徳川期に描かれた屏風絵を見ると、宮島の船着き場は今よりも神社寄りにあったようです。当時も観光のメッカだったようで、参道にはたくさんの店がならび、人々は茶会をしたり水遊びをしたり、思い思いに羽根を伸ばしています。家人から「おみやげはSweetを」
宮島へは渡し船で15分ほど。島外に通勤・通学している人も多いようで、観光客ばかりというわけでもありません。海に浮かぶ朱色の大鳥居が徐々に近づいてくると、まるで竜宮城へでも行くようなドキドキ感。「さすがは、アイデアマンの清盛さんやな〜」と感心し
弥山(ミセン)の頂きにあるお堂には、かの空海が焚いたという護摩火が、今も燃えています。その上に不気味なほど年季のいった大釜がかけられ、お湯が沸かされていて、万病に効くらしいので一口いただきました。これまでたくさん霊場をお参りしましたが、こういう
神社のうらからは、宮島の最高峰・弥山(ミセン)に登ることができます。一応ロープウェイは通っていますが、探検家には無用のもの!・・・と意気込んで出発したものの、けっこうバテバテ。山中には目を見張るような巨石がゴロゴロしていて、まさしく”神の島”と
神社の周辺には野生の鹿が暮らしています。奈良公園の鹿を見慣れている私には、さして珍しい光景でもありませんが、世界的に見るとかなり珍しいらしい。こちらの鹿は島国そだちのせいか、奈良よりもオットリしているようでした------------------------------
厳島神社と言えば、平安時代の面影を残す数少ない遺構であり、当然国宝。さらには世界遺産・・・と、いかめしい肩書がついているものの、参拝者たちはいたる所で写真を撮りまくり、回廊にへたり込んで景色をめで、そのまま海におりてしまう・・・と、案外自由
宮島って、ポツンと神社があるだけの小島かと思ってたら、結構デカイうえに、ホテルやら土産物屋やら、めっちゃ観光化されてました------------------------------------- 『高倉院厳島御幸記』 やっとのことで宮島に到着した高倉院一行は、お祓いを済
広島県の厳島神社を参拝。お宿は9割がた外国人。しかも相部屋なのでめっちゃ緊張しました-------------------------------------『高倉院厳島御幸記』治承四年(1180)、高倉天皇は平清盛の圧力により譲位させられ、休む間もなく清盛ゆかりの厳島神社へ