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2013年12月19日08:14

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『 ゼロ・グラビティ 』


場版予告編を初めて観た時から、盟友P氏と「 絶対にIMAXで観よう 」と決めていた。それも、2D版でだ。なぜなら、我々は3D版が苦手だからである(むしろ、「嫌い」と言うべきだろう)。日常生活で眼鏡をかけている人間にとって、眼鏡の上に3D眼鏡をかけるのはあまり快適なものではない。おそらく、3D眼鏡本来の効果は裸眼の人より落ちていると思う。第一、動きの早い映像を3Dで観ると気分が悪くなるし、3D眼鏡をかけると画面が暗く観えるというデメリットもある。今回、そういった事情に目をつぶって『 ゼロ・グラビティ 』をIMAX3D版を観たのは、多くの映画マニアの絶賛の声を素直に受け容れたからだ。この映画は劇場で、しかも3D版で観るのが絶対不可欠であって、それ以外の方法による鑑賞には全く意味がない。

 『 ゼロ・グラビティ 』の良さは、観客の多くが生涯体験することなく終るであろう「 本物の宇宙空間 」が体感できるということに尽きる。映像は、全くもって素晴らしい。正に、驚愕の美しさ、圧倒的な迫力だ。IMAXの巨大なスクリーンと大音響システム、そして3D映像によって見事な臨場感と心地よい浮遊感を楽しむことができる。IMAX3Dという舞台装置があって、初めてこの映像が真価を発揮するということがおわかりになるだろう。

 この先、ネタバレを含むので、これからご覧になろうと思う方はご遠慮願いたい。
























 『 ゼロ・グラビティ 』をIMAX3D版で観たのは正しかった。この映像を楽しむための「 最高の舞台装置 」で観ていなかったなら、作品に対する評価がいささか揺らいでいたに違いない。しかし、IMAX3D版を観たからこそ、断言できる。映像はこの上なく素晴らしかったが、「 映画 」としてはさほど面白いとは思えない。少なくとも、私が映画に求めるものをこの作品は満たしていない。私にとっての「 良い映画 」とは単純である。どれだけ感情を揺り動かされたか、どれだけ登場人物に共感できたか、その感情の揺れ幅の大きさが映画評価の基準だ。この意味では、先日観た『 キャプテン・フィリップス 』と『 ゼロ・グラビティ 』は同じグループに属していると言える。つまり、いかに真面目に作ろうとも、どれだけ精巧なSFXを駆使した映像だろうとも、それを支えるドラマ部分がしっかりしていないと私の琴線には響かないのである。主人公の女性ミッション・オペレーター、ライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)の「 奇想天外な体験 」と「 奇跡の生還 」は確かに強烈だが、今ひとつ共感できなかったのは彼女の体験は描いても、彼女自身の背景がほとんど描かれていないからだ。彼女より、むしろジョージ・クルーニー演じるミッション・コマンダー、マット・コワルスキー中尉の方がはるかに魅力的で存在感があり、彼が「 スプートニクへの奇想天外な帰還 」を果たした時こそ、私にとってこの映画のピークだった。スプートニクへの帰還シークエンスは実にSF的で、見事だったと思う。彼が船内に入るとき、ライアンはヘルメットを装着していなかったのだが「 真空中でも短時間なら案外大丈夫なんだな 」と感心した直後に「 彼女の妄想 」と気づかされるのだから衝撃は大きい。それにしても、彼が話しかけていた「 毛深い小さな男 」の続きが気になって仕方がない・・・。

 『 ゼロ・グラビティ 』の映像の凄さは認めるが、ドラマ部分の弱さはライアン博士の背景があまり語られなかったことに加え、無重力以外の極限の描写が希薄だったことに原因があると思う。私は若い頃、スキューバダイビングにはまっていた時期があるが、海中は宇宙空間と環境的によく似ている。引力とは無縁の浮遊感を味わえる上に、タンクとレギュレーターがなければ呼吸ができず、さらにはマスクをつけることで閉塞感もある。一番ストレスを感じるのは、空気タンクの残量だ。空気タンクはどれも一定量が入るが、ダイバーの精神状態によって呼吸が速かったり深くなったりするので、空気の消費量は個人によってかなりの差が生じる。そのため、ダイブマスター(インストラクター)は海中でメンバーのタンク残量をたびたび確認する必要がある。普通、上級者は空気の消費が少なく、初級者初心者ほど消費が大きいため、グループで最も下手なダイバーに合わせることになる。劇中、宇宙空間を漂流するライアンが混乱して呼吸が速くなり、あっという間に空気を消費したのは当然である。コワルスキー中尉(ジョージ・クルーニー)がどんな状況にあっても常にクールで静かに話すのはいかにもプロらしく、また、「 落ち着いて、呼吸を小さくするんだ 」というアドバイスは極めて正しい。空気が欠乏して呼吸ができなくなるという苦しさと恐怖感が今ひとつ伝わらなかったのは、サンドラ・ブロックの演技力のせいではなく、演出の問題ではないかと思う。

 マイミクの超兄貴ざんすさんが、「 日本語タイトルはなぜ『 ゼロ 』をつけてしまったのかとつぶやかれていたが、実に的確なご指摘である。この映像は「 人を生かしてくれる『 地球の重力 』の有難さ 」を意識させ、体感させるものであって、原題の『 グラビティ(gravity=引力、重力)』にゼロをつけてしまえば制作者の意図と正反対になってしまうからだ。何より、映画冒頭で「 宇宙で人は生存できない 」と明示しているのは、重力のない宇宙空間の恐さを描くことで、人が地球の引力(重力)の恩恵を普段意識せずに生活できる幸せを浮き彫りにするためだったことを雄弁に物語っている。
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