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NW-SF/Speculative Japanコミュの〈New Worlds〉誌について

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イギリスにおけるニュー・ウェーヴの牙城となった〈ニュー・ワールズ〉誌について語り合うトピです。
とりあえず私の2008年の日記に掲載した、ムアコック編集長時代の同誌の邦訳リストを書影つきで転記します(計20回)。気になることやご意見等、適宜いただければ幸いです。同誌のことなら何でもOK。

皆さんの積極的な書き込みをお待ちしています。

コメント(34)

というわけで、今回からマイクル・ムアコックが単独で編集長を務めた<New Worlds>誌の邦訳リストを紹介していく。
邦訳は、「翻訳作品集成」をもとに調査した。複数の訳がある場合は、作成者の判断で取捨した。別題で邦訳がある場合は、併記している。
また、マイミクこわるさんのご協力がなかったらこの試みは挫折していた。こわるさん、データ提供ありがとうございました(注:翻訳家の山岸真さんにも多大なご協力をいただきました)。
誤りやもれがあると思いますので、ご指摘いただければ幸いです。

さる資料によれば、ムアコックが単独編集を務めたのは、同誌の通巻142号から181号、および194号。西暦で言うと1964年5・6月号から68年4月号と、69年9・10月号ということになる。この間に、ムアコック本人はもちろん、オールディスやバラードなどが続々と作品を発表していった。

では、以下に最初の3号のリストを掲載する。

■64年5・6月号(通巻142号)写真左
「最後の孤独な人間」ジョン・ブラナー(大谷圭二訳)
『年刊SF傑作選5』ジュディス・メリル編(東京創元社)所収
※別題「最後の孤独者」団精二訳『時のはざま』ドナルド・A・ウォルハイム&テリー・カー編(早川書房)所収

「スター・ウィルス」バリントン・J・ベイリー
『スター・ウィルス』(東京創元社・大森望訳)の短編版?

”Equinox”(2回連載第1回)→のち長編化されて”The Crystal World”
『結晶世界』(東京創元社)

■64年7・8月号(通巻143号)写真中央
「フレンチ・シュタイナーの堕落」ヒラリー・ベイリー(大谷圭二訳)
『年刊SF傑作選7』ジュディス・メリル編(東京創元社)所収

”Equinox”(2回連載最終回)→のち長編化されて”The Crystal World”
『結晶世界』(東京創元社)

■64年9・10月号(通巻144号)写真右
邦訳なし。
「ムアコックが新編集長の座につき、そしてわれわれだけでなく本人にも意外だったほど、編集の天才ぶりを発揮した。新しいちんまりした体裁、吸取紙のような紙質に印刷された毎号で、たった十二カ月のうちに、ムアコックは古い大砲の火門をふさぎ、新しい大砲をとりつけたのだ。そこには生みの悩みもあったし、その傷のすべてが癒えたとはいえない。しかし、彼はわれわれをこの上もない方法で目ざめさせ、そして、われわれを泣かせたり、笑わせたり、やじらせたり、寄稿させたりしたのだ」(「紙宇宙船の騎士たち」オールディス)

■64年11・12月号(通巻145号)写真左
邦訳なし

■65年1月号(通巻146号)写真中央
邦訳なし

■65年2月号(通巻147号)写真右
「マーティン・ボーグの奇妙な生涯」ジョージ・コリン(浅倉久志訳)
『世界ユーモアSF傑作選』(講談社)所収
「運動としてのニューウェーヴは64年、マイクル・ムアコックがイギリスのSF雑誌ニュー・ワールズの編集者となった時をスタートと考えるのが妥当だろう。彼のニュー・ワールズには、J・G・バラードやブライアン・W・オールディスといった一流作家の実験的な作品や、もっと無名な作家たちの意欲的な(そしてしばしば自意識過剰の)作品が掲載された。そこには若きトーマス・M・ディッシュ、チャールズ・プラット、ラングドン・ジョーンズ、ジョン・スラデック、パメラ・ゾリーンといった気鋭の作家たちがいた」(「1960年代」大野万紀/『SFハンドブック』所収)

