・マセソン商会」を経営していたのも二人のスコットランド人だ。
(1859年(安政6年)開港した横浜に、同社は一番乗りで支店を出し、グラバーには「マセソン商会・長崎代理人」との肩書きを与えた)

大英帝国がインドを植民地化しさらに中国に手を伸ばし始めていた時代、かなり数のスコットランド人がアジアを目指して故郷を出た。
その背景には、一旗上げるためには「大都会ロンドンに出てイングランド人になにかにつけバカにされる(差別される)より、インド・中国など旧癖のない海外の地へ」という風潮があったように思える。学校を出たてのグラバーもそんな風潮の中の一人であったろう。
(余談だが、あのアダム・スミスもオックスフォードの学生時代にはかなり苛められたそうだし、イングランド小話には「ケチンボはスコットランド人」「ノロマはウェールズ人」としたものが多い)

ものの本によると、上海に本店を構えた「ジャーディン・マセソン商会」では、「Thistle and Jade(あざみとヒスイ。あざみはスコットランド、ヒスイは中国を表す)」という旗がひるがえっていたとか。決して「Rose and Jade(バラとヒスイ。バラはイングランドを表す)」ではなかったし、ましてユニオン・ジャックでもなかった。このことは、自らを英国人としてではなくスコットランド人と自覚していたことの証左だろうと思う。

グラバーは、幕府にではなく幕府に敵対している薩長などに武器などを売るなど、西南諸藩に肩入れしている。西南諸藩との商いはハイリスクだがハイリターンの期待できるビジネスだという面が大きかったろうが、それだけではなく、彼の心象風景には「中央の江戸幕府 vs 地方の薩長大名という構図」と、「イングランドの中心たるロンドン vs 地方のスコットランドという構図」とが二重写しになっていたのではないか?従ってスコットランド出身の彼は心情的にも西南諸藩に肩入れした。(まあ、私奴は今でも密やかにそんなことを妄想している。20年ほど前の私奴のグレート・ブリテン島周遊がスコットランドのアバディーンからスタートしたのも、こんな妄想からであった)

また、グラバーは、薩英戦争後の薩英の結びつき(島津久光・西郷隆盛らとパークス英公使と面談せしめた)に実質的な役割をはたしたようであり、さらに横浜ジャーディン・マセソン商会のスコットランド人と共に、井上馨・山尾庸三・伊藤博文ら5人(いわゆる長州五傑)の密出国・英国留学(山尾庸三はグラスゴーまで行っている)にひと役かっている。

明治4年、いわゆる岩倉使節団がアメリカ・ヨーロッパ諸国を歴訪して、イギリスには4カ月ほど滞在。使節団は、イングランドのロンドン・リバプール・マンチェスターを、スコットランドのグラスゴー・エジンバラを訪問・視察した。スコットランドでは、休暇をとりハイランド(北部の高地)にまで、足を伸ばしたようだ。知らなかったが、同行した久米邦武の『特命全権大使 米欧回覧実記』に、以下のような美しい文章があった。

 「欧羅巴洲中二於テ、山水ノ勝ニ名アル地三アリ、一ニ瑞士(スイス)、ニニ以太利、三二蘇格
 蘭(スコツトランド)ナリ、西洋の人ハ遊歩ヲ好ミ、山水ヲ愛シ、路ヲマケ険ヲ越エテモ、遠ク尋訪
 スルヲ厭ハス、蘇格蘭ノ人、他方二遊ヘハ、故園ノ山水ヲ思ヒ出シ、愴然トシテ帰心ヲ発シ、
 身ヲ終ルマテ、去テ他郷ニスム能ハスト、人ノ故土ヲ思フハ常ナリ、蘇人殊二甚タシ、豈山水
 ノ霊、人二結縁ヲナスノ深キカ、抑其民ノ性情純朴ナルカ」

「人が故郷を思うのは常だ、特にスコットランド人はそのようだ。故郷の山水の霊がそうさせるのか、そもそもスコットランド人の性情が純朴だからか」には、泣かされる!

坂本龍馬や西南諸藩の志士達は、英国は知っていても、スコトランドについては殆ど知らなかったであろう。岩倉使節団のメンバーはかってスコットランドが独立国だったことを訪英後に知ったようだが、どの程度まで深く認識していただろうか?
いや、今日の私奴らも150年前の人達とさほどの差はないみたいというのが、本当かも知れない。

(蛇足):漢字表記では、Scotlandは蘇格蘭で、Scotsは蘇人とは知らなんだ。
     ならば、スコッチウィスキーは、蘇格我好かな?(^^)
     ハイランドで蒸留所に行ったとき、そこの陽気な案内人はかなり酔っていた。
     試飲コーナーで、自らもグイグイと呑みながら、「皆さんも遠慮なく、好きなだけ」と
     言っていた。
     私奴もじゃんじゃん呑んだ。スコットランド人は、「けっしてケチではない!」と思った。
4 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する