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2014年10月31日01:11

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『夢神の薔薇』後編

『夢神の薔薇』後編


 太陽はないのに天には青空が広がり、清澄で明るい光が満ちている。地には咲き乱れる可憐な花々。空気はどこまでも優しく、穏やかな西風が吹いている。そしてその中にそびえたつドーリス式の荘厳な神殿。
 エリシオンにやって来たカノンは、その白亜の神殿を見上げて、吹き出した。
「しかしお前の神殿とはな、ラダマンティス…」
 くつくつとカノンが笑う。
「いやあ、お前って偉い奴だったんだな。自分の神殿を建てるなど、おれでも思い及ばん」
「そうからかうな、カノン」
 遠慮なく笑うカノンの横でラダマンティスは憮然とした。
 誕生日当日、ラダマンティスは休暇をもらった。さて、どう過ごすが、と考えて、久々にエリシオンにある自分の神殿に足を運ぶことにした。放置気味だったのでどうなっているか気にかかっていたというのもある。陰惨な地獄を離れて、たまにはエリシオンでのんびりしよう、という気持ちもあった。そして「誕生日を一緒に過ごさないか」と、エリシオンの自分の神殿にカノンを招いたのだ。
 正面にある重い青銅の扉をラダマンティスは開いた。
「まあ、入ってくれ、カノン」
「では厄介になる」
 建物の中は閑散としていた。手入れはニンフに任せていたのだが、やはり普段住んでいる者が誰もいないだけに、どこか荒れた印象がある。広大な広間を通り抜け、二人は中庭に出た。
「あそこの奥が客間だ。とりあえず入ってくつろいでくれ」
「ああ」
「おれは双子神とパンドラ様にご挨拶をしてくる。ちょっと待っていてくれ」
 そうしてラダマンティスは神殿を出て行った。
 一人になったカノンは中庭を散策した。庭も、エリシオンだけに花はふんだんに生えているが、やはり普段の手入れは行き届いてはいないと見えた。咲いている花々は無造作で伸び放題だ。そんな花々の中に、薔薇の苗木があった。新しく植えられたと思しきその薔薇にカノンの目がとまった。
「へえ、なんだ、ここだけ新しい…」
『ようこそ、カノン様』
 カノンは目をしばたかせた。
「…しゃべった?薔薇が?」
 まさかなぁ、と思ううちにも薔薇は言葉を重ねた。
『私は薔薇の精です。あなたにお会いできてうれしく思います』
「…冥界には色々変ったものがあるんだな…」
 そうしてカノンは驚きを飲み込み、自分を納得させた。
「お前はおれのことを知ってるのか?」
『はい。ラダマンティス様はあなたのことをよく夢に見ておいでです』
「あいつが?おれを夢に?」
 薔薇の言葉にカノンは気恥ずかしさを感じた。あの男が、重厚な冥府の判官が、夢にまで見るほど自分を恋しがっているというのか…?
『カノン様。私はラダマンティス様の悪夢を取り除き、夢を現実のものとするのが役目です。協力していただけませんか?』
「協力?何をすればいい?」
『私に手を触れてください』
「…?こうか?」
 カノンは薔薇に手を触れた。
 次の瞬間、茨が伸びた。