■65年3月号(通巻148号)写真左
「王様の家来がみんな寄っても」バリントン・J・ベイリー(浅倉久志訳)
『シティ5からの脱出』(早川書房)所収

「太陽からの風」アーサー・C・クラーク(山高 昭訳)
『太陽からの風』(早川書房)所収

「夕暮れからの脱出」マイクル・ムアコック(中村 融訳)SFマガジン93年5月号

■65年4月号(通巻149号)写真中央
邦訳なし

■65年5月号(通巻150号)写真右
「時間の罠」チャールズ・L・ハーネス(浅倉久志訳)
『タイム・トラベラー』(新潮社)所収→アスタウンディング誌48年8月号の再録

「小さな暴露」ブライアン・W・オールディス(浅倉久志訳)
『ニュー・ワールズ傑作選 No.1』(早川書房)所収

「ノーボディ・アクスト・ユー」ジョン・ブラナー(伊藤典夫訳)
『ニュー・ワールズ傑作選 No.1』(早川書房)所収

「深層珊瑚の囚人」J・G・バラード(国領昭彦訳)<NW−SF>76年8月号
「新しい<ニュー・ワールズ>誌は、ある本質的な真理を把握していた。すなわち、過去のSFに含まれていた思弁的な本体は、まさに60年代中期のような未来を指向していたということである。日曜版のカラー雑誌、大量に出まわるLP,麻薬、乱交、安価なジェット機の旅、カラーテレビ、とつぜん生きた言葉を語りはじめたポップ・ミュージック−そして、中東かベトナムか南アフリカかそれともどこかが、とつぜん大爆発して、このとほうもないシャレードを永久に、アーメン、永久に終わらせるのではないかという絶えざる脅威−これはまさしく”すばらしい新世界”であり、われわれはそこから抜け出てはいないのだ!」(『十億年の宴』オールディス)


■65年6月号(通巻151号)写真左
「災厄の船」バリントン・J・ベイリー(大和田始訳)<NW−SF>78年8月号

「居留区」ヴァーナー・ヴィンジ(塚本淳二訳)
『忘却の惑星』ドナルド・A・ウォルハイム&テリー・カー編(早川書房)所収

■65年7月号(通巻152号)写真中央
邦訳なし

■65年8月号(通巻153号)写真右
「ビルは宇宙の英雄」ハリイ・ハリスン
『宇宙兵ブルース』(第一部)(浅倉久志訳/早川書房)

「根源」ブライアン・W・オールディス(中村 融訳)SFマガジン2000年2月号
「アメリカで発達したストレートSFの亜流ばかりを書いていたのでは、あちらの作家に対抗できないのは目に見えている。彼らが今まで試みなかった新分野を開拓する以外に道はない。「現在のSF読者の中核をなしているであろう、保守的なスペース・オペラ・ファンたちは、このメディアムに生命をふきこむ力にはならない。……批評眼のある読者の関心を集めるには、SFは現在の内容とアプローチをすっかり改めなければならない」六○年代はじめからそう主張し、実験的な試みを続けていたJ・G・バラード、それに賛同するムアコックを中心に、従来のSFに不満を持つ若い作家たちが集まりはじめた。ラングドン・ジョーンズ、チャールズ・プラット、ジョージ・コリン、キイス・ロバーツ、クリストファー・プリースト、(アメリカからやってきた)トーマス・M・ディッシュ、ジョン・T・スラデック。読者に媚びることだけに熱心で、主体性の感じられないSFはしりぞけられ、それまで作家たちが暗黙のうちに認めていたSFの限界への挑戦が始まった」ニュー・ワールズ小史(伊藤典夫/『ニュー・ワールズ傑作選No.1』所収)

