バクティという件に関しては、これはもう私には「揺ぎ無き確信」がある!
・・・ラマナ=アルナーチャラについて語れ!と要請されたなら、「真我探究の教え」についてはさて置き、その「比類なき恩寵と臨在」についてならば、いついかなる状態であろうと熱烈に際限なく語り続けることが出来るざんす。
沈黙の聖者と称されるラマナが、何だってまたこんな「べらべらしゃべる奴(爆)」にその恩寵をお与え下さるのか?・・・
サットグルにしてみれば特に深い意味は無く、ただただひたすら「無限の愛・慈悲」というものだけなのかもしれないが、こちらからの見解としてはやはり「宣伝屋・案内屋」的な役割(神様の道具としての)を振られたのであろう・・・と思うわけざんすね。
だからそれについてはあんまりシステマチックに物事を進めようという気にはならないし、私の持つ様々な情報を必要とする方は向こうからやってくるわけざんす・・・そしてもちろん私としては相手が誰であれ、自分の知る限りの情報をお伝えすることを信条としている。
でまあ大変残念ながら?この業務に関しては基本的に「料金を課す」わけにはいかない・・・というのが煩悩にまみれた俗物である私にはなかなか辛いところなわけなのだ(爆)
一応私はヨーガの先生なのであるが、このバクティというものが私自身が「ヨーギ(ヨガ行者のことね)」であることの最高の根拠?であるが、これは料金化したくてもそもそも「マニュアル化」自体が不可能である。
前置きが長くなった(毎度のことだが・・笑)。
さて一番素晴らしい宝物を商品化出来ないわけなのだが、では一体私個人としては何をどうしたいというのだろう?・・・実はこの命題が48年人生をやってきて未だにクリアしきれない、というのが実情である。
ただしヒントだけは掴んでいる・・・それは「夢見る力」とでもいうべきものなのだ、あるいは「魂に強烈に働きかけてくる何ものか?」という表現の方が適切かな?
それは少年時代の演劇出演体験から始まって舞台俳優として精力的に活動したり(現在でもその末席にいたりするし)、高校時代にはクラシック音楽との出会い(ベートーヴェンざんすね・・・後にはブルックナーとパガニーニ、最近ではフォーレ)というものがあり、20代最後からは「旅」というものも然り。
その旅の途上でヨーガをやるようになって、その関連でクリシュナムリティの教えに強烈にひきつけられ、やがてラマナ=アルナーチャラに掴まってしまったわけでもあるざんす。
こういう風なので結果的に「堅気の職業・生活」とは全然違う思考・価値観の人生とならざるを得ない・・・それでも40歳くらいまでは「もうこれを最後にして腰を落ち着けて云々・・」という未練というか悪あがき?もしたのだが(爆)
結局これまでの人生の様々な局面で、この「夢見る力・魂に強烈に働きかけてくる何ものか」である方向に舵を切り続けているわけである・・・もしかしたらとっくにホームレスになっていてもおかしくないのだが、どういうわけか「恩寵により生かされて在る」わけざんすね。
で、「お気楽脳天気ヨーガ・ワークショップ」なるものも、ある意味ではまだまだ私個人の「試行錯誤・悪戦苦闘」のプロセス途上のものなのかなあ?・・・という想いがこのところ強まってきている。
実は何か一つ「突き抜けきれないもどかしさ」があるのざんすね・・前回の長旅でいくつか成果はあったのだが、それをしっかり纏め上げるには至らなかった・・・とでもいう感じだろうか?
そこの部分に「これだ!」という確信、霊性の道においてバクティというものに対して持っている「揺ぎ無き確信」と同じレベルのもの・・・それをこそ私は希求し続けている・・というのが実体であろうと思う。
「ヤマトアンナマライ」の本格的な活動になかなかエンジンがかからない・・・というのはもちろん私自身のウルトラナマケモノとしての性格が主要因であることは否めないが(笑)、
やはり活動に当たっては、私は「夢見る力・魂に強烈に働きかけてくる何ものか」からの&向かってのエネルギーを必要とする・・・たとえ生活が困窮してもギリギリまでそのことにこそアプローチしていく必要があるのではないだろうか?
いかなる不利益を蒙ってもその点で妥協してはならないざんす!
・・・もっともそれ自体が御神意に則ってなかればどうにもならない・・・それをどうにかして!となるとこれは単なるエゴの足掻き(爆)
さてさて、ラマナ=アルナーチャラは私に何をどうされようとなさるのであろうか?
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