17.
食堂の外にある自動販売機でビールの缶を二本だけ買いエレベーターに乗り込んだ。正直にいえば、まだ飲み足りず一人でも飲みたい気分だ。
リリーは写真を自分の部屋に置いた後、彼の部屋に行き尋ねた。
「まだ飲めます?」
「もちろんですよー、その一本、僕に下さい」
ふらふらな椿と乾杯する。今の状態なら何でも答えてくれるに違いない。先ほどの会話を思い出すと、未だに怒りが残っている。
「春花さんはなんで花屋になったんです?」
「何ででしょうねー。そんな昔のこと、忘れました、えへへ」
ボケ老人のように呆けている顔を見ると、溜息をつかざるおえない。
「もう、しっかりして下さいよ」彼女は優しく訊き直した。「他の職業についていても花を扱うことはできるじゃないですか? なぜ花屋になったんです?」
「確かに。そういわれるとそうですねー」椿は遠くを見つめるように上を向いている。しかし全く焦点が定まっておらず口まで開いている。「何でだったのかなー、色々な理由があって思い出せません」
「家業が継げなかったといっていたじゃないですか。それで自分で花屋を開いたと」
「そうです、そうです」椿はグラスに残ったビールを飲み干して手を合わせた。「僕の実家が葬儀社をやってまして、それを継ぐのを断られたんです」
なるほど。思い当たる点はある。綾梅の葬儀は社葬にも負けない程の立派な祭壇が組まれていたのだ。そこには何かしらの縁があったに違いないと踏んでいた。
「そうでしたか。私は別に葬儀社に偏見は持っていませんけど」
誰だって最期はお世話になる所だ。今の時代、大手の会社が参入し不透明な所が多かった部分にもきちんと光が当てられている。特にやましいと思う部分はない。
「僕も別に家業が嫌いで継ぎたくなかったわけじゃありません。ただ妻が花屋をしたいといっていたので」
妻?
リリーは意味がわからずもう一度訊いた。
「妻というのは? 誰のことですか?」
「ああ、そうでした。冬月さんには伝えてなかったんですね。実は僕、結婚してたんです」
椿は苦笑いを浮かべながらいった。
「結婚してからわずか半年で逝ってしまったんですが。もう去年のことになってしまったんだなぁ……」
「去年に……亡くなったんですか?」
「そうなんです、交通事故で逝ってしまいました」
……酔っ払って聞ける話ではない。
自分の頬をつねり冷静になる。椿が結婚していたなど想像もつかなかった。
だが彼は思い返すかのように熱を持ちながら無情にも続けていく。
「秋桜美(あさみ)とは大学で知り合ったんです。彼女は本当に花を愛していてどこに行っても自然がある所を選んでいました。
僕は最初家業を継ごうと思っていたんですが、妻の両親に反対されて別の仕事なら結婚を許してくれるといって貰えました。それで二人で考えた結果、花屋をすることにしたんです」
……まさか、結婚していたなんて。
急速に心が渇いていく。秋桜美という名が胸の中でぐるぐると反芻し続けていく。
「花屋を始めるにしても、もちろん技術はないし何もわかりませんでした。それで僕は両親の葬儀社に入っている花屋に勤め、彼女は別の花屋に勤めました。それから五年近く働いてから、ようやく店を持つことができたんです。そこで正式に結婚しました」
「そう、だったんですね……」
「ええ。ですから、こうやって二人で来ることになると聞いて正直迷ったんです。でも来てよかった。冬月さんが自然を好きになってくれて、それだけでも来た甲斐がありました。ここに妻がいたら喜んでくれていると思います」
……自分はなんて馬鹿なんだろう。