■65年9月号(通巻154号)写真左
「花とロボット」ブライアン・W・オールディス(小尾芙佐訳)SFマガジン83年6月号

「旅人の憩い」ディヴィッド・I・マッスン(伊藤典夫訳)
『忘却の惑星』(早川書房)所収
※別題「旅行者の休息」<NW−SF>71年8月号

「水泳プール型原子炉にザブン」ハリイ・ハリスン
『宇宙兵ブルース』(第二部)(浅倉久志訳/早川書房)

「フェリペ・サジタリウスの快楽の園」マイクル・ムアコック(鏡 明訳)SFマガジン74年6月号

■65年10月号(通巻155号)写真中央
「EイコールMC^2かくたばるか」ハリイ・ハリスン
『宇宙兵ブルース』(第三部)(浅倉久志訳/早川書房)

■65年11月号(通巻156号)写真右
「音楽創造者」ラングドン・ジョーンズ(伊藤典夫訳)
『ニュー・ワールズ傑作選 No.1』(早川書房)所収
「われわれは確かに十字軍的改革を推し進めていた。だが、決してタブー・ブレイキング等の言葉で表されるようなことを目論んでいたわけではない。なぜなら、アメリカにおいて見られるような様々な制限はここイギリスではそう強くなかったからだ。われわれは、新しい主題を扱うのに適した新しい形式をまじめに探していた。われわれはいつも形式より内容を先行させていたのだ。ところが、なぜかわれわれの”改革”は形式的実験と誤解された。われわれの主たる狙いは内容と構成にあったのに−だから、たとえばジュディス・メリルやハーラン・エリスンが後になって、アメリカで使った”ニュー・ウェーヴ”とわれわれはほとんど関係がない。われわれは、文学におけるヨーロッパ的なモラルの伝統を永続化させようとしていたのだ。しかし、アメリカのパルプ雑誌的な伝統も拒否したことはほとんどない。要するに、それが与える影響など微々たるものだったからだ。(中略)
だからもし、われわれが為そうと(ママ)していたことがアメリカで誤解されたのなら、それは大部分の人々がその印象を間接的に得たからだろう。よい例がメリルの『年刊SF傑作選』だ。ジュディは良き友人であり、それらを介して<ニュー・ワールズ>を一般に広めてくれたのはよいが、彼女の意見はわれわれの見方と少しばかり異っていた。ニュー・ワールズ誌は、ジュディ自身の十字軍の旗印となったのだ!いわゆる”ニュー・ウェーヴ・スプキュレイテイヴ(ママ)・フィクション”とか”ニュー・シング”というような修辞があれば、それはわれわれとあまり関係がないと思ってほしい。思うに争いは、大部分アメリカで行なわれたのであり、この国ではその種のことはずっと前に終っていたのだ」(『追憶売ります』ウォルハイム&カー編・安田均解説/早川書房)

■65年12月号(通巻157号)写真左
邦訳なし

■66年1月号(通巻158号)写真中央
「愛は虚数」ロジャー・ゼラズニイ(浅倉久志訳)
『伝道の書に捧げる薔薇』(早川書房)所収

■66年2月号(通巻159号)写真右
「二代之間男」デイヴィッド・I・マッスン(浅倉久志訳)
『ニュー・ワールズ傑作選 No.1』(早川書房)所収
「まず第一に、SFは宇宙に背を向けるべきだとわたしは考える。恒星間旅行、地球外生物、銀河戦争、あるいはその重複タイプ、つまり雑誌SFの誌面の九割をおおうそうしたものから、SFは遠ざかるべきなのだ。偉大な作家ではあるが、H・G・ウェルズはその後のSFの進路に破滅的な影響を及ぼした。彼の提供したアイデアのレパートリーが、過去五十年にわたってこの媒体を占拠することになったというだけではない。単純なプロット、ジャーナリスティックな語り口、シチュエーションや人物設定の標準的な幅など、文体や形式の慣例を確立してしまったのである。自覚があるかどうかはともかく、いまSF読者を退屈させているのはそうしたものであり、それ自体が文学の他の方面での発達に比して、時代遅れに見えはじめているのである」
「内宇宙への道はどちらか?」J・G・バラード・伊藤典夫訳(SFマガジン97年3月号)

