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2016年05月07日20:00

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お題16『整体(母の日)』 タイトル『君の心臓を整えたい』

  ……君の心臓を救いたい。
 私は今でもそう思っているがそれは無理だろう。君の心臓を守りたいし、支えていきたいとも思っているがそれもできない。
 あなたをわが子としてだけではなく、一人の人間として認めていきたいからだ。
 時を経て、私にできることはこれしかないという結論に至った。
 ……君の心臓を整えたい、と。


「行ってきまーす。おにぎりだけ貰うよ」
「早く行きなさい、遅刻するわよ」
 悟に早く行けと手を振って威嚇する。
「んじゃ三ヵ月後に楽器、よろしく」
「はいはい、それまでちゃんと続いてたらね」
 朝の課外を受ける悟を見送った後、私はもう一人の子供を起こすことにした。彼は普通の出勤時間なので、まだ寝かせておいてもいい。
「あら、もう起きたの?」
「悟の目覚ましで起きたよ」ふてくされたように旦那は頭を掻きながら食卓についた。
「あなたも一緒に起きてランニングでもしたら?体にいいわよ」
「何だよ、俺の腹を眺めても何も出ないぞ」
 旦那と一緒に朝食を取りながらテレビを点ける。出会った頃はテレビを点けることを嫌がっていたのに、最近ではこれがなければ会話も始まらない。
リモコンを置くと、ゆらりと赤の一輪挿しのカーネーションが傾いた。彼らにプレゼントして貰った花だ。
 すでにGWを過ぎ、季節は初夏に掛かろうとしている。
「あいつ、吹奏楽部で満足できているのか?」
「そうみたい。でも私が思っていた以上に吹奏楽ってハードみたいよ。走りこみもあるみたいだし」
「中学でテニスをしていたから大丈夫だろう」旦那はそういって新聞を読み始めた。
 ……本当に緩いんだから。
 私は溜息をつきながらブラックの珈琲を飲んだ。ミルクを入れた方が胃にいいことはわかっているが、こっちの方が美味しいので止められない。
 私も人のことはいえないのだ。
「大丈夫、あいつはもう高校生なんだから」
「違うわよ。まだ高校生よ」
 私の子供・悟は心臓に疾患を抱えていた。ファロー四徴(しちょう)症という病名だ。彼の心臓には4つの問題を抱えており、3歳を迎えるまでに3回の手術を要した。
 一度目の手術は生まれて一週間後だった。私は生まれた子供を一度抱いただけで離れ離れになったのだ。
「そう簡単に何でも認めるから、悟が普通だと思ってしまうのよ」
「普通だろう?お前が神経質すぎるのさ」
「神経質にもなるわよ。ならない方がおかしい」
 私は今でも忘れることはない。一度悟を抱いて別れ、その後会えない可能性を知った時の絶望を――。
 現に悟と同じ手術を受けた9人の子供のうち、生き残ったのはたったの2名だけだった。7人の子供の命は母親にとって一期一会になってしまったのだ。
「中学まではテニス部を認めていたじゃないか」
「あれはちゃんと調べたからよ。運動量が高校に入ると、極端に代わるの。顧問の先生にも何度挨拶にいったかはわからないわ」
 私の怒りをぬらりくらりと交わす旦那に憤りを覚える。だがそんな彼だからこそ、私達は今まで二人三脚でやってこれた。
 私の子供が心臓疾患に掛かっていると知った時、私達は緊急子供病院がある福岡市へ向かった。北九州では設備が整っていなかったのだ。幸い、市の制度で三歳児までの医療費は全額無料であり、私の子供は不自由なく手術を受けることができた。
 私はその時、まだ25歳でおろおろすることしかできなかった。彼と結婚して同居していたが、新婚生活の中でも不安はあったのだ。私達はバンドマンで、バイトで生活しており、音楽でメジャーデビューを目指していた。
 旦那と相談した結果、私達のバンド生活は終わりとし、彼は慣れない営業へと職を変えた。私はバイトを止め、悟の病院に寝泊りすることになった。私達の新婚生活は悟によって劇的に変化し別居生活になったのだ。
「そんなに心配することはない。昔とは違って携帯電話もあるんだ。どこかで行き倒れたりすることはないよ」
「倒れたら、その場で終わりだけどね」
 私は旦那に噛み付きながら当時を振り返った。
