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2015年09月24日00:51

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『常識についての一考察』第10話

『常識についての一考察』第10話

 カイーナの執務室で書類を読んでいたラダマンティスは、扉の向こうから騒がしい音がするのを聞いた。スケルトンたちの制止の声と慌ただしい足音がする。
 何事だ?と思った時、執務室の扉がばんと勢いよく開いた。
 扉の向こうには、白い夜着姿の女が裸足で立っていた。サイズの合わない夜着は、白く滑らかな肩がむき出しになっている。端麗で、繊細で、目鼻立ちもスタイルも整い過ぎるくらいに整った美しい女だった。大理石か象牙の彫像がそのまま動き出したかのようなその女の美しさは、ラダマンティスに「彫像が生きた女になった」というピュグマリオンの伝説を連想させた。
 そしてその女は、長い銀髪をなびかせて、執務机の前に座ったラダマンティスに駆け寄ってきた。
「ラダマンティス!」
 腕の中に飛び込んで抱き付いてきた女を、思わずラダマンティスは抱き返した。
「ラダマンティス!おれ、嫌だーっ!あいつの子なんて産みたくない!それくらいならお前の子を産む!お前の子なら産める!ラダマンティス、おれの処女を奪ってくれーっ!」
 女はそう叫んで、それからわっと彼の胸に泣き伏せた。
「…は?」
 ラダマンティスが固まった。
 誰だ、この女は?と、考え始める。
 冥闘士にはこんな女はいない。亡者はこんなに生き生きとは動かないし、そもそも警備のスケルトンたちを振り切ってこんなカイーナの奥まで来るなど不可能だ。エリシオンに住まうニンフは、まず地獄に来たりはしない。
 では誰だ、と改めて考えたラダマンティスは、やがて女の小宇宙がある人物のものと同じであることに気付いた。
「…カノン?」
 半信半疑で問う。
「まさか、カノンなのか?確かに似てはいるが…」
「そうだよ!おれだよ!」
「!!!!」
 椅子から立ち上がったラダマンティスはカノンの肩をつかんで自分から少し離し、小柄で丸みを帯びた女の体つきになったカノンを上から下まで眺めた。
「お前、どうして一体…そんな姿に…」
「ポセイドンが…ポセイドンの奴がぁぁぁーっ!」
 そうしてカノンは再びラダマンティスの胸の中でわんわんと泣き始めたのだった。
 
 ラダマンティスの私室の居間でソファに腰を下ろしたカノンは、マグカップに入れられたお湯割りのウイスキーを飲んだ。スコッチウイスキーにレモン汁と角砂糖を溶かして湯で割ったそれは、ラダマンティスが鎮静剤代わりにカノンに与えたものだ。
「つまり、状況を整理するとこういうことか」
 と、カノンの隣に腰を下ろし、ラダマンティスがまとめた。
「うっかりニンフの祠を壊してしまったサガが、そのニンフの呪いで女になった。それを聞いたアケローオス様が、サガとの間に子を設けてその子を次代の双子座にと望んだ。ついでに教皇にもサガとの間に子を持たせてやろうと考えた。それ知った海皇が、ならば自軍にもアケローオス様の子を入れようと考え、お前を女にしてアケローオス様の子を産ませようとした、と…」
「…そうだよ!あの腐れ海皇、何を考えてるんだよ!いつもは寝てるくせに、何で目を覚ますたびにろくでもないことをするんだよ!」
 怒りと動揺が冷めやらぬカノンがわめく。ラダマンティスがため息をついた。
「アケローオス様の子なら、仮にも神の子だからな。確実に強い戦士か英雄になる。アテナ軍ばかりが強化されるのではポセイドンも不満だろう。対抗して、己もアケローオス様の子を得て自軍の強化を…考えるのも、分からないでもないが…」
「だからって、なんでおれが女になってあいつの子を産まないといけないんだ!他の女に産ませればいいだろぉぉーっ!」
 ドン!とマグカップを机に強く置き、カノンが絶叫する。
「他の女では、アケローオス様も己の子を産ませる気にはならないだろうからな。お前なら確実にその気に…ということなのだろうが…」 
 事情を冷静に分析していくラダマンティスに、カノンが向き直った。
「よし!子供を作るぞ、ラダマンティス!」
「…は?」
「おれ、お前の子なら産める!おれの処女をお前にやる!」
「……」
「それにお前の子を孕んでるうちは、アケローオスの子は孕まないですむからな!うん、今すぐ作ろう!」
 そう言って、カノンはラダマンティスをソファの上に押し倒し、のしかかった。
「い、いや…ちょっと待て、カノン…」
「何だよ、お前、女はだめなのか?」
「そういうわけでは…」
「では、この体が気味悪いか?」
「いや、とても美しいと思う…」
「処女は嫌か?」
「そういうわけでも…」
「なら問題ないな。作るぞ」
「い、いや、待て!落ち着け、カノン!お前、まだ混乱してるだろう!」
 法衣を脱がせていこうとするカノンの手を、慌ててラダマンティスはつかんで押しとどめた。
「何で拒むんだよ!おれが相手では嫌か!?おれに子を産ませるのは嫌か!?」
「そうではない!そうではなく…!とりあえず、話を聞け、カノン!」
 カノンの両手をつかんで彼の動きを制止させたラダマンティスは、自分の上にまたがったカノンに静かに言った。
「その…お前がおれの子を産んでもいいと言ってくれるのは嬉しいのだが…、それは無理なのだ、カノン」
「どうして!?」
「おれには子を作る能力がない」
「……」
 その告白に、ぱちぱちと目を瞬きさせてカノンは黙ってしまった。ラダマンティスは身を起こし、カノンを膝の上に乗せて説明を続けた。
「おれたち冥闘士は、冥衣の作用で肉体が変容し、老化が止まっている。代わりに、生殖能力が無くなっているのだ。冥闘士は地獄の管理を行い、アテナとの聖戦と戦うための手駒にすぎぬ。そんな手駒が子を成したり、それによって情に引きずられたりするようなことがあってはならないと、ハーデス様はそのように考えられているのだ。それに不老の存在が無制限に子孫を増やしていくのも、世界の秩序の乱れに繋がる。そもそも冥界は死の世界だ。新たな命を成すという行為自体が、この世界の本質に反することでもあるからな」
「……」
「だから、お前が望んでくれても、おれには子を成せぬのだ。すまない、カノン」
「…そうか…」
 どこか残念そうに、カノンは肩を落とした。ラダマンティスの膝の上から下り、改めて彼の隣に座り直す。
「まあ、そういうわけであるし…、それに女になって混乱しているお前をいきなりどうこうと…そんなことはとても考えられない。まずは冷静になってくれ、カノン」
 そう言ってラダマンティスはカノンの頭を撫でた。
「…まあ、ちょっと落ち着いた」
「そうか。ではとりあえず海界に戻って…」
「嫌だ!」
 全身で拒否を示したカノンに、ラダマンティスは再び困惑した。
「今、海界に戻ったら、ポセイドンの公認を受けたアケローオスに犯されて孕まされる!あいつは神なんだからな。その気になれば一発で妊娠させられる!おれは男に戻るまでは海界に戻らんぞ!冥界ならあいつは来られないからとりあえず安心だ。おれはしばらくここにいるぞ!ストライキしてやる!それでポセイドンの翻意を待つ!いいな、ラダマンティス!」
「……」
 一方的に決めて宣言したカノンに、ラダマンティスはどうしたものかとため息をついたのだった。

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