今日で2021年、令和3年も終わり。平凡な1年だったなと思ってみたけれど、思い返してみれば親戚に不幸があったり、それに関連して不愉快なことがあったり、コロナなんてのもあったりと、なんだかんだと色々あった。明日からはもう2022年、令和ももう4年目を迎
ドゥルイド(Druid)はイギリスのプログレッシヴ・ロック・バンド。同国の音楽雑誌「メロディ・メイカー」の無記名バンド・コンテストで優勝したんだそうな。2枚アルバムをリリースしているけど、僕はデビュー盤しか持ってない。でもそれが大好きな1枚。「大
ドクター・ジョン(Dr. John)の演奏はかなり前から聴いていた。例えばリンゴ・スターのアルバム「Rinog」でご機嫌なセカンド・ライン的ピアノを弾いているのなんて、小学校6年生くらいの時には聴いていたと思う。ただし、それが「ドクター・ジョン」だという
ドアーズ(The Doors)はアメリカのバンド。世界ではどうなのか分からないけれど、日本では結構コアなファン、というか最早カルト的人気を誇っているように思う。なんというか……「君、ロック好きだよね?だったらドアーズも好きだよね!」と変に強要されて
僕が初めてドゥービー・ブラザーズ(The Doobie Brothers)を聞いたのは、ラジオ番組「全米トップ40」で「Take Me In Your Arms」がヒットした時。この事については何故か良く覚えている。「ご機嫌な曲だなぁ!」と思った後に、湯川れい子さんが「モータウン
シェビーサバー(Cheb I Sabbah)はアルジェリア出身の作曲家・プロデューサー。10代の頃にパリに移住し、そこでDJを始めたという。実はこの人に関してはあまり詳しく知らない。上の文章も英語版のウィキを訳したものを要約して引用しただけだし、日本語表記
以前にもミクシーのどこかで書いた記憶があるけれど、僕がダイアー・ストレイツ(Dire Straits)を初めて聴いた時の印象は「あれ、ボブ・ディランの新曲?」だった。マーク・ノップラーの歌声とか歌い方がディランにそっくりだったのだ。ダイアー・ストレイツ
ニール・ダイアモンド(Neil Diamond)はアメリカの歌手。SSWといってもいいように思う。モンキーズの「I’m A Believer」やディープ・パープルがカヴァーした「Kentucky Woman」、UB40がカヴァーした「Red Red Wine」なんかを書いた人でもある。ロック・ファ
デヴィルズ・アンヴィル(The Devil’s Anvil)はアメリカのロック・バンド。アルバムは1枚しかリリースしていないが、そのタイトル「中東からのハードロック」が示す通り、中東からやってきたロック・バンドである、というのは真っ赤な嘘で、実はフェリック
デング・フィーヴァー(Dengue Fever)はアメリカのバンド。在米カンボジア人のチャウム・ニモルという女性ヴォーカルを中心に、カンボジアン・ロックとサイケデリック・ロックを掛け合わせた音楽をやっている。なんて書いているけど「カンボジアン・ロックっ
ディープ・パープル……ごくごく自然にいつの間にか聞いていました的なバンドの代表格。僕がゼップを聞き始めたのが中学1年生くらいだから、多分パープルも同時期に知っていたと思う。僕が中学くらいの時は、パープルとゼップを比べて「俺、パープルの方が好
デフ・スクール(Deaf School)はイギリスのバンド。1973年に結成されて3枚のアルバムを作って1978年に解散。2000年代に再結成してボツボツとアルバムをリリース。僕はこのボツボツのアルバムは実は聞いたことがない。僕が持っているのは「The Anthology」と
デッド・カン・ダンス(Dead Can Dance)はオーストラリアのバンド。結成は1981年、オーストラリアなんだけど、そこでは成功しなかったみたいで、イギリスに移って4ADと契約してから人気が出た。1998年に解散。なんて知ったかぶりで書いているけれど、実は200
ホルガー・シューカイ(Holger Czukay)はCANのベーシストだった人。CAN解散後はソロ活動で様々なタイプの作品をリリースしてきた他、ディヴィッド・シルヴィアンとかマーズ・ヴォルタらと共演もしていた。日本ではウィスキーのCMで「Persian Love」が使用さ
C.C.Rを初めて聴いたのは、多分おなじみのラジオ番組「全米トップ40」だと思う。この番組では年代関係無しに色んな音楽を紹介してくれたので、リアル・タイムではないヒット曲もオン・エアしてくれていたのだ。初めて買ったのはベスト盤。なんかオリジナルを