 今のようにSNSが普及していなかった私達のコミュニケーションは公衆電話とポケベルだけだった。連絡も毎日取れるわけではなく、旦那から連絡がない時もあった。私は不安に苛まれながら市が運営する心臓を守る会に入り、そこでひたすらに悟の病気について学んでいった。
 悟の病気がなぜすぐわかったのかというと、それはチアノーゼという酸素欠乏症が見られたためだった。心臓疾患を抱える者の多くが血流に異常をきたし、肌が青黒く変わってしまうのだ。
 悟は全身をくまなく調べられ、心臓に問題があるとわかった。その時に4つの問題があるといわれ、ほっとけば1年の命にもなると宣告された。私は意味がわからず癌告知を受けた患者のように固まり頷く他なかった。
「悟の楽器は何になるんだ?」
「まだ決まってないみたいだけど、トランペットが吹きたいんだって」
「ふーん、それはいいな」旦那は笑いながらいった。「俺はユーフォニアムだったから、俺が教えることもできるな」
「そうなの?」知らない情報だった。彼はベース一筋だと思っていたからだ。
「ああ、吹き方があるんだが、管楽器は基本一緒だ。コツがあれば種類が変わってもできるんだよ。フルートみたいなのとはまたちょっと違うけどな」
「そうなんだ」
 高校に入る前の悟の表情を思い出す。
 中学に上がる頃に、私は悟と約束した。テニスをするのなら三年間しかできない、と。高校でのテニス部は絶対に認めないと断言した。だからこそ彼は真剣にやって全国大会まで行きベスト8に入賞できた。
 テニスを辞めたくない、という悟の言葉を思い出し眠れないことがある。だが私にも保護者としての意地があるのだ。時限爆弾を抱え運動部に入った彼を三年も見守ることはできない。
 私の心臓が持たないからだ。
「お前も今日は出かけるんだろう? 今日のお客さんは?」旦那は味噌汁を啜りながら訊く。
「実は12歳の子供なの」私はご飯を噛み締めながらいった。「その子ね、受験ノイローゼになって過呼吸になって倒れたらしいの。だから今日はその子の家に行って施術することになってるわ」
 私も旦那に合わせて味噌汁を飲んで答えた。
 私の仕事は整体師だ。悟の心臓疾患を知ってから、数多くの本を読み、気づけばこの道に入っていた。
 私が悟にできることといえば、マッサージだけだった。彼は人より酸素濃度が低いため、他の子よりも機嫌が悪くなる傾向があった。だから彼の体をマッサージすることで改善を図るほかなかった。
 始めは様々な病院で施術を受けたが、即効性がなかった。病院にはもちろん他の患者が待っているからだ。自分でやるしかない、と考えた時には私の足は再び図書館に向かっていた。
「……そいつは大変だな」旦那は箸を置いて顎に手を当てた。「でも……なぜ君に依頼がきたんだ?」
「やっぱり精神病院に行かせたくないみたい」私は相談を受けた相手を想像しながら頭を働かせた。「病院に行くだけで自分には異常があると思ってしまうだろうしね。受験もできない、と自分自身を過小評価してしまうし、扱いが難しいのかも」
「……そうか」旦那は小さく吐息をついた。「お前も苦労が耐えないな」
「そうよ。だからちゃんとあなたが話を訊いてくれないと、私の心臓が持たないわ」
「気をつけるよ」
 旦那はにやりと笑いながらこちらを見た。その笑顔には新婚の時に見せていた表情があった。
 ……私達はいつから普通の生活が送れるようになったのだろう。
 私は神様に感謝しながら微笑んだ。当初は悟の命を助けることだけで精一杯だった私達が、こうやって怠惰な生活を送れるようになったのも、全ては悟が健康に真面目に育ってくれているおかげだ。
 悟が病気を克服したことによって私は今の職業を目指すことができたし、悟も子供ながら人よりも優しい性格になったと思える。旦那も今の仕事で満足できているようで、私達の家庭は人並みの幸せを手に入れた。
 病気は悪いことだけではない。辛い試練を乗り越えれば、素晴らしい景色を見せてくれるのだ。
「大変だろうけど、頑張れよ」
「ありがとう。あなたもそろそろ整体を始めた方がいいんじゃない?」
 旦那のお腹を見ると、彼は嫌そうに顔をしかめた。
「どうせやる時は説教が始まるだろう、お前のは長いんだよ」
「当たり前じゃない。あなたのためを思っていうのだから、それくらい呑んでくれないと」
 私が睨むと、彼は勘弁してくれと手を上げた。
「……まずは自分で運動するよ」
「よろしい」
 私が承諾すると、彼は微笑んだ。
 食事を終えた旦那を見送ると、私の出勤時間も迫っていた。
 私はあらかじめ用意したものを車に詰め込みアクセルを吹かせることにした。

