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仏教・中観思想・空思想を学ぶコミュの自己紹介(参加者の挨拶)トピック

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「仏教・中観思想・空思想を学ぶ」のコミュニティへのご参加ありがとうございます。

自己紹介(参加者の挨拶)のコメントはこちらにて宜しくお願い致します。

コメント(99)

手術は無事終わりました。
頭に管がついてるので、書き込みが困難です
>カルマ・ランジェンさま

ご無事の生還よかったです。

ニマタクの英語論文、昨日ひとつゲットです。

いまから、読みます。

おとといのチベットゲシェーのことば

「唯識派は、実体視(諦)を断ずることについて識が残ってしまう。唯識派は、外界を否定しただけであって、実体視(諦)という視点はなかった。清弁は、実体視(諦)という視点で、唯識派を断じたのであるが、唯識派の意図は別のところにあった。しかし、識は実体視(諦)を断ずることについて、余ってしまった。」

なるだけ、文法的には、原文をそのまま訳しました。
カルマ・ランジュン 様

この度は、誠にご病気の治療という大変なる中、多大に仏法の法雨の恩恵をあずかることができまして、幸甚に存じております。

手術の成功、誠に良かったと心から安堵致しております。

どうか今しばらくは治癒に専念頂きまして、ご回復後に更に色々と私たちにお教えを頂けますよう、宜しくお願い申し上げます。

川口 英俊 拝
カルマ・ランジュンさん、手術無事ご成功のご様子、心よりお祝い申し上げます

ぼくも数年前に過労と高脂血症が原因で死に直面する緊急入院を経験したものですから、そのような時の思いはいかばかりであったろうと想像します

ぼくがその時に思ったのは医療体制や医学の発達の有り難さです
多くの理由によって高度の医療体制と医学が日本にそなわるに至っており、それにあずかった直接・間接のさまざまな諸力あるいは地道な努力に心から感謝せずにいられません

それと同時に自己の生について清らかな原点から見つめ直した時、その上に構築された一切の現世的諸課題、諸関係についてこの清らかな土台から判断してゆこうと心を新たにしたのでした


カルマ・ランジュンさんの益々のご活躍をお祈り申し上げます
いっきゅうさん、78910さん ありがとうございます。

手術後に痙攣したらしく縛られていましたが、しょうがないので暫く静かにしています


広島のおばさんさん

ありがとうございます。お礼が抜けてましたね

唯識の話は夢の事だと思ってましたが、手術後に朦朧とした意識で見たので混濁してました。

まだ、ちゃんと入力出来ないので、復帰はもう少し待ちます。

広島のおばさん様

>唯識派は、実体視(諦)を断ずることについて識が残ってしまう。唯識派は、外界を否定しただけであって、実体視(諦)という視点はなかった。清弁は、実体視(諦)という視点で、唯識派を断じたのであるが、唯識派の意図は別のところにあった。しかし、識は実体視(諦)を断ずることについて、余ってしまった。

唯識派については単に中観派からの批判の文脈で理解するのではなく、唯識派内部で真面目に思索された線に沿って学ぶと、そこにはとても豊かな学びが開かれて来るとぼくは思っています

また逆に唯識派内のさまざまな議論から中観派の思想について、より新たな理解を深められることも少なくないとぼくは思います
>78910さま

今日、『菩薩地』で、唯識派からの中観批判、読みました。

唯識では、余ったものが、世俗諦なのね。

おもしろいね。

世俗諦は、あまったけど、真理なんだそうな。

中観と違うけど、それもいいなあ。

チベットのゲルク派理解が宗派理解だって、言われるところね。このあたりも。

唯識の自証認識がわたしは、好きでなくて、それはわかるけど、それを認めちゃうのは、好きでないなあ。そのあたりから、中観が好きなんだけど。どうですか?

唯識は、いいと思うんだけど、なんか、瑜伽行者の優越意識みたいなものを感じてしまって、好きになれない。偏見かなあ?

中観は、それを見透かしているように思う。

でも、中観と唯識って、両方とも、相手がいて成立する論だとも思う。
ぼくは説一切有部でも経量部でも唯識派でも中観派でも、それぞれについてどんな批評がなされているかは書籍に目を通して知ることができるけれども

その一つ一つがぼくの浅く未熟な思考や体験を上回る努力を重ねた先人たちの鋭い討議や長き陶冶の成果だと思うと、

どれに対してもあらためて新鮮な目で触れさせてもらった時、その輝きあせない価値に心を震わせずにはいられません

唯識も、ぼくが何より惹かれたのは

幾度も幾度も自己の非を改めようと固く決意するぼくでありながら、まるでそんな固い決意は他人がしたかのように反故してしまう自分の闇のような愚かさの秘密に何としても近づきたい、何としても理解したい

という切実な思いからでした

唯識は一見、とても理論的だから、最初は入門書を読むと何だか理性でもってどんどんどんどん理解できたような気持ちになる

でも実はそれって唯識を理性レベルに引き下げて(=変形して)勝手にぼくが理解しやすいように理解しているだけだった!