エリック・クラプトンの時にも書いたけれど、僕が初めてクリームを聞いたのは、「エリック・クラプトンの歴史」という2枚組のアナログ・レコードだった。ここにはヤード・バーズからデレク&ザ・ドミノスまでクラプトンが関わったグループの音源が収められて
エルヴィス・コステロもいつ、どうやって知ったのか、とんと覚えてない。多分雑誌なんかで、やれスティッフだ、やれパブ・ロックだ、と騒がれていた頃に名前くらいは知ってのかも知れない。じゃ、音は?と訊かれても「うーん……」と唸ることしか出来ないけれ
サム・クック(Sam Cocke)はアメリカのソウル・シンガー。33歳で夭折。ってか、色々あって殺されちゃった。初期の彼は「You Send Me」とか「She’s Only Sixteen」とか「Wonderful World」といった循環コードを使用したようなシンプルな曲が多く、歌い方もソ
ライ・クーダーをいつ、どうやって知ったのか、全く覚えがない。ただ、アーリー・タイムズのCMに出演していたのが1988年。そのCMを見て「あ、ライ・クーダーだ!」と驚いたのを覚えているから、1988年前には少なくとも名前は知っていたことになる。まぁ、その
コーマス(Comus)はイギリスのバンド。僕のプチ・プログレ・ブームの中で知ったバンド。ウィキによるとプログレッシブ・フォーク・バンドとのこと。このバンドの音を上手く形用するのは大変そう。プログレと言われればそうかも知れないけど、そうでもなさそ
僕がライヴを体験した数少ないプログレ系のバンドの一つがこのコロシアム(Colosseum)。ミクの日記を読み返してみると、2007年2月19日にクラブチッタで観ている。メンバーはJon Hiseman (Drums)、Chris Farlowe (Lead Vocal)、Dave Greenslade (Keyboards)、
引退したり復帰したり、また引退したと思ったら今度はジェネシス再結成だったり、再結成したはいいけどコロナで延期を重ねたり、と何気に忙しいフィル・コリンズ。脊髄の手術のせいで手が不自由になり、テニスの全米オープンで歌唱した時は息子にドラムを叩か
ちょっと前にジョージ・クリントンの「再聴」をやったんだけど、今度は同じくPファンクの重鎮の一人、ブーチィー・コリンズを(Bootsy Collins)。この人、ベーシストで、Pファンク一派に加入する前はジェームス・ブラウンのバックで演奏していた。確かドラッ
もう41年も経ってしまった……。Don’t Let Me Down Rehearsal / The BeatlesDon’t Let Me Down / The BeatlesInstant Karma (We All Shine On) / John LennonWatching The Wheel / John Lennon
ナット・キング・コール(Nat King Cole)はアメリカのポピュラー歌手。ナタリー・コールのお父さんでもある。ネットではジャズ・シンガーとなっているところもある。これはもう僕の母親からの影響。ハリー・ベラフォンテなんかと同じように幼稚園くらいから
レナード・コーエン(Leonard Cohen)はカナダのSSW。1967年にデビュー、2016年に82歳で死去するまで作品を作り続けていた。僕はこの人が大好きなのだけれど、彼を初めて知ったのはおなじみのラジオ番組「全米トップ40」。「Dance Me To The End Of Love」が
僕がPファンクを初めて知ったのは、ラジオ番組「全米トップ40」でパーラメントの「Give Up the Funk (Tear the Roof off the Sucker)」を聞いた時。調べてみたら1976年の事で僕がまだ中学生の頃だった。その頃はパーラメントもファンカデリックも日本ではアル
僕とザ・クラッシュの出会いについては、以前の日記にも書いたので割愛(本当は再び書くのが面倒なだけなんだけどね……汗)。もし興味があるという奇特な方がいらっしゃるのであれば、2019年3月4日の日記を参照していただければ、と思います(かなりアホな文
昨年に続いて、今年もSpotifyからMy Top Songs 2021というリストが送られてきた。僕はずっと「これはSpotifyで聞いた回数の多い曲のチャートだ」と思っていたのだが、実はそうではなくて、単純にSpotifyで聞いた回数の多い曲を任意の順番でリストにした、とい
エリック・クラプトン……これはもう、ロックを聞き始めて直ぐくらいに自然に名前を知っていたかと思う。多分ゼップを聞き始めてからは、ヤード・バーズだの三大ギタリストだのベック・ペイジ・クラプトンだのクリームだの、と事あるごとに名前に触れていたか