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2015年12月01日00:24

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『恋情の毒』第2話

『恋情の毒』第2話

 聖域では噂が広まるのが早い。
 「侍従長が教皇に側女を献上した」という話は、あっという間に聖域内に広がった。そして、ちょうど聖域に滞在していた山羊座の黄金聖闘士と獅子座の黄金聖闘士の耳にも入った。
「まったく、侍従長も馬鹿げたことを考えたものだ」
 アイオリアと二人でワインを酌み交わしながら、シュラが言った。
「おれも聞いた時には何の冗談かと…。あの兄さんが、サガと別れるはずがない」
 グラスの中で赤い葡萄酒を揺らしながらアイオリアも言う。
「おれも教皇の間でちらりとその女を見たが…、確かにサガによく似てはいた」
「ほう」
「そういう意味では兄さんの好みではあるんだろう。何しろ、兄さんはサガに一目惚れしたそうだから」
「それは初耳だな」
「子供のころ、話してくれたことがある。まだ兄さんが十一歳だった時だ。聖域の外れの森でサガと初めて出会って、綺麗な女の子だと思って、一目惚れして、初恋で、その勢いのままサガにその場でプロポーズしたそうだ。その時は男だと言われて失恋したそうだが…」
「結局、その恋心は消えなくて、その後もずっと心に残って、サガに殺されても、復活してからも、初恋の想いを抱き続けて…岩をも貫くような一念であらゆる障害を乗り越えて、とうとうサガを落として初恋を叶えたというわけか。一途にもほどがあるな」
 呆れたような、感心したようなため息をついたシュラがワインを一口飲んだ。
「…確かに『サガ専』状態のあれは、弟としては正直どうかと思う時もある。過去のことが消えたわけではないしな。何もあんな厄介な相手を…と思わないでもないのだが…。だからといって、サガと別れて側女を持てなどとは思わん。だいたい、最愛の相手と結ばれるには支障があるから、よく似た女を代わりに愛人に…など、不潔というものだろう」
 純朴で気性の真っ直ぐな獅子座の聖闘士はそう思うのだった。
「それに、サガも今はぐちぐちと悩んで身を引こうとしているようだが、何だかんだで兄さんに惚れているのは間違いないのだからな。このまま別れるなど…できんだろう。いずれ元鞘に収まる。問題は、それにどれだけの時間がかかるか、ということだけだ」
「サガの自信の無さにも困ったものだ。過去のことがあるからかもしれないが、妙に自己評価の低い所がある。早く開き直って今の立場を受け入れてしまえばいいものを…」
 とはいえ、過去の罪を棚に上げて開き直るなどできないのが生真面目なサガの性格であり、それも彼の美点につながっていることを、シュラもアイオリアも知っていた。
「雑兵たちの間ではさっそく賭けの対象になっているようだ。兄さんがあの女を側女にするのか、それとも追い出すのか、追い出すにしてもいつごろ追い出すか、とな。まったく、部外者は気楽というか…」
 アイオリアの言葉に、ワインを揺らしながらシュラが軽く笑った。
「その賭け、おれも乗せてもらうとするかな。二週間以内に女を追い出すに十ユーロ」
「ならおれは、一週間以内に追い出すに十五ユーロ」
 というわけで、黄金聖闘士二人は「アイオロスの側女問題」を酒の肴にして、あくまで笑い話の一種として行く先を楽観視していた。
 少なくともこの時は。

