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小説・評論:孤城忍太郎の世界コミュの三、秋 霖 Op.3

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 この作品を讀む時に、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
 これは、莫差特(モオツアルト(Mozart)・1756-1791)の、

『五重奏曲(Quintet)G minor K.516』 

 といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。
 映像は、

『岡山懸千種川の朝霧』

を撮影したものです。
まるで先を讀めない人生のやうに五里霧中……。
雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひですが、ない方が良いといふ讀者は聞かなくても構ひませんので、ご自由にどうぞ。








     秋 霖 Op.3

人間は誰でも必ずある種の幸せを求めて生きてゐる。
たとへそれが有得ないと理解出來てゐても。
           『異端者に非ざる異端者』より

     §


     三、


 しかし、私は一兩車の突き當りに行つたそのあと、なにをすればいいのか解らないやうな不安に囚はれ出した。


 ――明子によく似た女性だつた。
 私はもう二度と女の人との縁はないものと思つてゐた。
 あれは何度目だつたか、近くの堤防沿いにある妻の墓參りへ出かけた時、花束と水桶を持つた白地に青の水玉模樣のワンピイスを著た清楚な女性とすれ違つた。
 輕(かる)く會釋(ゑしやく)をされてどぎまぎしながら、挨拶を返した。
 それから何度か墓參りの時に會つたが、ある時、休みの日に都心へ出て百貨店の地下にある食料品賣売場でうろうろしてゐると、あの女性が幼い男の子を連れて買物に來てゐる姿を見かけた。
 母親に良く似た綺麗な目をした子供だつた。
 咄嗟にその場を離れようとして振向かうとしたら目と目が合つて、思はずお辭儀(じぎ)をしてしまつた。
 男の子に目當ての商品があるのだらうか、次第に私の方へ近づいて來た。
 後ろを振返ると、色とりどりのチヨコレエトが置いてあつてそれが少年のお目當てなんだらう、私を通り越してそれを追ふやうにしてあの女性が目の前に來た。
 「こんにちは」と澄んだよく通る女性の聲が響いてきた。
 「お子さんですか」
 私は思はず聞いてしまつた。
 「えゝ」と答へて、「五歳になりました」とつけ加へた。
 「誕生日だつたのですか」といふと、頷いて私に應(こた)へたので、「だつたらどれか一つプレゼントしませう」
 私の言葉に驚いて、「とんでもありません」と言ひながら、目線は子供の行動をしつかり見据ゑてゐた。
 「私に子供がゐたらこれぐらゐだらうと思ひます。どうかプレゼントさせて下さい」
 必死の頼みだと思つたのか、それではといふ風に子供の側に寄つて、少年が手にしたチヨコレエトを見ながら、「これをあの方がプレゼントして下さるのよ、お禮(れい)をしなさい」と彼に傳へた。
 「チヨコレエトありがたう」
 少年は、きらきらした瞳で私の目を見てぺこりと頭を下げながらさう言つた。
 私はほつとしたやうに、「誕生日おめでたう」と言つてから、何だか嬉しくなつて思はず微笑んでしまつた。
 こんな事はつひぞなかつた事だつた。
 それでは、と二人を觀てから子供に手を振らうととした時、決心するやうに女性が私に語りかけた。
 「プレゼントのお返しといつてはなんですが、これから食事をご一緒していただけません?」
 意外な申し出に驚く私を見ながら、「不躾なのは承知してゐますが、是非ともお願ひします」と女性が言ひ、すると少年も「一緒に行かうよ」と私の左手の小指を握つてその温もりを傳へたかと思ふと、出口の方へ引張つて行かうとした。


 矢庭に、私の身體(からだ)がよろけて左の自動扉の方へ壓(お)しつけられた。
 何事かと思つて後ろや前を見ると、電車は蛇のやうに急な右弧線(みぎカアブ)を描いてゐた。
 私はなんといふ理由もなく、殆ど無意識に右の扉の方へ身體を寄せて、扉の大きな硝子越しから暗い後ろの外の夜景を見た。


 そこには、思ひがけなくも町の燈(あか)りが廣がる杳として計り知れない空間に、電車の通り過ぎて來た線路が細々と浮んでゐた。
 私はある驚きに撃たれながらも、當然のやうに扉の窓越しから前方を見入つた。
 すると、明りを落して走つて行く電車の足元からは、後ろよりも線路の光つてゐるのが鮮明に見えた。
 さう思つた瞬間、電車はもう弧線を曲がり切つて直線に入つてゐた。
 私はまるで未來の秘密を垣間見たやうな氣がして、若々しい抑へきれないやうな變な昂奮に生き活きとしながら、到頭、二兩車と一兩車の繋ぎ目に立つた。


