ニーチェは「なぜ私はかくも利口なのか。なぜ私は良い書物をかけるのか。かくも鋭利で優秀な私を見よ。私はアレキサンダーで、ナポレオンである。」そして発狂して死んだ。讃美歌121番「この人を見よ」の「この人」はイエス様である。我々はイエス様を見る。
ボランティアで第5週の月曜日に他所で礼拝をしてきた。私はイエス様に使えることを一番にしてきた。マルコの福音書はマルコがイエス様のことを伝えようということだけを目的に書いた。マルコには弱点があった。伝道旅行など困難に合うと途中で逃げた。そして
2週連続で休んだ(オーストラリア旅行)。バッハの「キリエ・エレイソン(主よ憐れんでください)。我々はよくこのようにお祈りする。毎日このように祈る人もいるかもしれない。バルテマイは忠実な神のしもべだが、彼には過去がある。彼はエリコのそばで物乞
マタイは取税人であった。しかし「私についてきなさい」と言われ、イエス様に従い弟子になり聖書の「マタイによる福音書」を書くまでになった。主人を殺し金を奪った男が十勝の刑務所に行った。お母さんが聖書を送ったが彼は読まなかった。しかしある日夢を見
ガザを支配しているハマスの息子の本。パレスチナの内部は滅茶苦茶だった。その息子はイスラエルで捕虜になった。彼はイスラエルでは捕虜にも一定の自由が与えられていることに驚いた。ユダヤ教では読めない新約聖書も置いてあり彼はそれを読んだ。「敵を愛せ