ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

仏教・中観思想・空思想を学ぶコミュの龍樹論師「方便心論」の学びについて

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
インド論理学史上、非常に難解な書の一つとして有名である龍樹論師「方便心論」に関しての学びを進めるトピックです。このトピックでは、「方便心論」につきましての論考を深めていければと存じております。

「方便心論」に関しての導入につきましては、下記論考をご参照下さいませ。

「『方便心論』作者について」石飛道子氏
http://homepage1.nifty.com/manikana/paper/authorship.html

コメント(21)

いっきゅう様


『方便心論』の学びのトピックの作成ありがとうございます。

言い伝えでは、『方便心論』は、龍樹が大瀧菩薩の哀れみで、竜宮に連れて行かれ大量の大乗仏典90日間読み、豁然として「無生法忍」の悟りを得る前のことであると、伝記には記されていると言う。


しかし、ニヤーナ学派の成立に龍樹が絡んでいることや、医学の天啓聖典であるアーユルヴェーダの展開である『スシュルタ・サンヒター』と『チャカラ・サンヒター』との関連は面白いです。 
歴史的根拠になり易いカシニカ王に関して見ると、実在した龍樹のことが伝わって来るようです。

ニヤーヤ学派とのやり取りは、輪廻観やアートマンと刹那滅の考察において、非常に判りやすいやり取りがあり、特に「無諍」という言い争わないブッダの教えと、チャラカの「言い争う論法」との比較、後に代表的論法となるプラサンガ(帰謬論証)の確定と、『方便心論』のトピックは、非常に面白くなると思っております。

みんなで、議論し見識を高めることになれば、嬉しいなと期待しています。


いつも広範な学びをご教授いただきましてありがとうございます

『方便心論』の翻訳はどの文献で拝読できるのでしょうか?
78910さん

『大正新脩大藏經』テキストデータベースの電子テキストや、石飛道子さんのHP,マニカナのホームページ、著書としては石飛道子さんの『龍樹と語れ!』がありますが、それぞれの関係図書から拾ってくるしか無いですね。

全文載っている文献はあるのかな?

面白いけど、元の文献は参照が困難なのが、寂しいです。

カルマ・ランジュンさん、ありがとうございます

部分部分を取り上げているものはいくつかあるけれども、まとまった全訳を載せているものは見つからない、ということでしょうか?

龍樹の書かれたものはどれもとてもエキサイティングですね
思わず声に出して読みたくなっちゃうぐらいです

頭の中がバリバリと音を立てて再構成されるような感覚を覚えます
78910さん

そうですね、全体を載せているのは見てないですね、あっても漢訳しか残って無いのと、宇井博士が『方便心論』は、ナーガールジュナの作ではなく、小乗仏教徒の作品だとして、近年までそう思われていたので、研究も少ないのです。

しかし、これは面白いですよ。

さて、典拠となるものには、そんなに興味ないという人も居るでしょうし、管理人のいっきゅう様がせっかくトピックを作ってくれたので、龍樹と「方便心論」に纏わる、どんなエピソードがあるのかを、概観していきましょう。


龍樹と言えば、『中論頌』に代表されるような難解な人物であるとお思いの人もあるでしょう。
凄い論争好きの頭の固い人というイメージを持っている人も居るようです。


実際はどうなのでしょう?


実際のことは判りませんが、伝記をたよりに調べてみましょう。

古くは漢訳の文献四〜五世紀の『龍樹菩薩伝』『付法蔵因縁伝』があり、玄奘三蔵の『大唐西域記』にも龍樹に関する記述が残されています。

そしてチベットのプトンやターラナータの伝える物は、14世紀以降のものなので、年代的にかなり後の時間になっています。

問題のは、このように伝わる三系統の伝記の資料は、ほとんど内容的に一致しないということがあります。 ただ熟読し、内容に通達してくると、ブッダを深く崇敬する菩薩道に邁進する人であることが伝わってきます。





カシニカ王の統治する2世紀のガンダーラ、現在で言うと北インド、西インドの北半分、アフガニスタン全域、シルクロードまで広がる広大な地域を治めていました。

カシニカ王は、仏教に深い理解を示し比丘たちを敬っていたという。
カシニカ王」には、三人の有能な臣下が居ました。
一人は、『仏所行讃(ブッタチャリタ)』で有名な馬鳴(メミョウ)
そしてこの『方便心論』の中心的人物であるチャラカがいる。
そしてマーラタです。

チャラカはカシニカ王の侍医です。漢訳では遮勒(シャロク)という。

チャラカは漢方に詳しく、聡明で博学であり、かつ智慧があり弁舌の才もあって、柔和で慈しみの深い人だといいます。

ヨーガにも精通し、後には「チャカラ・サンヒター」という内科の医学書に多大な影響を与えた。 「チャカラ・サンヒター」はチャカラの造ったものでなく。アーユルヴェーダのインドラ神からヴァーラドヴァージが受け取って、アートレーヤに伝えた。 アートレーヤには6人の弟子が居て、その内の一人がアグニヴェーシャがいる。