 その時、私は僅かであるが、急に何か得體の知れない喜びに驅られた。
 私には、それがなんであるのか解らなかつた。
 ひとつの事が成就出來るといふ滿足感であるのか、それとも過去が取戻せるといふやうな奇蹟が得られた歡びであるのか、それはまるで解らなかつた。
 しかし何かが、何かが私の爲にそこにあるやうな、そんな氣がした。


 私は圖(はか)らずも一兩車に蹈み込むことを躊躇した。
 すると、まるで私を急かせるやうに、電車がひと頻り重さうに搖れた。
 私は嚴かに右足を一兩車に蹈み入れた。
 さうして、殘つた左足もゆつくりと蹈み入れた。


 何も起こらなかつた。
 なにもなかつた。
 極くありきたりの事で、いつもと同じ、ただいつもと同じに電車の中を歩いたなのであつた。
 私は思ひあまつて、座席に身體を擦り寄せた。
 私はもうこの世で私のする事がなくなつてしまつて、この先は電車に任せるしかないやうに、人生ですべき事を失つてしまつたやうな氣がした。


 ――さうなのかも知れない。
 都合よく幸福が自分に微笑んでくれると考へるのは勝手すぎるのだらう。
 子供に手を引かれて一緒に食事をしに行つたあの時からだつてさうだつた。
 それが切掛けとなつて、私は女性と逢ふ機會が増え、何度か遊園地とか動物園などに出かけ、その後に食事などをして別れるといふ事が重なつた。
 會ふ時は子共も一緒といふのがこれまでの約束事のやうになつてゐたが、ある時、仕事の歸りにいつもと違ふ道を行かうと決心して、ビル街の街路樹に覆はれた鋪道(ほだう)を歩いてゐると、とあるビルの階段から誰かが降りて來る氣配がした。
 「あら」といふ女性の聲で振向くと、あの女性だつた。
 「ここは?」といふ私の言葉を受けて、「ここに勤めてゐますの」と意外な女性の答へが返つて來た。
 さう言へばさうなんだ。
 動物好きな少年の求めに應じて二度目の動物園に行き、晝食(ちうしよく)になつて彼女の手作りの辨當(べんたう)を、まるで家族のやうに草はらの敷物の上で食べた。
 食事が終ると、氣を利かせるやうに少年が鞦韆(ぶらんこ)の方に遊びに行つた。
 片親の所為か、利發だが妙に私よりも大人びたやうな氣がしたものの、この親子と次第に親密度が増して來たと思つてゐると、彼女もさう感じたのかぽつぽつと身の上話をし始めた。
 彼女の良人(をつと)が癌であつといふ間になくなつて、今は以前に勤めてゐた會社に再就職したと、その時に聞いてゐたのを今更のやうに思ひ出した。
 私が彼女と出合つたのも、良人の墓參りの時だつたのだ。
 ここがさうだつたのか、と思つて見比べるやうに彼女とビルを見た。
 子供と一緒に暮す爲には収入がなけれなならないといふ當り前の事を、私は忘れてゐた。
 そんな親子に、自分がどんな事を出來るといふのだらう。
 その日、次の日曜日に「映畫(えいぐわ)に行きませんか、お子さんも一緒に」と誘つた。
 彼女が頷くのを確認すると、「子供と一緒に」と鮨をお土産に渡して直ぐに別れた。
 日曜日までのわくわくと彈んだ氣持も、妻が亡くなつてからといふもの疎遠な感情であつた。
 もしかするとといふ豫感で日曜日を迎へて、約束した驛の改札口で待つてゐた。
 けれども、いつまで經(た)つても彼女と少年は現れなかつた。
 晝食(ちうしよく)を一緒に食べようと言つてあつたのに、もう夕方の四時になつてゐた。
 何かあつたのかと不安になつて、彼女に家へ向つた。
 途中で入違ひになつたらとも思つたが、ぢつとしてゐられなかつたので、取敢へず彼女の家に行くんだと自分に言ひ聞かせながらタクシイに乘つた。
 こんな事があるのだらうか。
 彼女の家に着くと、人が遽(あわただ)しく出入りをしてゐた。
 「何があつたのですか」と尋ねる間もなく、二人が交通事故で死んだといふ聲が私に浴びせられた。
 振向くと、最近お會ひした彼女の母親であつた。
 呆然としてゐる私に、母親に連れられて病院へと向ふタクシイに同乘させられた。
 絶望的な亡骸(なきがら)を見てその場に蹲(うずくま)つてしまつた。
 そのあとは、葬式や何やかやで目まぐるしく時間が過ぎて行つて、世界の音が遠くから空虚に身體に降つて來るやうだつた。
 身分不相應なものを願つた譯ではないのに……。
 こんな事があつていいのだらうか。