得体の知れない感情が自分を侵食していく。なぜそんなことも考えずに椿に思いを寄せようとしていたのか。いつもの自分ならきちんと調べて傷つかないようにしていたのに。
感情を塞いでいたガラス玉がなく、苦しみが二倍にも三倍にも膨れ上がる。息を吹き返した感情が再び萎んでいく。
……聞きたくなかった、それでも訊いたのは自分だ。
感情を取り戻すことに必死になっていたのに、今ではその感情を放棄しようとしている。全く自分自身が再び嫌いになりそうだ。
リリーの表情に気づいたのか、椿はばつが悪そうに席を立った。
「すいません。なんか夢中で話しちゃって……。ちょっと風にでも当たってきますね」
……あの写真は、桃子のためではなく妻のためなのだろう。
椿の嬉しそうにシャッターを切った姿を思い出す。そう考えると窓に映った自分の姿が別の誰かに変わりそうな気がした。
ドアが開く音が聞こえ、再び自分自身を咎める。この部屋は椿の所なのだ、ここにいては彼の帰る場所がない。
「……ちょっと外にでも出ませんか?」
彼は手に持ったビニール袋の中身を取り出した。
「後味の悪い話をしてしまったので、お詫びに花火でもやりませんか?」
暗い夜の中、一筋の光が灯る。線香花火に火を点けると蒲公英(たんぽぽ)色の閃光が躑躅(つつじ)色に変わり始めた。
「いいですね、こんな所で花火をするなんて思ってもいませんでした」
リリーは光に目を奪われて心が高鳴っているように演じた。
「冬月さん、花火の光が変わるのはなんでかご存知ですか?」
「もちろん知ってますよ。火薬に含まれている金属が関係しているからですよね」
「お見事。さすが現役の刑事さん」椿はにやりと笑って続けた。「では線香花火の移り変わりの花の名を聞いて下さい」
椿は先ほどの出来事を掻き消すかのように説明を続けた。
最初の状態を牡丹(ぼたん)といい、松葉、散り菊と形状が変わる毎に名称があることを告げる。
「これが牡丹……」
花火の先端に小さな玉ができ、ほんのりと光っている。自分の心も先ほどまでこの状態で高鳴っていたと思うと、やるせない。
「次が松葉です、松の葉が散っているみたいでしょ? これから光が弱くなってくると柳といって垂れ流れるような光になります」
火花は勢いよく散っていたがしばらくすると細い光のようになりぽつぽつと光った。
光はいつしか消えそうになり微かな火花になっていく。
「最期の状態を散り菊というんですよ」
微かな光は棒から離れ、ぽとっと音がするように落ちた。
「線香花火の状態にも名前があったんですね」
リリーは最後の光をじっと眺めながらいった。火の玉はゆっくりとアスファルトに溶け込むように音をたてながら消えていく。
……今日の所は諦めよう。
肩の力を抜いて散った花火に思いを込める。彼との旅で感情の大切さを取り戻して貰ったのだ。それ以上、望んではいけないような気がする。
……それに私には母親の写真がある。
新しい線香花火に火を点けると、百合の写真が蘇った。あの小さな花だって大切な繋がりだ。それは言葉で言い表すことができない宝物だと断言できる。
「こんな小さな花火でも、ずっと作られてきてるのですよね」
「そうですね。大きな花火だって、小さな花火だって、花火師は頑なに伝統を守ってきています。『一子相伝(いっしそうでん)』の繋がりだけで守られているんですよ」
……私も、お母さんの思いを守っていきたい。
携帯電話で取った写真を眺める。言葉ではなく唯一、同じ感情で結ばれた花があれば、私はまた元に戻れるだろう。
この思いだって、一子相伝だ。
……その時には、きっと。
二人はもう一度、線香花火に火をつけた。闇の中で光る線香花火は彼女の心に再び感情の火を灯した。
18.