そのアグニヴェーシャの書を増補したのがチャラカで、チャラカが作ったものでないのが「チャラカ・サンヒター」なのです。

このチャラカの思想を受け継ぐニヤーヤ学派の註釈『ニヤーヤ・バーシャ』は『方便心論』とのやり取りで考察が深まっていきます。 最終的にニヤーヤ学派と部派仏教の問答を想定している作品が『廻諍論(ヴィグラハ・ヴィヤーヴァルタニー)』である。
これは論争の超越というテーマで書かれ、大乗仏典の龍樹論集の中に納まっています。



『廻諍論(ヴィグラハ・ヴィヤーヴァルタニー)』のトピも遠くない将来、アップしていただけそうですね(^_^)

それは、いっきゅさんに無言の要請をしているの?

直接的には、言葉によらない要求ですね。(笑)





『廻諍論(ヴィグラハ・ヴィヤーヴァルタニー)』の「ヴィグラハ」というのは論争と言う意味で、「ヴィヤーヴァルタニー」と言うのは向きを変えて戻ることの意です。

 ブッダの意向である「無諍」というのは、争わないと言うことです。



だから「論諍(ロンジョウ)」
つまり論争を回避する為の論を廻らす論が『廻諍論』と言うことになります。


トータルに考えると、龍樹は論争しているイメージがありますが、実際は対機説法のように人を見て相手の機根をみながら、法を説いていたのです。

ブッダが語ったように「議論に勝っても負けても、何の利益にもならないのだから、人は論争してはならない」と述べたのです。





>ブッダが語ったように「議論に勝っても負けても、何の利益にもならないのだから、人は論争してはならない」と述べたのです。

ブッダがそう語り、龍樹もそのように述べたとおっしゃるのですか?
これについては僕は多少違う見方を持っています
78910さん

 そうですか、それは楽しみに待ってますので、その多少違うと言う見方を聞かせてください。

もちろん他者と議論するよりも、自己の瞑想を深めることが第一義でしょう
両者を比べたらどちらが重要かは一目瞭然です

しかし、議論は二次的、三次的な価値しか持たないとしても、まったく価値がなく厳禁されるべきこととは思えないし、釈尊も龍樹も一切の議論を封じ込めたわけではないと思います

瞑想すべき時に議論することや、

正理を明らかにしてゆくのに資することのない議論をすることや

邪説にとらわれたままで議論に溺れること

などをいましめたのではないでしょうか?
インドには様々な思想があり、他を抑圧・制圧して優勢を誇るということがありません。
そんなインドの中で、仏陀と龍樹が「論争してはならない」ということを広めてくれたお陰で「友好的な討論」はありますが涅槃に向かおうという人は、論争は避けるでしょう。

仰るように、正理の検証は大事です。

今後、ニヤーヤ学派の論争を勧めるスートラや、説一切有部の見解を含め、検証していきますが、龍樹の無諍(ムジョウ)の論法は、『方便心論』の名の通り、「やり方」の「真髄」なので、今後、話題からあふれ出てくることと思いますが、他者との議論は、瞑想するしないに関わらず、釈尊は弟子たちには禁止しました。

直接の論争ではないにしても、チャラカとニヤーヤ学派は、龍樹に食い下がります。
プラサンガ(帰謬論証)によってプライドが酷く傷ついても、チャカラは、龍樹の説を真摯に受け止め、ニヤーヤ学派は急成長していきました。

プラサンガをニヤーヤ学派は、ジャーティ(誤った論難)と呼んで、龍樹の『方便心論』の後に、『ニヤーヤ・スートラ』という学派の根本経典として批判的に対抗しました。

 逆に『ニヤーヤ・スートラ』を批判的に取り上げた龍樹の『ヴァイダルヤ論』があるが、その後に唯識学派からディクナーガが出てきて、論法を革新したのです。

龍樹の論法は、正邪を決めるのではなく、善悪を知るものであると言われ、世俗諦を見据えているとも言われています。

先に書いたコメントは判り辛いと思いますので、書き換えます。




ブッダもナーガールジュナも、論争はするなということに、注意深くあるということです。

龍樹の対論者であるチャカラは正統的なバラモン教の諸思想をバックボーンにする高名な医師である。 前に挙げたように聡明で博学、智慧があり弁舌の才があって、柔和で慈しみ深い人であったと、伝記には好意的に描かれている。

高名なチャラカには名誉やプライドがある。 そのプライドを守る為に、チャラカの論法には、「言い争う論法」もあるし、その為には論争の場所や聴衆まで規制する等のことまで気を配っている。 論争の勝ち負けが、その人の立場と密接に関係することと、思っている。