 パンドラと双子神に挨拶を終えて戻ってきたラダマンティスは、自分の神殿の静けさに異変を感じた。カノンが中にいるはずなのに、気配がないのだ。
「カノン?いないのか?どこに…」
 中庭に足を踏み入れ、ラダマンティスは目を見張った。
 そこでは「夢神の薔薇」が大樹のように成長していた。茨が塊のように絡みつき、その中にカノンが閉じ込められている。
「カノン、おい、カノン!」
 茨の中のカノンは静かに眠っている。
「カノン、どうした!?今すぐに茨を取り除くから…」
『いけません、ラダマンティス様』
 薔薇がしゃべった。
「何だと…?」
『私はあなた様の望みをかなえます。これで望みがかなうのです』
「おれの望み、だと」
『「カノンを永遠に自分の側に」。それがあなた様の望みのはず。冥界の植物である私は散ることも枯れることもありません。私はこの者の夢を苗床に花を咲かせましょう。そして私と同化したこの者は、老いることも死ぬこともなくなるのです。あなたは、この者を失う恐怖から解放されるのです、永遠に』
「永遠に…」
 その言葉はひどく甘美だった。
 カノンが永遠におれのものになる…?カノンを失うあの悪夢から…解放される?
 ラダマンティスは冥府の判官として永劫の時を生きる。だがカノンはそうではない。死すべき定めの人間として、年老い、やがては亡くなる。そしてその魂はいずれ輪廻の輪に乗るだろう。その時、ラダマンティスとカノンは永遠に別たれるのだ。避けようのない、それが二人の運命だった。
 その未来に思い及び、しばらくの間、ラダマンティスは立ちすくんだ。
 そして、彼は結論を出した。ラダマンティスは首を横に振った。
「…いや、だめだ」
『ラダマンティス様』
「おれが愛しているのは…泣き、笑い、怒り、話す、そのカノンの生命力こそを愛しているのだ。生ける屍となったカノンでは何の意味もない!」
 そう思っていた。いずれカノンと別れが来ると覚悟をしていても、自分が愛しているのは生き生きと動くカノンなのだからと。仮にコキュートスの氷に閉じ込めて永遠に側に置くことができるとしても、それでは満たされないのだと。
 それなのに、実際にあるべき未来を突き付けられたとき、そして「永遠にカノンを側に」という自分の望みがかなうかもしれないと知ったとき、ラダマンティスの心は揺れてしまった。その己の弱さにこそ、ラダマンティスは苛立ちを覚えた。
 そしてラダマンティスは茨に手をかけた。
「さあ、薔薇よ、カノンを解放しろ!」
 手がとげで傷つくのも構わず、ラダマンティスは茨をつかみ、引きちぎった。
 茨が飛び散り、光が四散した。
 その途端、「夢神の薔薇」は小さな苗木の姿に戻った。
 茨から解放されたカノンが地面に倒れる。
「カノン、しっかりしろ、カノン!」
 ラダマンティスが助け起こすと、カノンは目をゆっくりと開けた。
「大丈夫か、カノン?」
「…ラダマンティス?何だ、おれは…お前を待っているうちに寝てしまっていたのか?」
 眠たげにカノンが目をこする。
「ああ、だがいい夢を見ていたような気がする…」
「いい夢?」
「お前の側に、ずっといられる夢だ」
 そうしてカノンは微笑んだ。
「カノン…!」
 愛おしさが胸の奥からこみあげ、ラダマンティスはカノンを抱きしめた。カノンはラダマンティスを抱きしめ返し、そして視線を横に流してふとあることに気がついた。
「ラダマンティス、薔薇が…」
「え?」
「薔薇が、咲いてる」
 「夢神の薔薇」は一輪だけついていたつぼみが開き、真紅の大輪を花咲かせていた。
 ラダマンティスは手を伸ばし、その薔薇を手折った。そしてカノンに差し出した。
「ラダマンティス?」
「この薔薇はお前にやる、カノン」
「いいのか?」
「いいんだ。おれには必要ない」
 人の夢を苗床にして咲き、悪夢を取り去るという薔薇。だがもうラダマンティスが悪夢を見ることはないだろう。彼は自分の心の真の望みと向き合ったのだから。
「綺麗な薔薇だ」
 カノンは笑って薔薇を受け取った。

 幸せの日よ、過ぎ行くな、
 輝きわたる野原から、
 幸せの日よ、過ぎ行くな、
 乙女が僕になびくまで。
 西は薔薇色、
 南も薔薇色、
 彼の人の頬は薔薇の花、
 彼の人の口も薔薇の花。


<FIN>

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