 あの時と同じ、結局、風が私を吹き拔け、電車の刻む音が聞え、なんら變りはないのであつた。
 時が徒(いたづ)らに私を動かし、私もいたづらに時の迷路をさまよひ、ただ變つてさへ行けばそれでいいかのやうに……。


 ――然し、ならば一體あれはなんだつたのだらう。
 私が感じたあの得體の知れない氣持は、一體なんだつたのだらう。
 何かある筈ではなかつたのか……。
 さうだ、私はさう思つて生きて來たのではなかつたのか。
 何かがある、目的がある、だから私は生きるんだと思つて。
 だが、果してさうだつたのだらうか。
 さつきの得體の知れない氣持と、その結果をどう説明すればいいのか。
 私の一時の氣紛れといふ外はないのか。
 さうして、誰しもが追ひ求めてゐるものは何處にあるといふのか。
 私は生きる可くして生きて來ただらうか。
 ただ、死ぬ事が出來ない臆病な人間ではなかつたか。
 死ぬことが出來ずに生殘つてゐる人間ではなかつたのか。
 とは言へ、生きるからには、矢張わたしも何かあると思つて、喜んだり悲しんだりして生きて行かざるを得ない。
 だが、それが徒勞だつたとすれば、餘りにも私の人生は……。


 私は暗い悲しみの迷路に落込んだやうな氣がして來た。


 ――人生とは、案外この電車のやうなものかも知れない。
 歩いて歩いて歩き廻つて、歩く事に疲れたり退屈すると、何かがある、素晴らしい事があると、自ら希望といふ餌を目の前にぶら下げながら、それだけを頼りに細々と歩く。
 だが、結局、其處には何もないのではなかつたか。
 丁度、今のやうに動いてゐる電車といふ物體の中で時を失つて、精々車内の椅子にへばりつくだけではなかつたか。
 たとへ一兩車に行き着いても、電車から出られない事に氣がつきのせずに、またもし氣がついたとしても、どうする事も出來ない儘に、例外なく椅子にへばりつくぐらゐのものではないのか。
 さうして、人生といふ電車にいづこかへ運び去られて行くだけなのではなからうか。
然し、人は兔も角、私はこれで良かつたのかも知れない。
 人間の時代を、私の時代を、ただ今を生きて行くだけで。
 もう知れてゐるではないか。


 私は目を閉ぢて光を斷ち切つた。
 電車は救ひやうのない暗黒の中へ、恰も暴走するかのやうにすべり込んで行つた。


 ……驛を出ると、秋の雨が降つてゐた。
 秋の雨は秋霖といふ。
 暫時、私は秋霖の降つて來る空を見た。
 眞暗であつた。
 そんな中で、頻りに白く映る雨が無性に息苦しかつた。
 雨は地面に街のネオンも落して、高くなつたところから低くなつた方へと、幾筋にもなつて流れをつくつて行つた。

 「あゝ、私もこの幾筋かの流れのひとつにしか過ぎないのか」

 私はさう呟くと、この眞暗な空が一氣に私の上に覆ひ被さつたやうな壓迫(あつぱく)を感じて、雨の降る秋の中へ逃れて行つた。


 雨は生温かかつた。
 風はなかつた。
 その温かさは、少なからず私を安らかにした。
 歩いてゐて何も考へたくなかつた。
 何十年となく考へて來た事を、また考へるのはもう疲れた。
 ただ、今は温かい秋霖に濡れる事だけをしたかつた。


   秋霖よ降れ
   やがて大河となるべくして
   降り続けよ

   秋よ續けよ
   お前の爲(な)す術を吐き出せ
   秋は秋だけ


 秋霖は止みさうもなく、私と小さく霧が出てきたネオンの街に降り頻つてゐる。



     一九六六年昭和丙午(ひのえうま)神無月四日




     續きをどうぞ

後 記 『秋 霖』
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=65887590&comm_id=4699373



    初めからどうぞ

一、秋 霖 Op.3
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=64870902&comm_id=4699373





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