これは他人事ではない。 アートマンを認める思想の持ち主には良くあることです。
だから、「自性がない」ということを徹底して理解しなくてはならないのです。



話は戻りますが、そんなチャカラに言い争う論争を挑まれる龍樹は、「無諍」のブッダの教えがいつも念頭にある。 しかも龍樹は自分は一切知者と高らかに名乗って出てきています。
論理と法を追求する菩薩は、一切知者を目指すものということです。


龍樹は『方便心論1・1・3』でこう言っています。
 わたしはこのような八種の深く微妙な論法を簡略に説くことにしよう。
 様々な論法の入口を開くために
 さらに、言語の虚構を立つために。(漢訳は省略します。)


龍樹諭法

八種のことがら

1.喩え(比喩)

2.執りたい通りのもの(随所執{ズイショシュウ})

3.語りの善いもの(語善「ゴゼン」)

4.構文上の欠陥(言失{ゴンシツ})

5.認識の原因(知因{チイン})

6.時宜に従って語ること(應時語{オウジゴ})

7.〔認識の〕原因に似ているもの(似因{ジイン})・誤った理由(非因{ヒイン})

8.語りにしたがって難ずるもの(随語難{ズイゴナン})

この八種のことがらと言うのは、
言い争わない為の論法だという。


ここで、言い争わない論争は、何の為?何が目的になっているのかを確認しておきたい
それは戯論(ケロン)=言葉の虚構を断つためのものだと龍樹は言っている。



チャラカが五支作法の例として挙げた神我(プルシア)の常住性の論証(立量)

「神我は常住なり。
作られたものではないから。
例えば虚空のように。
虚空が作られたものではないように、神我も作られたものではない。
それゆえ、神我は常住である。」

この論証式では、作られたものではないということこそ常住であるということを導くもので、虚空はただ補強のため、だめ押しのために持ち出されているだけのように感じられ、全体としてとても冗長のように思われるのですが、逆に説得術としてはこのくらいのほうがいいのでしょうか。
>>[2]  しかし、ニヤーナ学派の成立に龍樹が絡んでいることや、医学の天啓聖典であるアーユルヴェーダの展開である『スシュルタ・サンヒター』と『チャカラ・サンヒター』との関連は面白いです。



ここで名前をあげている「スシュルタ」「チャカラ」の2人はそれぞれ「スシュルタ本集」「チャカラ本集」は最もアーユルヴェーダの知識を完全な形で著したと言われています。
 この2人はナーガールジュナと『方便心論』で互いに刺激になったとされる両名です。
面白いのは、この2人はアーユルヴェーダと言うインド伝承医学として脈々と受け継がれています。
それに対し、最強の論法と言われる帰謬論証法を編み出した龍樹。 論理に準づる唯識に飲み込まれてしまった、聖教にじゅん唯識。

 トドメは、高度に発達したインド仏教は、専門性を追求し過ぎ、衆生から離れていまい、民衆からかけ離れた単なるヲタク集団となってしまい、イスラム教に侵略を受けた時、他の宗教も同じ様に侵略や破壊受けたのですが、復興しなかったのは仏教だけだったのです。

 現代の日本でも迷妄のスピリチュアリズム の危機と仏教教義の判りづらさは関係しているんじゃないかと思えるのです。

仏教は今までも、新たな発見や研究で其れまでの常識がひっくり返ることは、沢山ありました。
 でもそれは、大した問題ではないのです。
 よく宗教では「真理」を求める という事を叫びますが、宗教の役割は「生き方」の提案であり、知恵の提供です。
「真実の探求」は経験科学の領域です。「宗教」の仕事じゃないんです。

 中国天台宗のチギが彼が生きていた時点では、膨大な仏教経典があって、皆一様に同じスタイルで始まるので、全部ブッダの言葉なんだ と皆思い、教えの全てを仕分けして時期と場所と教えの種類分けをしました。 これを五時八教という教判として日本にもそのまんま、入ってきて、法華経が教えの真髄であって、価値観を形成したのです。   そのよの教判の中で最も劣った教えとされた『阿含経』が唯一、歴史的には実際にブッダがお説きになった教えであることが判ったのです。  昭和の始め頃、それを発表した東京大学の教授は、殺されたのです。  法華経至上主義者には認めたくないことですから。
>>[017]

でも、『方便心論』の内容が詭弁や語難を用いて論理学を攻撃しているようなものなので、これはやはりナーガールジュナのものだという意見もありますね。
>>[020]

ケータイで見てるので開けないのでご免なさい。
(^o^;)

ログインすると、残り3件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

仏教・中観思想・空思想を学ぶ 更新情報

仏教・中観思想・空思想を学ぶのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。