■66年3月号(通巻160号)写真左
「大時計」ラングドン・ジョーンズ(伊藤典夫訳)
『レンズの眼』(サンリオ)所収

「フロストとベータ」ロジャー・ゼラズニイ(浅倉久志訳)
『キャメロット最後の守護者』(早川書房)所収

■66年4月号(通巻161号)写真中央
「暗殺凶器」J・G・バラード(伊藤典夫訳)
『残虐行為展覧会』(工作舎)所収

■66年5月号(通巻162号)写真右
邦訳なし
「ムアコックの頭には、先行者としてふたりの作家の名前があった。バラードとブライアン・W・オールディスである。ふたりともカーネル時代の<ニュー・ワールズ>と<サイエンス・ファンタジー>の常連寄稿家で、従来のSFの枠にとらわれない作品を生みだしつつあった。(中略)ムアコックは<ニュー・ワールズ>の誌面を大きく割いて、ふたりの活動の支援に務めた。ふたりの小説やエッセイはもちろんのこと、彼らの作品を論じた批評をどしどし載せたのだ。そして作家たちにバラードとオールディスの例にならうことを呼びかけた。誤解のないように書いておけば、ふたりの模倣をするのではなく、ふたりのように独自のアプローチでスペキュレイティヴ・フィクションを書くことを奨励したのである。こうしてムアコックは、保守的なSF雑誌を革新勢力の牙城に作りかえていったのである」
(「解説−変革の嵐が吹き荒れた時代」中村融『20世紀SF3 1960年代 砂の檻』/河出書房新社)

■66年6月号(通巻163号)写真左
「あなた、コーマ、マリリン・モンロー」J・G・バラード(法水金太郎訳)
『残虐行為展覧会』(工作舎)所収

■66年7月号(通巻164号)写真中央
邦訳なし

■66年8月号(通巻165号)写真右
「アーメンといったらおしまい」ブライアン・W・オールディス(岡部宏之訳)
『追憶売ります』ドナルド・A・ウォルハイム&テリー・カー編(早川書房)所収

「十二月の鍵」ロジャー・ゼラズニイ(浅倉久志訳)
『伝道の書に捧げる薔薇』(早川書房)所収
流れを切ってしまいますが……。
改めてこうしてみていると、すごい雑誌だったなあ、と思いますね。
特に収録策は幅が広い。『宇宙兵ブルース』が入っていたなんて、
すっかり見落としていましたよ。
「思弁小説(スペキュレイティブ・フィクション)−宇宙、人類、”現実”に関するなにものかを、客体化(プロジェクション)、外挿(エキストラポレーション)、類推(アナログ)、仮説とその紙上実験、などの手段によって、探求し、発見し、まなびとることを目的とするストーリー。もちろん、考察に値するすべての小説は、それが真理のある一面に到達すること、あるいはそのヴェールを剥ぎとること、を心がけている点で、思弁的(スペキュレイティブ)だといえる。しかし、それは、すべての小説はファンタジイだとかいうのとおなじように、正しくもあれば、的はずれでもある。わたしがここで使う”思弁小説”(スペキュレイティブ・フィクション)という用語は、特につぎのようなものを指すと思ってほしい。つまり、現実のある仮定上の近似値を検討するために、伝統的な”科学の方法”(観察、仮説、実験)を利用する方式−ある一組の(空想的または独創的な)変化を”既知の事実”の共通の背景に導入すること、作中人物の反応や知覚が、その創作物あるいは作中人物、あるいはその両方についてのなにものかを明らかにするような、そうした環境を作り出すこと、でそれをなそうとする方式である」(『SFに何ができるか』ジュディス・メリル・浅倉久志訳/晶文社)