 信号待ちをしながら依頼主の情報を何度も確認する。人様の子供は初めてだからだ。お客は年配の方が基本で、体の節々の痛みを訴える人がほとんどだ。
 その大多数が食生活の乱れといってもいい。一人暮らしをしている人はバランスを崩し、睡眠が足らず、鬱病を発症することもある。
 人間の基本はエネルギーを摂取することにあるのだ。それを受け入れず人にお願いするだけの患者は私の手を使っても完治できない。まず食事療法から始めなくてはいけないのだ。
 だが正論をいった所で治るのなら私のような職業は存在していないだろうとも思う。私自身、完璧にできているかといわれれば、そうでもない。日常生活に気をつけている私でもマグネシウム不足で睡眠障害にあったこともある。気をつけ過ぎてもそれは一種の病気になってしまうのだ。
 結局はバランスなのだ、と思いながら私は依頼主の自宅についた。12歳の女の子と話す内容も纏まらず私はインターフォンを鳴らした。

「こんにちは、佐藤です」
「ああ、お待ちしていました」
 御両親が同時に顔を出した。きっと土曜日ということもあり在宅中だったのだろう。
 リビングで彼らの話を聞きながら、患者のイメージを膨らませる。
 彼女は何でもできる子で、頭がよく、それゆえに完璧主義を目指してしまう傾向にあった。ストイックすぎると、尖った鉛筆のようにポキっと折れやすいものだ。純粋すぎるがゆえに、落ちると歯止めがきかなくなってしまう。
 話を終えて、彼女の部屋で施術をすることになった。すでに彼女は自室で待機しているらしい。
 私は部屋に上がり、彼女の部屋をノックした。
「こんにちは」
 返事はない。私はそっと扉を開けると、ベットの上にうずくまった少女が大きな熊の人形を抱えていた。
「お母さんから何か聞いてる?」
「……一応」
 彼女はスイッチが切れたロボットのように静かに佇んでいた。その姿に私は気落ちした。
 ……可哀想に。
 私はこの子の心境を一瞬で理解してしまった。絶望した表情が私の新婚生活と結びついてしまったからだ。きっとこの子は子供ながらにも問題をたくさん抱えているのだ。この世には楽しいことが1つもない、と考えているように。
 私は話し出す前にベットの横に座った。
「お名前は?」
「ちさと」
「そっか、ちさとちゃんって呼んでいい?」
 彼女は頷くだけでこちらを見ようとしなかった。
 私は熊の人形を抱えた彼女をそのまま抱きしめた。
「もう大丈夫。辛かったでしょう」
 私は彼女の反応を確かめながら背中をゆっくりと撫でた。右手で肩周りを擦り、左手で背中の感触を確かめる。幼い子供にしては異常に筋肉が張っている。普通の子供ならくすぐられているように感じて逃げ出してしまうはずだが、彼女は一向に逃げる気配がない。
「今からおばさんと二時間だけ話しましょう。体をゆっくりと休めて。辛いことは考えちゃダメ。自分の体を楽にして」
「……うん」
 彼女の力が抜けたのを見て、私は第一関門は突破できたなと思った。
 彼女の施術を開始して、たくさんの話を聞いた。子供は話したいことがたくさんあるのだ。それを訊かずに無理難題を押し付けると、パンクしてしまう。
 彼女は熊のぬいぐるみが好きで、本当はぷーさんが欲しいこと。ディズニーのアニメも見たいけど、英語の勉強が忙しくて見れないこと。仲のいい友人と疎遠になって学校で一人ぼっちになっていること。
「よし、今日はこれでお終い」
 私が二時間の施術を終えると、彼女は行かないで、といって私に縋り付いてきた。
 ……よかった。
 私は彼女の悲鳴を聞いて逆に安心していた。自分の体に不調を訴えられる人間は必ず再生できる。間違いを間違いだと認めることができれば、それはすでに回復への一歩を進んでいることになるのだ。
「もう一度、会いたい?」
「……うん。泊まって欲しいくらい」
 私は彼女と指切りをした。この子はもう来なくても治ってしまうだろう。そうなれば彼女と会うことはない。
 その時、私は悟を初めて抱いた時の気持ちを思い出していた。
 この出会いがもう一度あれば嬉しいけど、彼女が幸せになってくれるのなら今日が最後でも構わない。彼女にはきちんと母親がいるのだ、子供は皆、自分の母親に抱かれたくて生まれてくる。
 母親だって、一緒だ――。
「じゃあ、もう一度ハグをしよう」
 そういって私は彼女を抱きしめた。気持ちを落ち着けるために一番大事なのは相手を受け入れることだ、抱きしめ合うことで人は安心でき、生きようと思える。それは私の本心でもある。
 ……彼女の心を救いたい。
 私は彼女を抱きしめながら心臓の鼓動を確かめた。最初よりも落ち着きを取り戻している。彼女はきっと大丈夫だ。私の心臓もそういっている。
 二回目のハグで私の心も落ち着きを取り戻し、この出会いに感謝したくなった。抱きしめる私もまた彼女に生かされているのだ。この出会いこそが私の生きている証だと確信する。
 私は医者のように心臓を救うことはできない。彼女の両親のように体を支えることはできない。それでも私にしかできないこともある。
 それが心臓を整えるということだ。
「ありがとう、ちさとちゃん」
 私は最後になってもいいように、ぎゅっと彼女を抱きしめた。
 ……私は君の心臓を整えたい。体だけでなく心も。そしてまた、私の心臓も整えて欲しい。
 彼女の手が私に絡まった時、我慢していた涙腺が少しだけ緩むのを感じた。私はそのまま目を閉じて彼女に再び感謝の言葉を述べた。









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