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2013年12月20日14:13

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出自と「海洋神の系譜」


南インドのマドラス(現チェンナイ)にあるサントメ大聖堂というのが、シリアの聖トマス(イエス・キリストの12使徒の一人)の墓所の上に建てられたモニュメントである・・・というのが真実であるとするならば(考古学的確度はかなり高いらしい)、


それが何故マドラスなのか?と考えると、陸路ではなくて彼も海路でインドにきたのでは?・・・と考えた方が理にかなう(南インドにカトリックとは別系統のクリスチャンが多い、というのも傍証であろう)

・・・後年「大海洋国家」であるイギリスもマドラス拠点に進出してくるわけだし)。



1世紀のギリシャの史書にカニャクマリについての記述が登場する・・・ということからしても、「海路交易」というものの比重はかなりのものを占めているのではないか?(多分アラビア海側の拠点はコーチンだろう・・インド最古のシナゴークがあることだし)


これを「環インド洋文化圏」という視点で考える・・となると、「アフリカ東海岸地域」も含まれますなあ・・・この時分「ヨーロッパ」はむしろ「未開の地」なのだし。


そういう意味でも、明治以来の我々の学問的アプローチの中に、無意識的に構築されている「西洋中心史観」の影響力には注意を払うべきだろうねえ。


それは同時に、「日本史における大陸中心史観」との関係にも相似するともいえるだろう・・・もう一方の流れとしての「環太平洋文化圏」との海路交易の重要性・・・その「海路」は当然マレー半島・スマトラ島〜インドネシア地域海域で「環インド洋文化圏」と交接するのだし・・・。


太平洋戦争・・日本から呼ぶと「大東亜戦争」というのも別の視点から見ると、そういう環太平洋地域&環インド洋地域への「民族的集合無意識」のノスタルジックな回帰・・という心理的運動要素も影響していたのではないか?・・とも思われるし。


そういう意味でも異端扱いされている「大野学説」の意義は重要なのだ・・・そしてこれらの「海路交易」に乗っかる形で、太古の日本の「スピリチュアリティ」がどのように形成されてきたのか?・・・と考えるとき、「海洋神」の系譜が重要な意義を持つわけである。


どうも「シルクロード」という陸路交易の概念の刷り込みが大きすぎる・・・感もあるかな?→確かNHKの番組には「海のシルクロード」という特集もあったはずだからいずれ当たってみよう。


インドの歴史的展開というのも、ついつい「アーリア人の侵入&モスリムの侵攻」という大きな流れがメインになりがちではあるが、


これも北インド中心の陸路経由の視点であるわけで、「南インド地域」の歴史的文化形成というのはそれら北からの圧迫という事情だけでなく、「環インド洋文化圏」全体での「海路交易」による発展という視点をもっと重視すべきだよなあ。


・・・となると、やはりこちらも「海洋神の系譜」が気になるのですな。


私が「サラスワッティ・イチキシマヒメ(江ノ島のサヨリちゃんね・・笑)・弁財天」なる存在を追っかけ始めたのも、大仰に言えばそのような「海洋性スピリチュアリティ」としての「海洋神の系譜」に興味があるからなのだ、


実は私の父方も母方もどうやら「遙か太古のご先祖さん」は、そこら辺に繋がってくる可能性がある・・・ということもあるしね・・・って、もちろん「ご先祖は神様だった!」などというぶっ飛んだ怪しい意味ではなく(爆)、


私の出自を「深層心理学的」視点から、「神話的起源」として象徴的に記述され得る様相ということを、追想しながらノスタルジックに遡って探求してみよう・・・ということざんす。


もっとこのアプローチが、ラマナ=アルナーチャラに代表されるアドヴァイタ(不二一元論)と、「いかように整合しうるのか?」・・・は大いに難問ですなあ(笑)
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