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ポスト構造主義『思想哲学』伴立コミュの命題 「時間とは記録である」

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時間と言う言葉が持つ概念は 記録と言う概念を持つ物です。

行動の記録
記憶の記録
予想の記録

意識の記録
認識の記録

常識の記録
非常識の記録

様子と言う記録  私達の意識が、自覚の上で 記録と共に働いていないのは 単純に人間の脳の構造上にかかわる事象だけなんだと思う。


命題 「時間とは 記録である」

命題とは 人間の真理によって裏付けられていると考えています。
ですから 人間の真理に裏付けられない命題は 命題に成り得ない。

考えてみれば解かりそうな事です。
代入問題では 意味論か語用論という論理学の一種で語って意義がある事なんです。

桜の花的言い回しになります・・
命題に対して 対偶や逆や裏で言ってみるのは 四面体でできていると思える 人間の心を言葉で言い表していると仮説として考えています。

四面体とは
安心感の感覚 不安感の感覚 生きる気力の感覚 社会性の感覚の四面体です。考えるだけで 面白いと思います。
四面体で出来た心は 球形よりも壊れやすいのかもしれません。壊れる前が大切なんです。人間が生まれた時は 時間と意識と認識がペッタンコ。(笑いのネタです)

色々なご意見 お考えがあると思います。そういった物を記録に残しましょう。生きた証になると思います。人生の証になる事が 人間の姿の一つであると思います。

コメント(19)

【無意識】

桜の花思想哲学では 【無意識】を【高次の感覚】として考えている。

無意識は 意識が無いから感覚であると言う事でも良いのですけど、フロイト的には 古さゆえに 脳科学的には関係ないところもあり必ずしもそうではないようだ。

無意識は 意識に対して【高次の意識】と言う言葉があるのだから、感覚(五感等々)に対しての【高次の感覚】とした方が 脳の機能を説明するのに適するのではないかと思っている。

そして 無意識を【高次の感覚】と考えた方が 思想哲学的にも進化発展の切っ掛けになると思う。

なぜならば時間の概念を捉えるのも、意識を入り口とした高次の意識で捉えるよりも、感覚を入り口として高次の感覚とした無意識として捉えた方が 私の心にはストンと納まる。

心の中には 意識の世界と感覚の世界が共存して存在しているらしい。

その共存している両者は機能的な違いを持って存在している。

感覚は外にも開かれ 外と内の両方に出入りが開かれているのに、
意識は外には閉ざされ 内外の出入りは 言語や身振りと言う間接的な物を通しての出入りに限定されている。

意識の世界よりも 感覚の世界の方が、私達の心の中では 拠り所と広さを兼ね合わせながら存在させているという事で、意識と感覚の成り立ち的にも基本的な心を成しているのだと考えられる。

その点での意識は 豊かさを想像するのには 感覚よりも相応しい機能を有して、意識と感覚は共存しているのだろう。
【意志】と【意思】と【意識】の関係が神経プロセスの仕組に存在している。

まず私達の使う【意志】と【意思】の意味には二種類を混在させているようです。
簡単に言うと、宇宙の意志の場合と意思決定の場合の違いの事です。

それは【真理】の概念と【真実】の概念の違いがあります。

【意志】が【真理】である。
人間の真理は 人間の純粋本能です。

これは 空想上の「神の意志」や「宇宙の意志」を主張する人も多いはずですが、でも 実際には【人間の純粋本能の意志】を主張できると言う事に、身近な事でもあり自分の事なのです、自分自身の事なんです。

むしろ概念では【人間の純粋本能の意志】と【神の意志】と【宇宙の意志】の【意志】は矛盾しない関係であり 矛盾したとしても共存できる不思議な関係を成していると考えられます。観念論であれば矛盾の中でも共存が可能なのです。
でも その混乱した思考の為に人類の不幸の歴史や人類の危機迫る歴史が繰り返されてきています。ベルクソンも含めて多くの思想哲学者さえもが人類の歴史の汚名に加担してさえいるのです。