■66年9月号(通巻166号)写真左
「この人を見よ」マイクル・ムアコック(峯岸 久訳)
『追憶売ります』(早川書房)所収
 ※『この人を見よ』の中編版

「残虐行為展覧会」J・G・バラード(伊藤典夫訳)
同題短編集(工作舎)所収

「リトル・ボーイ再び」ブライアン・W・オールディス(伊藤典夫訳)
SFマガジン70年2月号

■66年10月号(通巻167号)写真中央
「リスの檻」トマス・M・ディッシュ(伊藤典夫訳)
『20世紀SF3』(中村 融/山岸 真編)(河出書房新社)所収

「山リンゴの危機」ジョージ・マクベス(大谷圭二訳)
『年刊SF傑作選7』(ジュディス・メリル編)所収

「聖なる狂気」ロジャー・ゼラズニイ(浅倉久志訳)
『伝道の書に捧げる薔薇』所収

「世界一の名車」ハリイ・ハリスン(浅倉久志訳)
『世界カーSF傑作選』ロバート・シルヴァーバーグ他編(講談社)所収

■66年11月号(通巻168号)写真右
「あらしの鳥、あらしの夢」J・G・バラード(大谷圭二訳)
『溺れた巨人』(東京創元社)所収

「アイオワ州ミルグローブの詩人たち」ジョン・スラデック(伊藤典夫訳)
『蒸気駆動の少年』(河出書房新社)所収
「”ニュー・ウェーブ”あるいは”ニュー・シング”と呼ばれる現象が一朝一夕に起こったわけではなく、そこにはある種の変化の進化の過程が認められる。われわれとしてはこれを大きく二つの時期に分けて考えてみたい。第一段階は1965年から1968年初めにかけての期間で(私の考えではニュ・ワールズ誌が最も実り豊かだったのはこの時期である)、その特徴をひとことでいえば、SFの領域の拡大、着想・文体の両面でのより大きな自由の獲得すなわち、SFというジャンルがまったく新しいものに生まれ変わり、狭いジャンルの枠が取り除かれたことである」(『現代SFの歴史』ジャック・サドゥール/鹿島・鈴木訳/早川書房)


■66年12月号(通巻169号)写真左
「虚像のエコー」(連載第1回/2回分載)トマス・M・ディッシュ
『虚像のエコー』(中桐雅夫訳/早川書房)

「白い船」キース・ロバーツ(越智道雄訳)
『パヴァーヌ』(扶桑社)の第5旋律

「夢の海、時の風」J・G・バラード(美濃透訳)SFマガジン1980年2月号


■67年1月号(通巻170号)写真中央
「永遠の一日」J・G・バラード(大谷圭二訳)
  『溺れた巨人』(東京創元社)所収

「コランダ」キース・ロバーツ(黒丸 尚訳)
  『ホークスビル収容所』ドナルド・A・ウォルハイム&テリー・カー編(早川書房)所収

「身変」キット・リード(幹 遥子訳)SFマガジン86年6月号所収

「虚像のエコー」(連載第2回/2回分載)トマス・M・ディッシュ
『虚像のエコー』(中桐雅夫訳/早川書房)

■67年3月号(通巻171号)写真右
「世界Aの報告書」ブライアン・W・オールディス
  『世界Aの報告書』(大和田始訳/サンリオ)

「下り坂自動車レースとみなしたジョン・F・ケネディの暗殺」J・G・バラード
  『残虐行為展覧会』(法水金太郎訳/工作舎)所収
 別題「下り坂カーレースにみたてたジョン・フィッツジェラルド・ケネディ暗殺事件」(伊藤典夫訳)
  『ベストSF1』ハリイ・ハリスン&ブライアン・W・オールディス編(サンリオ)所収
表紙がどれも、タメイキが出るくらいに美しいですね。
昨今のSFも、こういうテイストをもっと積極的に使ってほしいです。