「教皇様、寝酒をお持ちしました」
「あ、ああ」
 本を読んでいたアイオロスが顔を上げる。酒の瓶とグラスを盆に載せてアイオロスの寝室を訪れたのは、アストリッドだった。アイオロスに紹介されて以降、彼女はそれまでの侍従に代わってアイオロスの身の回りの世話をしていた。
「どうぞ」
 グラスに酒を注ぎ、アストリッドがアイオロスに差し出す。
「そこに置いておいてくれ」
「はい」
 そうしてグラスを机の上に置いた後も、アストリッドは何かを待つかのようにじっとたたずんでいた。
 二人の間の沈黙が気まずくなり、アイオロスは髪をかいた。
「アストリッド、君は…」
 とうとう、アイオロスが尋ねた。
「会ったこともない男の側女になるということに、疑問を感じなかったのか?君はそれでいいのか?」
「私の家は代々、聖域にお仕えしてきました。教皇様の側近くにお仕え出来るのは身の誉れです。もし私で教皇様をお慰めできるのであれば、喜んでいたします」
 何の迷いもなく、彼女はそう答えた。彼女の聖域への忠誠なり献身なりは、確かに本物ではあった。アイオロスにはサガという男の恋人がおり、アストリッドはその代用品だった。それでもいい、おまけに正妻ではなく愛人にしかなれない、それでも構わない。外の世界で生まれ育った若い女性がそこまでの境地に至るまでには、並々ならぬ葛藤と覚悟があったに違いない。侍従長もよくぞ彼女と家族を説得したものだと、アイオロスはそこだけは感心した。
「それに…実際にアイオロス様にお会いしてみたら、写真で拝見したりお話で聞いたりするよりもずっと素敵な方でいらして…。私、とても嬉しいです」
 はにかむように笑った顔は、一層、サガに似ていた。
 アストリッドは、彼女なりにアイオロスを愛しているのかもしれない。だがその「愛」を受け入れるという選択肢は、やはりアイオロスにはなかった。
「…下がっていい」
「はい」
 一礼し、アストリッドは寝室から辞した。
 はあ、と、一人になったアイオロスはため息をついた。
 アストリッドが来て五日になる。その間、サガのアイオロスへの態度はすっかりよそよそしいものになってしまった。事務的に必要なこと以外は会話をしようとしないし、これまでのように夕食を共にしてくれることもなく、もちろん、教皇の間の彼の寝室に泊まってくれることもない。サガはアイオロスと距離を置き、遠くから想うだけの関係になろうとしているのだ。
『だが、そろそろおれが限界だな…』
 アイオロスは、サガが恋しくてならなかった。
 教皇の間で一人でとる夕食はあまりに寂しかった。アストリッドを相伴させてはどうかという意見も出たが、無用な誤解を生むだけだとアイオロスは却下した。
 何よりも、サガの笑顔が見たかった。彼の肌のぬくもりが、熱い吐息が、うるんだ瞳が、欲しくてたまらなかった。サガに愛の言葉をささやき、そしてサガからの愛の言葉を聞かずにはいられなかった。
 サガからの愛が薄れたとは思わない。アイオロスの彼への愛も変わっていない。だが遠くから静かに想いを寄せ合うだけでは、心が満たされないのだ。いくら面差しが似ていたところで、アストリッドではサガの代わりにはなれない。最初からアイオロスには分かり切っていたことだった。
 やはり明日にはアストリッドを親元に帰そう。そしてサガをこの部屋に呼ぼう。なんと言われようが教皇権限で押し切ってやる。
 そう決心し、アイオロスは寝台に入った。

 事件はその晩に起こった。

 どたどたと人の足が廊下を走る音で、アイオロスは目覚めた。まだ辺りは暗く、夜中だった。時計を見ると、就寝してからそれほど時間は立っていなかった。
「どうした?何事だ?」
 扉を開け、廊下を走る侍従を呼び止めた。
「申し訳ございません、教皇様。実は当直の者たちで不調を訴える者たちがおりまして…」
「不調?」
「はい。吐き気や腹痛を…。それで当直の施療官を呼んだところです。どうも何かの食中毒ではないかと…」
「サガも呼べ。彼は医術やヒーリングの心得がある」
「はい」
 こうして下の居住区からサガも呼ばれた。彼は患者たちを診察し、症状を聞いた後、厨房で彼らの夕食の残りや使った材料を調べ始めた。
「サガ、何か分かったか?」
 ランプを手に厨房に姿を見せたアイオロスをサガが振り向いた。
「アイオロス、おそらくこれだ」
 サガが示したのは、籠に入ったキノコだった。
「暗くてはっきりとしたことは言えないのだが…この中にクサウラベニタケが混ざっていたのではないかと思う」
「クサウラベニタケ?」
「毒キノコだ。食べると嘔吐、下痢、腹痛といった消化器症状を起こす。食用のキノコに似たものがあるため、よく誤食されるのだ。もしキノコの毒が原因ならば、アフロディーテがいてくれれば毒素を操って解毒ができるのだが…あいにく今はカナダに出張中だ。アイオロス、お前は不調はないか?」
「ああ。侍従や当直の兵たちとは、おれは食べるものが違うから…」
「そうか。ならいい」
「とにかく、皆の手当てを頼む」
「分かった」
 症状を起こしている者を十二宮下の施療所に運び、サガと施療官たちは手当てに奔走した。そのかいあって、患者たちはやがて回復した。
 だが一人だけ、命を落とした者があった。
 それは、アストリッド・ニルセンだった。

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