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2014年01月03日11:13

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年男 牛の社へ 午の年

二日、毎年の我が家の恒例、北野の天満宮に初詣。午年男が午の年に牛の神社へお参りにという訳、「なあに、「午」の字にチョット角をつけたら、「牛」(^^)。


長い待ち行列の後、やっと駐車場に車を止め、大勢の人にもまれながら参道を進み、本殿で柏手を打つ。梅はまだ小さな蕾。御土居を散策し、書初めを眺め、天神矢を買い求めた。

女房殿が、おみくじを引いてケタケタと笑っている。「凶」だった。
何が可笑しいのかとおみくじを覗きこむと、「馬やせて行く道しぶる」「あなたの運勢は天神様のお詩にお示しのとおり痩せた馬がとぼとぼと道を歩むように低迷の気運にありますが、艱難辛苦に努力すれば神さまのご加護により明るい道が開けます」とあり、その「家庭」の項目のところに「家が破れればその身も滅ぶ、仲良くせよ」と。

女房殿いわく「痩せた馬(午男)ってアナタさま! 離婚するなよと言ってはる」と。

境内の茶店で、これまた恒例だが、長五郎餅を喰う。
お店の説明書きに以下のようにあった。 

天正年間と言うから今から400年あまり前の事である。
京都・北野天満宮の縁日になると決まって現れる一人の老人がいた。境内の出店の者に小さな餅(もち)を5、6個売ると去って行く。どこから来てどこへ帰るのか誰も知らない。
薄い餅皮にあんを包んだ上品な餅で、次第に評判になった。ある時、一人が老人に尋ねると「河内屋長五郎」と名乗った。

天正15(1587)年10月、九州平定を終えた豊臣秀吉は北野天満宮の松原で大茶会を催すことになり、市中に高札を掲げて上下の別なく参加を呼びかけた。
長五郎も出店仲間に言われて茶屋を出し、秀吉に餅を献上したところ大層気に入られ、「以後『長五郎餅』と名乗るべし」と命名されたという。
いまも北野下の森に店を構える「長五郎餅本舗」の由来話である。

さて、今日は映画でも見に出かけよう。
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