そして、僕が読んできた作品群が、驚くほど短期間に発表されたものばかりだったということがよくわかりました。
Thornさん

ようやく半分までこぎつけました。
3日に1回の割合で書き込みたいと思います。
「アメリカSFをすっかり時代遅れにしたニュー・ワールズなのに、そのなかのこれといった傑作は、みんなアメリカ人のトーマス・M・ディッシュが書いている」
(「ニュー・ワールズ小史」伊藤典夫/『ニュー・ワールズ傑作選No.1』/早川書房)

■67年4月号(通巻172号)写真左
邦訳なし

■67年7月号(通巻173号)写真中央
「キャンプ・コンセントレーション」(4回連載第1回)トマス・M・ディッシュ
『キャンプ・コンセントレーション』(野口幸夫訳/サンリオ)
  「キャンプ収容」野口幸夫訳/NW-SF80年2月号〜82年12月号

「ある精神衰弱のための覚え書」J・G・バラード(法水金太郎訳)
『残虐行為展覧会』(工作舎)所収

「西暦1937年!」ジョン・スラデック(乗越和義訳)
『ベストSF1』ハリイ・ハリスン&ブライアン・W・オールディス編(サンリオ)所収

「宇宙の熱死」パミラ・ゾリーン(浅倉久志訳)SFマガジン69年10月号

■67年8月号(通巻174号)写真右
「キャンプ・コンセントレーション」(4回連載第2回)トマス・M・ディッシュ
『キャンプ・コンセントレーション』(野口幸夫訳/サンリオ)
  「キャンプ収容」野口幸夫訳/NW-SF80年2月号〜82年12月号
「サイエンス・フィクションの作品の傾向の変化については、最近SF関係者のあいだでも大いに議論を呼んでいる。”ニュー・ウェーブ”あるいは”オールド・ウェーブ”(そして、反動として”パーマネント・ウェーブ”)というような用語が、批評家・編集者・作家・ファンのあいだで振りまわされているのだ。こうした興奮のるつぼでは、サイエンス・フィクションで暴力的な革命が実行に移されつつあると感じる人が出るかもしれない。
わたしたちは、善悪いずれにせよ、そのような革命がさし迫っているとは信じていない。一連の新鋭作家が近年登場し、この分野に新鮮な創作技法を持ちこんだことはまぎれもない事実である(ふつう際だったものとして、ここではエリスン、ディッシュ、ディレーニイ、ゼラズニイといった名が語られる)。しかし、わたしたちは基本的に彼らをかつて存在したものの延長線上にとらえる。革命的というよりは進化的とみなすのだ。あらゆるサイエンス・フィクションの作品の試金石は想像力であり、センス・オブ・ワンダーであり、SFでの流派の本質的な相違点は、ただこの効果を達成する方法と、それによって何がなされたかという点にのみある」
(『ホークスビル収容所』はじめに/ドナルド・A・ウォルハイム&テリー・カー編/早川書房)

■67年9月号(通巻175号)写真左
「キャンプ・コンセントレーション」(4回連載第3回)トマス・M・ディッシュ
『キャンプ・コンセントレーション』(野口幸夫訳/サンリオ)
  「キャンプ収容」野口幸夫訳/NW-SF80年2月号〜82年12月号

「マスタースンと社員たち」ジョン・スラデック(浅倉久志訳)
 『グラックの卵』ハーヴェイ・ジェイコブズ他(国書刊行会)所収


■67年10月号(通巻176号)写真中央

「「隠生代」(3回連載第1回)ブライアン・W・オールディス(中上 守訳)
『隠生代』(早川書房)

キャンプ・コンセントレーション」(4回連載最終回)トマス・M・ディッシュ
『キャンプ・コンセントレーション』(野口幸夫訳/サンリオ)
  「キャンプ収容」野口幸夫訳/NW-SF80年2月号〜82年12月号


