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2012年09月10日22:19

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純粋な熱意のオーバーラン?

滞在最後の週となったが結構身辺は忙しかったりする・・・ほとんど切れることなく「初めての訪問者」がやってくるので、ご案内業務やらお馴染みの「長広舌を振るう」解説などですな(笑)

先日数日間滞在していた青年・・・彼は人伝にここの話を聞いてやってきたのだが、ラマナに関しては「殆ど何も知らない」状態でやってきた。

しかしこのアシュラムの独特の静謐さに感銘を受け、こちらでも販売されている日本語のラマナ関連書籍を購入して熱心に読み込んでいたのだが、話をする機会があってあれこれ聞いてみると、

「到着当初はあれこれやろうと思ったのですが、今は『ただこの空間にいる』だけで満たされている感じです」

「不謹慎かもしれませんが、僕にとっては彼(ラマナ)は何だか『アイドル』みたいな感じになってしまいました」

いやいや、決して不謹慎ではないざんす、「ラマナの事が好きで好きで堪らない!!」・・・この感情からバクティが始まっていくのだからね・・・ここにまたひとり、「日本ラマナ狂の会」会員候補者が誕生したというわけだ(笑)


さてさて、どうやら年内には「ラマナ・マハルシの対話」(仮題)というラマナ関連書籍が出版される模様となった。

原題は「TALKS WITH SRI RAMANA MAHARSHI」

通称 TALKS と呼ばれ、アシュラムにとっても「聖典」扱いされている第1級、いや超1級の資料。

1935年から約4年間にわたり(ほぼ毎日・・は言い過ぎにしても)、オールドホールでの「ラマナと訪問者との間に交わされた問答」を克明に記録した書物。

数々の書籍や写真集などで「ラマナの言葉」が引用されるときも、「出典はこの本からであるケース」がかなり多い。

絶版となった「南インドの瞑想」(大陸書房刊)の中で「ごく一部」のみ翻訳されたが(翻訳はおおえまさのり氏)、「完全翻訳版」はこれが初めて。翻訳はおなじみ福間巌氏なのだが、現地在住の日本人数名が下調査に協力しての作業でもあり、「かなり精密な翻訳内容」が期待される・・・・・

さてさて、今日の話題は「南インドの瞑想」という書籍について最近考えたこと・・ざんす。


現在までに翻訳出版された「ラマナ関連書籍」は全部で8冊であるが、この「南インドの瞑想」は80年代前半に出版された・・・同じ頃にめるくまーる社から刊行された「ラマナ・マハリシの教え」(山尾三省氏翻訳)と共に、
それまで「ごくごく一部のかなり限られた人たち(例えば故・佐保田先生の指導する「日本ヨーガ道禅友会」の機関紙創刊号(73年)で紹介されているので、そこの系列のヨーガの先生たちなど・・他には山田孝男氏や橋本創造氏らの指導する瞑想グループなど)」しか知ることがなかったラマナ・マハリシという存在を、

80年代辺りから台頭し始めた「ニューエイジ」思想に共振する人たち・・に広く知らしむる端緒となった書籍である。現在50代以上の世代にとっては、この書籍によってラマナを知った人達は相当数に登るであろう(もちろん私もその一人である)。


「ラマナ・マハリシの教え」の方は山尾氏の名訳として現在でも高く評価され、何度も再販され多分現在でも絶版にはなっていないのではないかな?・・・先日日記に書いた「カール・ユングによる巻頭言」が収録されているのもこの書籍である。


で本題である「南インドの瞑想」という書籍はその後「ちょっと不幸な運命」を辿る事になる。

先ずは版元である「大陸書房」の倒産・・・その結果多くの再販希望があったにも関わらず実現しなかった・・ということもあって現在絶版・・・そしてかなりの高価格で取引されているらしい。

そしてさらに不幸なことには、故・柳田先生があまりこの本に関して好意的ではなかったということ。

・・・実際この書籍にはかなり「問題がある」のである。

一つには、「ラマナ・アシュラムに許可を得ず発刊してしまった(らしい)」ということ。

日本で翻訳出版されているその他全ての「ラマナ関連書籍」は、アシュラムが著作権を有する原本(英語版)から、「翻訳者がそのまま手を加えずに」正式な許可を得て刊行されたもの・・であるのだが、

要するに「南インドの瞑想」は、おおえ氏が「独自の意図に基づいて」編集した内容・・なのですな。

・・・で3つのパートに分かれているのだが、1つ目と3つ目は後年になってそれを引用してきた原本自体が正式に翻訳出版された。

しかし一番肝心な2番目のパートというのが、先に紹介した「TALKS」からの抜粋引用なのである。

であるが故に「価値があった」わけでもある・・・ただしその抜粋・引用が例えば「任意の章丸ごと」ではないため、どうしてもおおえ氏個人の意向というバイアスがかかってしまう・・というのが、ラマナの教えの紹介には大変厳格で情熱を傾けていた柳田先生としては「評価できない(先生は「学者」でもあったから)」理由だったそうだ。

(ただし先生個人としては、「この本に導かれてラマナを知りのめりこんでいく契機となった本である」・・とは言われていた)


そんな事情もあって、私としても「初心者入門用としてはかなり秀逸な編集」だとは感じつつも、あまり高く評価出来なくなっていた・・・そこへ持ってきていよいよ「TALKS」が出版されるとなると、この本の「書籍としての価値」は大幅に下落するのではないか?・・とすら思う、それで中古市場での価格も「適正水準」に下がっていただければ大変有難い(笑)


しかし、私個人としてはこの書籍を「不当に評価する」のは間違いではないか?・・・と最近になって考えなおすことになったのだ。

確かに「かなり問題の多い書籍」であるし、「TALKS」が翻訳されたら大いに価値を減ずるであろうことは致し方ないとしても、

おおえ氏の「情熱」までも批判するのは果たして適切なのだろうか?・・・という疑問である。

まだ全然ラマナの事が知られていない当時にあって、おおえ氏は「このラマナという存在と教えを是非日本にも紹介したい!!」という強い情熱でこの作業にあたられたはずである。その結果としてあれこれ問題を孕み不幸な扱いを受ける羽目になってしまったのだが、それはいうなれば、

「純粋なる熱意のオーバーラン」・・・なのではないだろうか?


現在私も「ラマナの存在と教えを日本語で詳しく紹介する」事を自らの役割と任じているわけで、私が書いている記事は一切合財「個人的に勝手なお世話」としてやっているわけで、なんら「アシュラムから認知されて、正当性を保障されている」わけではない。

というわけで、いかにも私らしい「アバンギャルドな表現?」も反映するから、品行方正で真摯で真面目な信奉者諸氏からいろいろご批判も頂くこともあるのだが、あくまで要するに熱烈な「ラマナ狂の一日本人」の個人的営為に過ぎないのだ。

・・・かくして私もおそらく今後も「純粋な熱意のオーバーラン」を繰り返すことだろうが、どうかご容赦願いたいざんす!!!


ここに改めて「不当に評価してきてしまった」おおえ氏の仕事に対して、謝罪と賞賛の意を表するものである。

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