言い換えれば【真理】は【意志】として現される。その一つの確認できる手段が【不特定多数の集合知(多細胞の生命体であるゆえのそういう意志の反映でもある)】として誰でもが汲み取れる現象を作ると言える。

人間には 行動や思考に移る為の【意識】と【無意識】の働きの為の多くの感覚機能が神経プロセスとして脳の構造の中に存在している。
【意識】や【無意識】は 全てが【意志】が行動や思考に反映させる時のセンサー的役割を担う。ゆえに【意識】と【無意識】は無限に広がる宇宙の様な 主観性や客観性を伴う【心(多心や裏多心で言い表せる心)】を成すのだと考えられます。

【意識】は【意志】のセンサー的役割を担っている。それを支えているのが脳の神経プロセスと言える。

純粋本能の見えざる意志は意識をセンサーとして使う時と意識をセンサーとして使わない時に起こる違いを生きる為の環境における危険度を経験や学習に於いて熟知する事になる。


【意思】は【真実】の概念を持つ
これは※実存的だからです。 【意識】のもとに【意思】がうまれる。
勿論【見えざる意志】と【意思決定の意思】とは全然違うものです。【見えざる意志】が【真理】であっても【意思決定の意志】は【真理】ではありません。【意思決定の意志】は【真実】と言えるのです。この【真実】が社会規範の中で善悪を決めてきたのが古からの慣習都言えます。現代社会でさえ表面上において法律上の根拠や拠り所なんです。

※実存とは時間の概念に於いて過去(記録)と未来(発展的記録)の境に位置する概念です。


ゆえに

【意思】は実存的であり
【意志】は実存を超越したところに意味をなす。

他の多くの生命体は本能と実存が一致している。ゆえに自覚としての記録を持たない。次元的には二次元的な生きる為の環境に暮らす。
人間は記録を持つゆえに三次元的な生きる為の環境を手にしながら暮らしている。
更に心身を二つに分けると生命の物体は空間を持つ三次元を必要としている。

実存を超越しているその人間の【意志】は身体の何処にあるのだろう?
その場所を頭や臍下丹田やチャクラにあると言う人もいる?(笑)
本当なのか? 嘘でしょう。

嘘とは真実に開いた穴を虚でもって埋める事。by 桜の花
【意志】と【意思】と【意識】の関係が神経プロセスの仕組に存在している。

まず私達の使う【意志】と【意思】の意味には二種類を混在させているようです。
簡単に言うと、宇宙の意志の場合と意思決定の場合の違いの事です。

それは【真理】の概念と【真実】の概念の違いがあります。

【意志】が【真理】である。
人間の真理は 人間の純粋本能です。

これは 空想上の「神の意志」や「宇宙の意志」を主張する人も多いはずですが、でも 実際には【人間の純粋本能の意志】を主張できると言う事に、身近な事でもあり自分の事なのです、自分自身の事なんです。

むしろ概念では【人間の純粋本能の意志】と【神の意志】と【宇宙の意志】の【意志】は矛盾しない関係であり 矛盾したとしても共存できる不思議な関係を成していると考えられます。観念論であれば矛盾の中でも共存が可能なのです。
でも その混乱した思考の為に人類の不幸の歴史や人類の危機迫る歴史が繰り返されてきています。ベルクソンも含めて多くの思想哲学者さえもが人類の歴史の汚名に加担してさえいるのです。

言い換えれば【真理】は【意志】として現される。その一つの確認できる手段が【不特定多数の集合知(多細胞の生命体であるゆえのそういう意志の反映でもある)】として誰でもが汲み取れる現象を作ると言える。