海から一筋の光が登り、一瞬の間が空いて大きな円を描いた花火が上がった。光の尾は引いていない、これは牡丹という種類なのだろうとリリーは推測した。
隣にいる桃子も感嘆の声を上げている。今日の彼女は浴衣を着ておりいつも以上に可愛らしかった。下駄が定期的にからんころんという音を鳴らしており風景に溶け込んでいる。
今日は地元の花火大会だ。桃子と二人で椿が来るのを待っている。彼はここに来る時に屋久島で撮った写真を持ってきてくれるらしい。
桃子に浴衣を薦められたが、結局ジーンズとシャツにした。秋桜美の話を聞いていなければ自分も下駄を鳴らしていたかもしれない。
人混みの中に椿を発見すると、彼まで浴衣を着ていた。
「はい、桃子ちゃん、これ」
移動しながら椿は桃子に写真を渡した。薄暗い中でも彼女は花火の光を頼りに懸命に写真を見ている。
「うわーやっぱり凄い所だったんですね。本当に綺麗だなぁ」
「冬月さんも気に入ってたから、お願いしたら行ってくれるかもよ?」
「確かに凄くいい所でしたけど、そんなに休みはとれませんよ。また行きたいのは事実ですが」
新たな花火が打ち上がり、真っ黒なキャンパスに色彩豊かな小花が一斉に開いていく。
「凄く大きいですねー。これが縄文杉ですか」写真に入り切らない木を見ながら桃子は大きな声を上げている。目の前にある花火よりも夢中になっている。
「うん。とっても大きくて生きてるのが信じられなかったわ」
桃子は写真をぱらりとめくり苔木に咲いた一輪の花の写真を見ている。
「うわーちっちゃい。綺麗な花ですね」桃子は目を輝かせながらいった。「私にメールで送ってくれた花ですよね? これ」
リリーは恥じらいながらも正直に答えた。
「うん。色んなものが見れたけど、私にとってはそれが一番の宝物かな」
桃子は写真を握り締めながら真剣に聞いている。
「そのお花ね、実は冬にしか咲かない花なんだって。でもね偶然見つけたの。花が一瞬だけ閃いたように見えたのよ」
当初屋久島への目的は縄文杉だった。しかし心を占めているのは島で見つけた小さな一輪の花だ。
その花は光を放っていた。か弱い線香のような光だが、心を灯してくれるような暖かい光だった。打ち上げ花火のように大きくなくとも線香花火のように小さいものにだって思いは詰まっているのだ。
偶然の出会いが一筋の閃きを与えてくれた。それは数字で計ることができない心をときめかせる閃きだ。花火のように一瞬で消えてしまう光だが、心の中には鮮明に姿を残しておける。
百合の写真のように―――。
「やっぱり、リリーさんに行って来て貰ってよかった」桃子はぐすりと涙を浮かべリリーの服で拭いた。
「桃子ちゃん、私の服で拭かないでよ」
「だって離れたくないんですよ、ってあららっ」
打ち上げられた玉が途中でポカっという音を立てて割れた。その後、滝のような光が流れている。今度の花火はポカ物で柳という種類の花火なのだろう。
光が消えた後、桃子はニヤニヤしながら椿に写真を見せ始めた。
「店長、こんな写真まで撮ってるんですかぁ?」
椿の表情が一瞬にして固まった。
「えっ……! あっ、こ、これは……その」
「店長も男の子ですもんね、三日も同じ所に泊まるとこういう写真も撮りたくなりますよね」
「えっ? いや、違うんだよ、これはね」椿は懸命に言い訳を探している。
リリーはあたふたしている椿から写真を奪い覗いてみた。その写真はバスの中から風景を撮っているようだったが、雨で下着が透けている自分の姿も入っていた。
椿のことだ、本当に風景に感動してシャッターを押していたのだろう。角度は違うが何枚も同じ写真が写っている。
「別にいいですよ。このくらい。山が撮りたかったんでしょう?」
「ええ。これは、山が美しくて、いや……」椿は一時の沈黙を置いた後、満面の笑みで答えた。「そう! 雨で濡れた下着姿の冬月さんが美しくて撮ったんです。まさか下着が白だなんて少女のような一面が見れてドキドキしましたよ」
椿を優しく睨むと、真剣な表情で答えを待っていた。どうやら彼は前回の失敗を挽回するためフォローしているつもりらしい。
「……そうですか。そこまで丁寧にお答え頂けるとは、思ってなかったです」
腕に力が漲(みなぎ)るのがわかる。血液が勢いよく流れていく。心の底から山が噴火するような感情が燃え上がっていく。
それと同時にいよいよ最後の名物、割物の菊が上がるカウントが始まった。観客の興奮が最高潮に達している。
再び彼をじっとりと眺めると、彼の表情が景色に溶け込みそうなくらい青白い顔に変わっていった。
「ご、ごめんなさい。や、やっぱり、い、色っぽいの方が、よかったんですかね」
「言い訳はそれで以上ですね? 春花さん」
『
花』火が天空へと打ち上がるのと同時に、彼女は怒りの鉄拳を椿の元へ発射した。
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