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2011年08月10日19:34

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【第1部】なぜ涼しかったか――舞台美術論

うちは劇団にもイベントにもスタッフがいないため、たとえば舞台美術はまったく畑違いの僕が考えております、わっはっは←



そもそも僕をこの方面で牽引してくれたのは、斎藤義重を起点とし李禹煥・関根伸夫・菅規志雄と続いてきた、いわゆる「もの派」の系譜です。いわく、作品を世界から切り取って自己の所有物とするのではない、世界の潜在的な深さや意味を観衆の前に紹介するシグナルとしての作品なのだ、と。

その通りなのでして、日本の戦後芸術の3本の柱とも言える、立体・俳句・モノクロ写真はそのどれもが等しく「紹介者」としてのシンプルで寡黙なスタイルを採ったのでした。

ありていに言って僕を演劇に突き動かした唐十郎・ビューヒナー・宮澤賢治そして北村想も、みな、世界を所有することをものすごく早い時点で放棄し、世界の紹介者として働き生ききった人たちです。てか唐と北村は存命ですが。

10年ほど前、おもに大阪の劇作家久野那美さんとのやりとりのなかで僕は自分の上演スタイルをイメージしていったのですが、そこでもやはり、我々は語り手にすぎず、我々の背後にはなにか巨大なものがあるようだ、ということを語り合った記憶があります。

そしてProject麗舞、劇団12、どくんご、裸団光る電気、ベビー・ピーとの共同作業のなかで、俳優論は格別としても演劇論ぜんたいとしての僕の位置は、世界と観客とを繋ぐ「窓」「トンネル」としてこんにちまで動いてきました。



日曜の舞台はなぜに涼しかったのか。気温は高かったですが。

僕は何はともあれ、観客を、座敷を吹き抜ける風に「乗せたかった」。観客席背後からの陽光をどうやって裏庭の緑の爛漫まで吹き抜かせ、そこに観客の魂を乗せてどこか遠い高みのアジアの冷涼に届かせるか。そういうことばかり考えていた。

演目は出揃っていたので、あとは舞台上の構成だけでした。



写真:
1.レフ板(裏面から)
2.風鈴(女性は黄々野エチカさん)
3.なまず



障子レフ板の採光で浮かびあがる幽玄に、コギリと風鈴とセミしぐれの三重奏、そして矩形の座敷と相似の関係にあるナマズの水槽。なまずが時折ふっと浮上することは遠くかすかに、ダンサーや俳優たちの息づかいとシンクロしている。なまずの無表情のようなにやけ顔は、宮目姫や青木六郎の精一杯生きた十代のはにかみそのものでもある。風鈴は、生のきらめきそのものとして(つまり自分自身の若さとして)観客の心の芯を震わせる。

すべてが作為のようで、しかしすべてが元からあるものばかりである。



麦とろごはんは、なんだったでしょう。あれは食事ではなく「糧(かて)」でしたよね。ひとくちの麦とろを胃に運ぶことは、「昔から決まっているはなむけ」として観客に作用したはずなのですね。とろろを通して観客はみずからを大友や犬の群れやうなぎなってるあたりの「なにもないふるさと」に重ね、遠くを見た――。

すべてが作為のようで、しかし僕らは元からそこに普通に生きていた。



そういう魔法が僕の目指す演劇ですし、今回はお客の顔の明るさが違いました。だいぶやれたと思っています。

幸福な気持で帰路に着いていただけたなら、望外の喜びでございます。












第2部は9月18日でーす。乞うご期待(^^)ノシ
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