人間には 行動や思考に移る為の【意識】と【無意識】の働きの為の多くの感覚機能が神経プロセスとして脳の構造の中に存在している。
【意識】や【無意識】は 全てが【意志】が行動や思考に反映させる時のセンサー的役割を担う。ゆえに【意識】と【無意識】は無限に広がる宇宙の様な 主観性や客観性を伴う【心(多心や裏多心で言い表せる心)】を成すのだと考えられます。

【意識】は【意志】のセンサー的役割を担っている。それを支えているのが脳の神経プロセスと言える。

純粋本能の見えざる意志は意識をセンサーとして使う時と意識をセンサーとして使わない時に起こる違いを生きる為の環境における危険度を経験や学習に於いて熟知する事になる。


【意思】は【真実】の概念を持つ
これは※実存的だからです。 【意識】のもとに【意思】がうまれる。
勿論【見えざる意志】と【意思決定の意思】とは全然違うものです。【見えざる意志】が【真理】であっても【意思決定の意志】は【真理】ではありません。【意思決定の意志】は【真実】と言えるのです。この【真実】が社会規範の中で善悪を決めてきたのが古からの慣習都言えます。現代社会でさえ表面上において法律上の根拠や拠り所なんです。

※実存とは時間の概念に於いて過去(記録)と未来(発展的記録)の境に位置する概念です。

ゆえに

【意思】は実存的であり
【意志】は実存を超越したところに意味をなす。

他の多くの生命体は本能と実存が一致している。ゆえに自覚としての記録を持たない。次元的には二次元的な生きる為の環境に暮らす。
人間は記録を持つゆえに三次元的な生きる為の環境を手にしながら暮らしている。
更に心身を二つに分けると生命の物体は空間を持つ三次元を必要としている。

実存を超越しているその人間の【意志】は身体の何処にあるのだろう?
その場所を頭や臍下丹田やチャクラにあると言う人もいる?(笑)
本当なのか? 嘘でしょう。

嘘とは真実に開いた穴を虚でもって埋める事。by 桜の花



概(おおむ)ねですけど 人心権思想哲学的な解釈ですが、

?真理である【宇宙の見えざる意志】を知る為の学問が **自然科学他の領域(発展中)
?真理である【神の見えざる意志】を知る為の学問が  **神学の領域(停滞中)
?真理である【人間の純粋本能のみえざる意志】を知る為の学問になりそうなのが **人間科学の領域(未認識でも入り口ある)

?真実である【意識がもとになる感覚で捉えられる意思】を知る為に追求する学問が **社会科学他の領域(未認識でも発展中)

IT社会においては??は明確に発展している。?も今日の学問の先端では入り口に存在できるようになった。これからが楽しみです。
?は人間自身の意思が神の意志の解明を拒んでいるのです。

このように分類できると面白くなると思います。
このように分類してみるのも健全な思考を更に発展させる為には一つの手段になると思う。(笑)

人類が生きる為に環境を造り替えてきました。その歴史に則った人類の叡智の証がこの様な学問の全てなのだと思います。
一【茶飲み話】

?真理である【神の見えざる意志】を知る為の学問が  **神学の領域(停滞中)

真理が無い為に検証が不可能なのか 検証させないのか、嘘なのか

更に言えば
民族的神話が真理として扱われ 且つ【結社】として統括しているとしたら封建制度的社会は構造主義を維持し続けるままであると思う。

たとえ民主主義と謳っていてもそれを擬似的封建制度といい構造主義的社会体制は変わらないのです。

それは簡単に解かります。
【時間(記録の価値観)と流通貨幣の流れ】の概念が実存的でありながら社会現象として観念論でしか把握されていないからです。むしろ実存的か観念的かの考え方を偏在させた扱いにより【富の偏在】を助長する社会的仕組が構築された意図的社会が造られているのです。
これが民族的神話を元に【見えざる意志】に脚色されていたとしてもあながち嘘とは言えない話です。

