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2015年08月23日00:24

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『仙境の桃』第3話

『仙境の桃』第3話

 ラダマンティスの私室に付属した浴室を見て、カノンはがっかりしたようだった。意外に狭かったからである。この浴室は、そもそもラダマンティス一人が入ることしか想定されていない作りになっているのだ。恋人になってからカノンが訪ねて泊まることもあったが、彼が冥界に来る頻度自体が高くないので、浴室の改装まではしていない。それでも成人男性二人が入るのに不自由はなかったのだが…。
「泳げないや」
 というのが、浴槽を見た子供カノンの第一声だった。
「いつも入っている風呂は泳げるのか?」
「少しだけどね。それにサガと二人でもぐったり…」
「サガと二人で入るのか?」
「うん、そう。あとキルケが一緒だったり、アケローオスが一緒だったり…」
 カノンの期待には沿えなかったようだが、それでもこの浴室は充分に豪奢な作りである。床と壁には赤と白と緑と青の彩色タイルでトルコ風のチューリップと小鳥の装飾が施してあるし、浴槽は縞大理石だ。天井はドーム構造で、中心に発光する冥界の夜光石がはめ込まれている。
 ラダマンティスはハンドタオルにボディソープを泡立てて、カノンに渡した。
「自分で洗えるな」
「うん」
 床のタイルの上に座ったカノンは「うんしょ、えっしょ」と掛け声をあげながら自分の体をこすり始めた。滑らかな白い肌に、すらりと伸びた手足が目に眩しい。
『ば、馬鹿者。おれはこんな子供相手に何を考えて…』
 顔に血が上るのを自覚したラダマティスは軽く咳払いした。
「カノン、背中を洗ってやろう」
「うん」
 成人だった時のカノンの肌も白く滑らかで美しかったが、子供になったカノンの背は一層肌がきめ細やかで柔らかく、すべすべとしていた。傷跡やほくろの類も一切なく、見事な象牙細工か大理石の彫像のようだ。タオルごしではなく直接手を触れて愛撫してみたくなる。
『いかん、相手は子供だぞ。自制心、自制心…』
 内心で己に言い聞かせながらラダマンティスはカノンの背中をこすった。
「おじさんの背中も洗ったげる」
「おお、そうか、すまんな」
 カノンはラダマンティスの背後に回り、広い背を一生懸命こすり始めた。
「おじさん、大きいね。アケローオスと同じくらい…う〜ん、あいつの方が大きいかなぁ」
「お前もいずれ大きくなれるぞ、カノン」
「本当?」
「本当だ」
「やったぁ。おれ、そのうちアケローオスより大きくなってあいつを踏みつぶしてやるんだ!」
 その言葉に、カノンはどれくらいの巨人に成長するつもりだったのだろうと首をかしげるラダマンティスだった。
 ラダマンティスはシャワーでカノンと自分の泡を洗い流した。カノンの肌を流れていく白い泡がまた卑猥な連想をさせ、ラダマンティスは慌てて首を振った。
 体を洗い終えるとカノンは浴槽に飛び込んだ。浴槽の端に捕まって体を浮かせてみたり、もぐったりしている。
「それっ」
 ラダマンティスが浴槽に入るとカノンはお湯をかけてきた。
「こら、カノン…」
「えへへ」
「…お返しだ」
 笑っているカノンに湯をかけ返す。きゃらきゃらと屈託なくカノンは笑い声を上げた。カノンの無邪気で明るい笑顔にラダマンティスも嬉しくなる。
 笑顔のカノンは「天使のような」という形容がぴったりで見惚れてしまう。「幼い頃から悪事ばかり好んでしていた」と豪語するカノンだが、その実態は、悪戯好きで活発で、意地っ張りで寂しがり屋な、家族の愛に飢えた子供だったのだ。それをラダマンティスは理解した。
『なんという愛らしさだ!』
 水と戯れるカノンのあまりの愛嬌にラダマンティスの鼻の下が伸びる。鼻の下が伸びたついでに、血の上った頭からは鼻血まで出てきそうだ。
『いかん…。このままでは本当にのぼせて鼻血が出てしまう』
 鼻血が出る前に、ラダマンティスはカノンとの水遊びを切り上げて浴槽から上がることにした。
「おじさん、マッサージして」
 脱衣室で体をふいていると、浴槽から上がったカノンがそう言ってきた。
「マッサージ?普段はそんなこともしているのか?」
「してるよ?お風呂だって三つくらいあるし…」
 そう言えば、古代ギリシャ・ローマ時代の浴場と言えば、温浴室、熱浴室、冷浴室の三つが備わり、マッサージをするのも普通のことであった。だがラダマンティスの私室の浴室にはそこまでの機能はついていない。
「…ここではそういうことは出来ないな。マッサージオイルも置いてないし…」
「しないの?」
 そう聞いたカノンは少し残念そうだった。そのカノンの表情に、いずれ浴室を古代ローマ式に改装しようかとラダマンティスは考えた。
 カノンの体をマッサージ…うむ、いい。実にいい考えだ。いや、しかし、カノンの肌をマッサージなどした日には、その場でおれの理性が飛んでしまうかも…いやいや浴室だしそのまま事に及んでも…と一人で悶々と考え続けるラダマンティスだった。

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