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2008年11月08日15:51

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お気楽脳天気な旅の歴史(その7)

このところ9月のタイへの旅のレポートやら、あるいは次回の旅の話題が続いたので話がややこしくなりそうで(笑)しばらく停めていた、「90〜91年のファースト・トリップ」の話の続きである。


前回↓

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=902282922&owner_id=1057202

の続き・・・・・


人生で初めてのヨーガレッスンに参加したわけだが、ちょっと意外だったのは、講師の先生が西洋人だった・・ということである。まあ別に内容さえ確かならそれでいいはずだが、やはり心理的にそぐわない・・・もしアジア人が日本へ柔道を習いにきて最初の先生が西洋人だったら・・・みたいな感じだろうか?

せっかくインドまで来てヨーガをやってみよう・・と思うからには当然インド人が登場するはず・・と思い込んでいたし、「外国人収容所」と渾名されるとはいえ「アシュラム」だし・・・(笑)

肝心のレッスンは、それはそれは体中の硬さを実感するに十分な内容であった・・・大概の初心者が抱く感想であろう。

当時29歳の身体はバブル真っ盛りの時代の強烈イケイケ世相に乗っかって、ちょいと現在では到底信じがたいような?ハードな勤務状況をやり抜いていたものの、深層のレヴェルではかなりの歪みが蓄積されていた・・はずで相当不健康・不健全な状態だったはずである。


さてさて、そんな身体をあちこちどたばたやり始めたものの、4日目になってなぜか唐突に?レッスンは中止になってしまった・・・理由は良く分からないし、コース料金を返金してくれるわけではない、全くもってインド的不合理そのものである(笑)


・・・・思うにこの時期が精神的には一番しんどかったのかもしれない、ラホール事件からのご難続きで、やっとこさ静かなリシケシの地に辿り着いて、ほっとしたのもつかの間、レッスンはたったの3日でクローズ・・何とついてない運命なのだろう!・・もう悄然とするしかないような状態だった。

もしそのままの状態がもっと続いていたら、「インドなんか2度と来るものか!!」と怒り狂って撤退していたかもしれない(爆)


当時のシヴァナンダ・アシュラムにはナンバー2のスワミ・クリシュナナンダ師がお元気な頃で、毎日サットサンガを開かれていたので、リシケシ在住の外国人たちはそこに集うものが多かったそうである。

そういう話を聞いて私も一度出かけたのだが、会場に行き着く直前にちょうど今リシケシに辿り着いたばかりの日本人とぱったり出くわして話しかけられ、彼を案内しがてら全然違う行動をとることとなって出席せず・・(これは後から考えるとなかなか意味深なのだが)。


ところでアシュラムエリアのガートのバザールのある雑貨屋に、たいそう愛想がよく外国人に受けが良いのでなかなか商売がうまいオヤジがいた。

私も毎日そこで生活雑貨を買うようになり、あれこれ雑談などするようになった。時々チャイなど御馳走してくれるので、まあ他の店で買うのもなあ・・という心理状態になる、のがオヤジの営業戦略でもあろう(笑)

それであるときそのオヤジに、「そんなわけでコースもクローズしてしまったが、どこかお勧めのところはないか?」と質問したのである。


オヤジは最初は「シヴァナンダ・アシュラムがベストだ」と言っていたが、ふと私の顔を見つめて「うーん、もしあんたが本気でヨーガを学びたいという気持ちがあるのなら、『グレートなマスター』を紹介するけどどうする?」と言う。

これで紹介料とかで法外な金を要求するような話はインドにはごろごろあるわけだが(笑)、このオヤジとはもうそこそこの付き合いもあるし、店も構えて商売熱心だし、西洋人たちの出入りも多いからそれなりに信用の
置ける話だろうと考え、オヤジいわくところの「グレートなマスター」の住むアシュラムを訪問することとなった。

そのアシュラムはガンガー(ガンジス河)を眼下に見る小高い丘の中腹にあり、殆ど人の出入りもないので、何も知らない外国人がのこのこと中に入る・・には結構勇気を要した(笑)


そして登場したスワミはいかにもヨーガの達人という風貌の痩身のスワミであった・・・特にその瞳は遥か遠くを見渡しているかのような、「風のように澄んだ眼差し」であり、その眼差しを受けた私の第1印象は、

「ああ、この人なら信用できる!」という根拠のない(笑)直感だった。


彼の名は、Swami Balyogi Premvarni

私のヨーガの師匠その人である。


次回に続く・・・・
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