■67年11月号(通巻177号)写真右
「隠生代」(3回連載第2回)ブライアン・W・オールディス(中上 守訳)
『隠生代』(早川書房)
少しずつ解説していけたらと思うのですが、とりあえず『キャンプ・コンセントレーション』は傑作です。基本的に、佐藤哲也『妻の帝国』にも通じる、収容所文学としてのSFができることを、もう極限まで描いているのですね。
「フレンチ・シュタイナーの堕落」ヒラリー・ベイリー(大谷圭二訳)
『年刊SF傑作選7』ジュディス・メリル編(東京創元社)所収

を読んでみました。
ちなみに著者はマイクル・ムアコックの奥さん(笑)

これは、フィリップ・K・ディック『高い城の男』(新装版かっこいい!)、ノーマン・スピンラッド『鉄の夢』、スティーヴ・エリクソン『黒い時計の旅』にも相通じる、ナチが二次大戦を勝ったifの歴史ものですが、舞台は1954年のイギリスに設定されているんですね。いや、非常に興味深い。論じ倒してみたいくらいです。ぜひ。
今回はリストと書影のみ。


■67年12月号(通巻178号)
「隠生代」(3回連載最終回)ブライアン・W・オールディス(中上 守訳)
『隠生代』(早川書房)

「リンダとダニエルとスパイク」トーマス・M・ディッシュ(浅倉久志訳)
  『アジアの岸辺』(国書刊行会)所収

*Bug Jack Barron(ノーマン・スピンラッド)連載開始(全6回)

■68年2月号(通巻179号)
「浮世離れて」ハーヴィー・ジェイコブズ(大谷圭二訳)
  『年刊SF傑作選7』ジュディス・メリル編(東京創元社)所収

■68年3月号(通巻180号)
「レンズの眼」ラングドン・ジョーンズ(増田まもる訳)
  『レンズの眼』(サンリオ)所収
ムアコック編集の〈ニュー・ワールズ〉は181号でいったん終了するが、参考までに201号まで引き続きリストを掲載する。
特記なき場合は、ムアコックの編集。


■68年4月号(通巻181号)写真左
邦訳なし

■68年7月号(通巻182号)マイクル・ムアコック、ジェイムズ・サリス編(写真中央)
「絶叫(スクリーム)」ジャイルズ・ゴードン(山野浩一訳)SFマガジン72年9月号

■68年10月号(通巻183号)マイクル・ムアコック、ジェイムズ・サリス編(写真右)
「アメリカの世代」J・G・バラード(法水金太郎訳)
  『残虐行為展覧会』所収

「カサブランカ」トマス・M・ディッシュ(林雅代訳)
  『アジアの岸辺』所収

「フィリップス"忘れられた巨匠"シリーズ 交響曲第六番ハ短調「悲劇的」 ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン二世」ラングドン・ジョーンズ(山田和子訳)
  『レンズの眼』所収

※“Bug Jack Barron”(スピンラッド)連載終了(6回)
■68年11月号(通巻184号)マイクル・ムアコック、ジェイムズ・サリス編(写真左)
邦訳なし

■68年12月号(通巻185号)マイクル・ムアコック、ジェイムズ・サリス編(写真中央)
「デリー分割」マイクル・ムアコック(中村 融訳)SFマガジン2000年2月号

「時は準宝石の螺旋のように」サミュエル・R・ディレイニー(伊藤典夫訳)『時は準宝石の螺旋のように』(サンリオ)所収
 別題「時は準宝石の輪廻のように」(小野耕世訳)SFマガジン71年9月号

■69年1月号(通巻186号)マイクル・ムアコック、ジェイムズ・サリス編(写真右)
「戦車のぶらんこ」マイクル・ムアコック(野口幸夫訳)SFマガジン73年12月号