入門書段階を脱して、もう少し深く読み込んでゆくと、あらためて自分が唯識に惹かれた原点に引き戻されて、理性の枠内で唯識をいいように飲み込もうとしていた自分の浅ましい愚かさに再び気づかされるばかりです!
>78910さま

>幾度も幾度も自己の非を改めようと固く決意するぼくでありながら、まるでそんな固い決意は他人がしたかのように反故してしまう自分の闇のような愚かさの秘密に何としても近づきたい、何としても理解したい

愚かさの秘密。

見たくないと、さけている部分を見ようとする努力。勇気。

怖れを突破する力。

唯識の魅力です。

その感動は、色あせることはないです。

久々にその気分を思い出しております。

自己の再認識のように感じています。違う?

ただ、それは、踏み越えるべきもの(ヘッセ的な表現)と思っていて。。。。

それで、中観に踏み込んだわけですが、

そこにも課題が待っていて、

自分を失ってしまう恐怖があります。

ここでとどまって、何年経つのだろう。20年ぐらい。。。

そこに留まっていると、きづいたのが、最近。

まだ、疑問が残っているのだけど、

越えないとしかたないのだろう。

疑問点や、つじつまあわせが残っていますが、

勇気ださなきゃ。
>自己の再認識のように感じています。違う?
ただ、それは、踏み越えるべきもの(ヘッセ的な表現)と思っていて。。。。
それで、中観に踏み込んだわけですが、そこにも課題が待っていて、自分を失ってしまう恐怖があります。

唯識論は本来、自分のあり方を徹底的に見つめ直し、外界との関わりの中で苦しみもがき惑い続ける人生を総点検しようとするものだから、
おっしゃるように「自己の再認識」とも言えると思います

唯識論は外界の諸々のダルマが普通に考えられているような実体・自性のあるものでは決してなく、ただ心識に立ちのぼる幻でしかないことを訴えました
それを突き詰めていった先に見出される真犯人こそ我々のアーラヤ識だというわけです

しかし、アーラヤ識もあくまでも我々を輪廻の苦海に閉じ込めている「真犯人」に過ぎず、輪廻を脱却するには犯人を捕りおさえたら次にこれを罰しなければなりません!否定しなければなりません!

もちろん唯識論は最終的にアーラヤ識さえ乗り越えて法界真如の輝きにひたるべきことを力強く説いています


ただヴァスバンドゥ以後、心識の分析に力を入れる東インド・ナーランダのディグナーガ、ダルマパーラ系統と

アーラヤ識さえ空であることを強調する西インド・ヴァラビーのスティラマティの系統が生まれ、それぞれに強調点が異なっています

中国や日本に唯識論として伝えられ優勢となったのは前者であり、アーラヤ識さえ空であることをやや軽視し、心識の詳細な分析に重きを置く系列のもので、法相宗と呼ばれるようになりました
>78910さま

おおそうですね。

>しかし、アーラヤ識もあくまでも我々を輪廻の苦海に閉じ込めている「真犯人」に過ぎず、輪廻を脱却するには犯人を捕りおさえたら次にこれを罰しなければなりません!否定しなければなりません!

唯識二十論第五偈
「それ(アーラヤ識)は、阿羅漢の位において消滅する。」

>もちろん唯識論は最終的にアーラヤ識さえ乗り越えて法界真如の輝きにひたるべきことを力強く説いています

唯識三十論第二十九偈
「これは無心であり、無碍であり、界である。そしてそれは出世間智であり、所依の転である。2種の麁重を断じたから。」


いいですね。

>ただヴァスバンドゥ以後、心識の分析に力を入れる東インド・ナーランダのディグナーガ、ダルマパーラ系統と
アーラヤ識さえ空であることを強調する西インド・ヴァラビーのスティラマティの系統が生まれ、それぞれに強調点が異なっています
中国や日本に唯識論として伝えられ優勢となったのは前者であり、アーラヤ識さえ空であることをやや軽視し、心識の詳細な分析に重きを置く系列のもので、法相宗と呼ばれるようになりました

解説ありがとうございます。

ほんと大乗って、好きハート達(複数ハート)
ご心配とご迷惑をお掛けしましたが、明後日の水曜日、退院する事になりました。

26日のダライ・ラマのパシフィコ横浜の講演会には間に合いました。ラッキーです。

ニチャン・リンポチェも行くと言うので楽しみです。


カルマ・ランジュンさん、退院の見込みとのこと。

安心いたしました。
ハレマルンルンさん


ようこそ、中観のコミュへ。

仏教とは関係ない仕事をしてますが副管理人をやらせて頂いているカルマ・ランジュンと申します。

ここは比較的仏教の専門家が多いですので、何なりと質問をされると教えて下さる方もいらっしゃると思います。
ハレマルンルンさん

骨折されたのですか、それはご不便でしょう。
お大事になさって下さい。


カルま・ランジュンという名前は、カルマ・カギュ派という宗派のラマに頂いた名前で、リトリートマスターで、六ヨーガと、マハームドラーの達人と名高い先生です。


カルマパ16世(カルマ黒帽ラマ)カルマ・ランジュン・リクペー・ドルジェがカギュ派全体の管長に任命されたのですが、そのカルマパにちなんで頂いたありがたい名前です。

カルマというのは、カルマ派の人の意で、ランジュンというのは、自己を開放するという意味です。

完全な名前負けな人です(笑)
法喜さん


初めまして、副管理人のカルマ・ランジュンです。

宜しくお願いします。
災害以来、書き込みも非常に少なくなっています。
僕も引っ越しをして、NTTが災害の為に、いつ繋がるか分からない状態になり、ネットが繋がるのが2ヶ月待ちと言われていたのに、どういう訳か、既に繋がりました。

