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2010年10月16日20:03

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死と対峙した体験がもたらすもの

チリでの鉱山落盤事故の生存者全員救出!!は、大変感動的な出来事ざんすね・・もちろん今後様々な問題が出てくるだろうし、大統領が政治的に利用した云々ということもあるにしても、ここは素直に祝福したいではないか!!


さてさて長期間に渡って「深いところに閉じ込められる」・・・という状況は、潜水艦もまた然りなわけで、私もかっては乗務員としてそういう閉塞状況下での生活を体験したことがある。


しかしまあ、私の場合は長くて2週間ほどの航海だったし、あくまで平和時の「通常訓練」での状況であり、特に命の危険を感じるようなトラブルに見舞われたわけではないから、この33人の心理状況とは到底かけ離れたものでしかない。


では果たして戦争中の潜水艦の中では、そこに乗り合わせた人たちはどのような心境だったのだろう・・・・。


私のラフターヨガ仲間で三鷹台ラフターを一緒にやっているYUKAさんとは、リーダー講習会の同期で仲良くなって色々お付き合いが始まったのだが、後になって不思議なご縁があることがわかった。


彼女の父方の祖父という方が、旧海軍主計中佐(終戦時は大佐)であり、戦時中に「潜水艦に便乗して」ドイツに行き、ベルリンの海軍事務所に駐在されていた方・・・だったのである。


この「潜水艦でドイツに行く」というのはどういうことか?・・というと、


戦争中連合国の制海・制空権制圧によって、日本とドイツ間の陸路及び海上交通路による実際的な人的・物流的交流はほぼ完全に断たれてしまったので、それを打開する為に

潜水艦でインド洋から喜望峰回りで大西洋に抜け、ヨーロッパに到達しよう・・と言う計画であった(計5回実施されドイツに到着できたのは3回・帰路日本まで戻れた「完全往復成功」は1回のみ。)

通称「遣独潜水艦作戦」↓
http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/sensi-zantei/sensi-igo1.html

この中の第4次である「イー29潜」に、YUKAさんのお祖父さま(以降文中ではI中佐と呼ぶ)は、シンガポールから乗艦されたのざんすね。

この「遣独潜水艦作戦」についてはもちろん戦史として知っていたし、これを題材とした「深海の使者」(吉村昭著)という作品ももちろん読んだことがあるのだが、何とも身近なところに当事者の縁故者がいらしたわけだ。

そのI中佐は幸いにも戦後復員され天寿を全うし95歳で逝去されたのだが、回想録を自家出版されていたのでYUKAさんから拝借して一読してみた次第。

シンガポール出航(I中佐自身は内地から空路シンガポール入りされた)が昭和18年12月17日、ドイツ占領下のフランス・ロリアン軍港入港は19年3月11日、86日間の航海(もちろん無寄航である)で、それはそれは大変なご苦労であったようだ。

それで特に興味深かったのは、

「われわれ便乗者は戦闘配置につくのではないので、ただただ艦底の狭い仮設ベッドで、生(色)即是空、生死一如を念じつつ、じっと生と死との間をさまようだけであった」

という記述である・・・さよう乗務員ならば任務があるからある程度意識は「任務遂行」そのものに集中することで、「死の恐怖」は薄らぐものかもしれない(これは「刃傷事件」で私も何となく実感できた)が、

I中佐他便乗員たちは「いつ敵の爆雷でやられる(まず助からない)かもしれない」という状況を、「ただじっとしている」しかなかった・・・わけである。

こういうギリギリの精神状況を体験したI中佐は、

「私は人間は何ゆえに死を恐れるかを考えた。理由は二つ、すなわち一つは生への執着、いま一つは死ぬ時の苦痛の想像であると結論した。生きたい生きたいと欲望するからこそその断絶が怖い。生即是空と照見できれば、あえて死を恐れることもないはず。また現実に激しい苦痛にあえば、かえって死を選ぶこともあろう。苦痛の想像すなわち取り越し苦労が、死を恐れさせるのである。」

という結論に達したそうである。

晩年は気功法始めあれこれの身体技法にも取り組まれたようで、

「身も心も放ち忘れて宇宙大生命に投げ入れ全托し、そのはたらきに従いもてゆくとき、邪気は払われ正気が充満し、元気はつらつ、生きる悦びを満喫することが出来る」

・・・という、天地人合一の境地にも達していらっしゃったようだ。

やはり「死と対峙した」体験を持つと、人は「何ものかに生かされ在る」という感覚をリアルに直覚し、「揺るぎなき確信」になっていくのだろう。


追記

 I中佐はその後ベルリンの海軍駐在員として滞在され、ドイツ崩壊直前の45年4月14日に中立国スウェーデンに脱出、ここで拘留され終戦を迎えられた。

・・・でまあ、これはあくまで私の推測だが、高級軍人であり駐在武官であるからには、I中佐はドイツ政府からあれこれの接待を受けたものと思うのだが、もしかしたらドイツ政府主催のクラシックコンサートなどにも招待されて、フルヴェンやクナの実演を聴いたことがある!かもしれない・・・ざんすねえ(笑)


参考までにドイツ側の当時のニュース映画に、第1次作戦での「イー30号潜水艦」のロリアン軍港到着時の歓迎風景が残されている↓



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