ベルクソンの言う「時間」の主体的に捉える概念こそ間違っているのです。
何故ならば【時間は主体的であり客体的でなければ共同体である社会生活は持続いたしません】。愛と言う言葉の概念には【支える・支えてもらう】と言う行為と意思が含まれているのと同様に、【時間は記録と言う概念を持ち主体的であり客体的な両面の概念をも備えているのです】。

共同体は持ちつ持たれつの関係が交互に成されている自覚と共に永続性があるのです。お人よしな人で無い限りは 偏在や一方通行的行為に継続性を求めるには無理があるのは道理を説くよりも経験的にも感覚的にも解かりやすいのです。ベルクソンの原書を読めば こう考えても可笑しくないかもしれません。


ポスト構造主義に於いては【時間(記録)】や【貨幣】の社会規範とも言うべき法律が不特定多数の立場で意志の見える為の細部にわたって作られた法律の時代が来ると考えています。今の時代の貨幣法をご存知でしょうか?およそ公平公正である法律の概念すら持っていません。特定極少数による擬似的な見えざる意志に管理されているだけなんです。これが現状です。(笑)


二 【茶飲み話】
?真理である【人間の純粋本能のみえざる意志】

人間の生も死も人間の純粋本能なんです。人の道です。
それは意図しなくても訪れる問題として理解できるのです。
人間にとっては不老不死の方が不思議な事に思う事が当たり前です。
真理であるゆえになんです。その一生をヒューマニティー(人道)と言う言葉で現代社会では理解されるようになった。主観的な言葉でも宗教的な言葉でもなくこの言葉が人間の純粋本能を含んでいるからです。

【魔性】も心に沸き起こります。それは非真理・非人道としてもありえるとおもいます。
では 人間の非真理とは? 非人道とは?
それは【個人個人の意思(日本語的には意志ではありません)の中に内在させる事ができるのです】。極論すると魔性は個人個人の意思の中に内在させる事ができるのです。

【非真理や非人道はどちらも「見えざる意志」を伴立させる心の中ではなくて「個人個人の意思」を伴立させた心の中で現れるものです】

ただこれだけの事でありえるのです。(笑)

※伴立・伴立現象
伴立現象は進化してきた人間の脳の神経プロセスの反映で思考する前にあるであろう避けられない現象の為に起こります。主観や客観の概念も同様であってどちらかであるのは脳の神経プロセスを反映させた必然的産物だと考えています。

この事を理解すると思考における主観性や客観性の偏在傾向をある程度は自分自身の思考でも他人の思考でも知らないときより理解しやすくなるし自分の心が笑えるほど楽になる切っ掛けになると思います。(笑)
三 【茶飲み話】これは茶飲み話です(笑)

?真理である【宇宙の見えざる意志】
?真理である【神の見えざる意志】
?真理である【人間の純粋本能のみえざる意志】

?真実である【意識がもとになる感覚で捉えられる人間の意思】


【理性】的なときに 私達は????のどの立場で、あるいはどの立場を脳裏に伴立させて語っているのだろうか?

多心・裏多心が人間の心に生まれ且つ存在しているのですけど理性的に話す時には何かをばんりつしているのです。

???の【理性】にのみアプリオリと言う意味が【みえざる意志】を汲み取れるのですからカントが語る意味に符合するはずです。

?であればその【理性的な論理】でも根拠の曖昧な主観的であり且つ人間的なので間違っているかも知れないのです。何しろ【真実】でありながら疑わしくもあります。【真実】では【真理】からはずれた論理展開がそこには見える可能性が存在しているからです。

?の【理性】とは【人間の論理的な意思】だと言う事が言えると考えています。だからそこにアプリオリなどはなく【懐疑的よちを残す】よくある話は正しいと言う事になります。