この様に災害復興が早くなされる事を祈ります



初めまして

仏教の初心者です

どうぞよろしくお願いします
じんさん


はじめましてようこそ、おいでくださいました。
副管理人のカルマ・ランジュンです。


一昨日に今まで仏教には縁のない生活をしている人が、面談に来られました。
何の脈略も無くいきなり、至高体験をして、その後、意識のバランスを崩し、仕事も続けられない状態に陥って、内科に行くか、精神科医に行くか、クンダリーニに詳しい人にアドヴァイスを求めるかを悩んだ挙句に僕の所に来たのです。 最初、霊能者の所に行ったけど、どう考えてもご都合主義的な見解だったので、霊能者は危険と思ったらしいく、心理学的アプローチを求めてました。

心理学の視点では、トランスパーソナル心理学や、ユング心理学、そして統合心理学を統合したケン・ウイルバーは、チベット仏教のカギュ派のカルー・リンポチェに学び、僕とも兄弟弟子に当たります。

カルーリンポチェは、チベット人名事典でも今世紀最高の瞑想者として載ってますが、書名は忘れましたが、大縫輪閣から出版された四人のチベット人高僧の話を纏めた本にも載った高名な方で、ダライラマが慈愛を体現している人ならば、カルーリンポチェは慈悲の体現者と言えるでしょう。


話は勝手に、チベット仏教の話になってしまいましたが、四大宗派の特徴も、中観の認識の違いも現れて面白いのです。


sisiliaさん


はじめまして、宜しくどうぞぴかぴか(新しい)
忙しい管理人に代わってご挨拶です。


ナーガールジュナ(龍樹)の背中の後光と共に描かれている蛇の絵は、根源的知性の光、クンダリーニを象徴しているものとも言われています。



クンダリーニを覚醒させる事が出来れば、知性の並ではない発達、覚醒による神経系の解放による知覚の発達があります。



仏教の中には密教の教えとして、仏教に限らず、世界中のあらゆる宗教の中で、霊性の発達を促す為に秘儀として温存されてきました。

客観的に、宗教に限定せずとも、知性の発達、文化や産業、脳細胞の進化として、個人だけではなく、家族やコミュニティ、地域や集団、やがては国家単位、更には有機体としての進化に関与していくと言われます。 心理学的発達も例外ではなく、織物の様にその存在が影響を与えます。



 悟りに向かう存在の進化に知覚と認識の発達の為に、訳に立つであろうコミニティを立ち上げました。



 『クンダリーニとチャクラの真実』というコミュです。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=6019358


仏教の学術的な研鑽だけでは、悟りに到達することは難しく、数ある仏教の実践は、無数にあって、知的な勉強を治めるには、人生は余りに短かい。

 主観・内側の認識は、「私」の経験的側面です。  それの極みが「悟り」で、無上正等覚というのは、個人の悟りの枠を超えた究極の悟りです。

このアプローチによって仏教という枠に囚われず、あらゆる宗教や哲学や心理学を統合できるのじゃないかと試みていきたいです。

無謀かな(笑)

                             よろしくお願いします。

初めまして。大学で中観思想を研究しようと志している者です。聡明な方々ばかりで恐縮ですが、よろしくお願いします。
えーがく@夏の憂鬱さん

是非いろいろと教えて下さい。
よろしくお願いします。
m(__)m
中村元さんの空の論理を読みました。
よろしくお願いします。
原始仏教、中観派に興味あります。
>>[089]

原始仏教も、ぜひ真剣に取り組みたい輝く価値にあふれていますね。
はじめまして↑

過去にやっていた空手道や現時点で独学で学んでいる仏教を通じて、縁起や無常観について薄々ではありますが身体で感じるようになりました∞

自然の摂理や中観思想を自分の人生におきかえて、これからも色々な行いを通して精進していきたいと思いますm(_ _)m

よろしくお願いします☆
>>[91]

はじめまして、肌で感じる修行の探求は面白いですよね。

宜しくお願いいたします。

狸と申します。初学者ですので、色々教えてください。読んだ本は中村元「龍樹」。三枝先生の本も読みました。
>>[94]

はじめまして、中村元さんに習っていましたが、未だ初学者です。 よろしくお願いします。
>>[95]

学びとは、気付く事だと思います。
一緒に学びましょう。
>>[95]

中村元先生の著作『龍樹』は、内容の濃い、本当に勉強になるものですね。

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