小田急の車窓から白い頂の富士が見えた。昨日の雨はやみ、晩秋のそらはカラリと晴れ渡る。ジジイ二人の大山詣で、御講の名前をなんとしょ、バクチ好きの相棒だから「かけ事やめと講」とでもしておこうか。伊勢原駅も大山ケーブル駅も、 おばちゃん、おばちゃ
旅の落葉が しぐれに 濡れて 〜昨夜降った雨も夜明けとともに上がった。うつらうつら居なむりながら、着いた先は西立川の「国営昭和記念公園」紅葉が色よく装い、イチョウも、いいちょうしで色付いてる。 その下に続く金色の道、吹き寄せは薩摩鼠。
「火事 喧嘩 伊勢屋 稲荷に犬の糞」なんていうが穴守稲荷の膝元で犬の糞ならぬ鼻くそをほじってるOKI,一番お金のご利益があるのは向島の三囲神社らしい。なんたって、あの三越デパートの屋上にあるくらいだもん。ご利益、ご利益 三越屋上のお稲荷さん
さてこの女優、松井須磨子という明治大正にかけて活躍した舞台女優である。一般的には、監督でありプロデューサーで脚本家でもある島村抱月と不倫の末抱月亡き後お遠い自殺するという、純愛がとられているが、この本は松井須磨子の本質を書いている。須磨子と
名古屋から帰る高速は新東名高速道路、いつの間にできたの?従来の東名高速は何度も走って格サービスエリアの風光明媚も充分しっているが、新東名はどうなの?夜中のドライブだからさっぱりわからん?腹が減ったので静岡SAで夜食、幾つかの料理ブースがあるけ
私のマイミクさんで万博村の会. をご存じの方は多いはず、この会を通じて知り合ったメンバーもたくさんおられる。10年前に知ったのに、日本に居なかったこともあり、イベントに参加したことは一度も無い。一度は参加しなきゃと思いつつ、今年こそと思って
花と緑の夢あいち2015に寄るべと、早朝、6時に名古屋入りした。早く着きすぎ!とりあえず、周りに見せがあくまであぐりん村の駐車場で仮寝。それでもまだ早い。たんぼには、コスモスがなびく。 市の貸農園も充実している。ござらっせ温泉のカフェが開店
今回の旅の目的でもある墓参り。不肖の息子の墓参りをすませ、相棒を町のシンボル、積水城を案内。この城山の麓に我母校がある。高校生当時、ヒットしていた曲が梶光夫の「青春の城下町」矢羽の袂の女性はいなかったけど、何かにつけよく登った城である。
五箇山からOKIの田舎、郡上八幡に帰る途中、ひるがの高原SAでお昼を食べる。たしか、昔は、「蛭ヶ野」と漢字だったがOKIに知らない間にひらがなになった、かんじわるぅ〜蛭ヶ野は分水嶺である北にながれるのは庄川。南に流れるのは長良川、その源がひるがのな
先を急ぐので東海北陸自動車道を使う。急ぐ旅でもありながら少しは観光もしたい。するとなったら、世界遺産の合掌造り、白川郷、五箇山、いろいろ勘考するが天気もあやしくなってきたし自動車道から一番近い菅沼集落へ敢行。OKIも相棒も、この地域からさほど
朝の富山市は静かだ。開店間無しのショッピング地下。手土産用の鱒寿司を買う。トランクに放り込んだあと佐々成政の居城、富山城へ。庭園には紅葉が冴え、富山出身の相棒も,しばしうっとり。 資料館もあるが此処は佐々氏の言葉に甘え、サッサと次の目的地。
写真を取り込むのにわずか三枚程度に一時間もかかる。あまり遅いのでなぜこうも遅いのか検索したら、パソコンの環境を整理しよう。いらない物を捨てるとか整理するとか、いわば散らかり過ぎて探すのに手間取り時間が掛かるという事らしい。そうか、パソコンを
藤岡から上信越自動車道とコースを変える。藤岡は渡米する前の記憶がある。身辺を丸投げにしたあのころ、夕刻から関越を走った。ラジオから流れるのはDJでもなく、音楽でもなく、ただひたすら、飛行機の行方と搭乗者の氏名。飛行機は御巣鷹山と判明。寄居だか
今、日記をを書いてます。上の上部につけられる写真は貼る事ができるけど文中の写真がアップできない。取り込みする「フォト」や「コレクション」の項目が無い。つまり、MIXIのアルバムに追加写真や新規アルバムが作れないのだ。この問題、OKIの薬缶頭ではど