「夏の人喰い人種たち」J・G・バラード(法水金太郎訳)『残虐行為展覧会』(工作舎)所収

「不安検出書 (B式)」 ジョン・スラデック(野口幸夫訳)『蒸気駆動の少年』(河出書房新社)
■69年2月号(通巻187号)マイクル・ムアコック、ジェイムズ・サリス、チャールズ・プラット編(写真左)
「マスタープラン」ジョン・スラデック(越智道雄訳)『スラデック言語遊戯短編集』(サンリオ)所収

「エントロピー」トマス・ピンチョン(志村正雄訳)『スロー・ラーナー』(筑摩書房)所収

■69年3月号(通巻188号)マイクル・ムアコック、チャールズ・プラット編(写真中央)
「殺人競技場」J・G・バラード(山田和子訳)SFマガジン73年12月号

■69年4月号(通巻189号)ラングドン・ジョーンズ編(写真右)
「少年と犬」ハーラン・エリスン(伊藤典夫訳)『世界の中心で愛を叫んだけもの』(早川書房)所収

「浜辺の惨劇」J・G・バラード(山田和子訳)『死亡した宇宙飛行士』(NW-SF)所収
■69年5月号(通巻190号)ラングドン・ジョーンズ編(写真左)
「蝕の時」ブライアン・W・オールディス(宮城博訳)NW-SF81年7月号

■69年6月号(通巻191号)ラングドン・ジョーンズ編(写真中央)
邦訳なし

■69年7月号(通巻192号)ラングドン・ジョーンズ編(写真右)
「歓びの園」ラングドン・ジョーンズ(増田まもる訳)『レンズの眼』(サンリオ)所収
うーん、「エントロピー」までこの雑誌だったんですねぇ。
知りませんでした……。
「エントロピー」を読まれたんですか?
ピンチョンは気になる作家ではありますが、未だ読めていません。
■69年8月号(通巻193号)チャールズ・プラット編(写真左)
邦訳なし

■69年9・10月号(通巻194号)(写真中央)
「死ぬべき時と場所」J・G・バラード(野口幸夫訳)『死亡した宇宙飛行士』(NW-SF)所収

■69年11月号(通巻195号)チャールズ・プラット、グレアム・チャーノック編(写真右)
邦訳なし
ピンチョンはおもしろいですよー。

そろそろ佳境に入ってきましたね。
ハーベイ・ジェイコブズの「浮世離れて」を読んでみました。
これは芸能界裏事情とB級SF風テイストを織り交ぜた軽妙な快作ですね。
僕がSFを読み始めたとき、海外SF短編ならではの軽妙さに憧れていたことが
大きいのですが、本作品もそうした流れのひとつではあります。
■69年12月号(通巻196号)グレアム・M・ホール、グレアム・チャーノック編(写真左)
邦訳なし

■70年1月号(通巻197号)チャールズ・プラット編(写真中央)
邦訳なし

■70年2月号(通巻198号)チャールズ・プラット編(写真右)
「クレイターを越える旅」(大和田始訳)SFマガジン72年9月号
邦訳リストは、今回が最終回です。

■70年3月号(通巻199号)チャールズ・プラット編(写真左)
邦訳なし

■70年4月号(通巻200号)チャールズ・プラット編(写真中央)
邦訳なし

■71年3月号(通巻201号)チャールズ・プラット編(写真右)
邦訳なし
お疲れ様でしたー。たいへん刺激的な連載でした。
本当にありがとうございました。

それにしても、チャールズ・プラットが編集長になってからは、邦訳はあまりないのですねー。
そういえば、69年10・11月号の編集者の記載がありませんが、誰なのでしょう?
69年9・10月号ですね。
エントリ20に書いておいたのですが(特記なき場合は、ムアコックの編集)、マイクル・ムアコック編です。
みおとしていたー。
すみませんでした。そして早急な対応ありがとうございます。

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