【人間の語る真理は人間の純粋本能に起因している】とは私達の哲学的思考には必要不可欠であるようです。

【理性】は【見えざる意志】か【意識から生まれる意思】のどちらか一つを伴立させて顕現されているのです。

だから
【見えざる意志】の時には【アプリオリ】があり。
【意識から生まれる意思】の場合は【アプリオリ】がありません。

また【理性】は論理的意思という意味が相応しい。


四 【茶飲み話】

?真実である【ミトコンドリアと細胞が持つ知力と能力を含めたその他の見えざる能力】
哲学をする能力の限界があるということではありません。主に運動能力。個人個人の総合的な運動能力の限界でもって【見えざる能力】知る事もできる。
これは【生きる気力の感覚】が存在しているかぎりは身体も心も一緒に豊かにする役割をもつものだと考えています。



五 【茶飲み話】

人類とその人類の反映である社会が共に進化発展すると【社会規範】も【真理=慣習法的社会規範(不文法)】と【真実=成文法】の二つが両立する時代が封建制度社会と違った様相をもって再び再現するかもしれない。

それは封建制度社会から擬似的封建制度社会を経てIT制度社会になった時かもしれない。
それは時間が記録と言う概念を意識できる人類の新たなIT技術との共生時代(太古の時にミトコンドリアと共生関係になり生命が兆速の進化の道を歩みだした事と類似する事象)になっていなければ実現は不可能かもしれない。(笑のネタです)

六 【茶飲み話】

人類とその人類の反映である社会が共に進化発展すると【社会規範】も【真理=慣習法的社会規範(不文法)】と【真実=成文法】の二つが両立する時代が封建制度社会と違った様相をもって再び再現するかもしれない。

それは封建制度社会から擬似的封建制度社会を経てIT制度社会になった時かもしれない。
それは時間が記録と言う概念を意識できる人類の新たなIT技術との共生時代(太古の時にミトコンドリアと共生関係になり生命が兆速の進化の道を歩みだした事と類似する事象)になっていなければ実現は不可能かもしれない。(笑のネタです)


七 【茶飲み話】

人間の純粋本能はお互いが隔絶した関係を成しているようです。

※人間の真理は人間の純粋本能の事である  by 桜の花

※生も死も生命の純粋本能である by 桜の花


隔絶した純粋本能に対して他の隔絶している純粋本能が目的にならないと言う考え方をしたほうが適切だと考えています。
ならば 生にも死にも目的はありません。

隔絶した純粋本能におけるセックスにも目的はありません。
隔絶した純粋本能における食事にも目的はありません。
隔絶した純粋本能における睡眠にも目的はありません。

※人間の本能は半分ぐらい意思を持つまでに進化した心です by 桜の花

だから 生にも死にもセックスにも食事にも睡眠にも目的があると色々と感情的にも理性的にも思考してみたくなるのです。この錯覚は幼い頃の発想では自然なんです。

セックスの目的が食事でも睡眠でも生でも死でも無い様に、純粋本能は見えざる意志の相の下にそれぞれが隔絶しそれぞれが臨界期を持つ仕組だと考えます。


人間に【自由な意識】がありますけど、【自由な意志】や【自由な意思】は無いと思っています。
【自由な意識】は無限に広がる意識の意味であると考えています。
こういう認識は必要不可欠だと思います(笑)



八 【茶飲み話】

意識の始まりは心に起こる【伴立現象を伴う事】がその起こりかもしれない。
どうして【伴立現象】を伴うのかは 未だに生物学の中でも解明されていない。

その一つの仮説ですが、
純粋本能の塊である二つの成熟した卵子と成熟した精子の融合が伴立現象を引き起こす誘引になるかもしれない。
そして これが【意識を持つ生命の原点】だと考えてもおかしくないかもしれない。

そして伴立現象を伴う意識そのものが二つの異なる純粋本能が両立する為に生まれるバグ的要素を持ちつつ生きる為の環境問題を克服する為に役立つ意識その物なのかもしれない。(笑)

九【茶飲み話】の中のここを簡単にまとめますねぇ。

真理=客体 同じ物とする 
真実=主体 同じ物とする 

こうすると二つの違いが解かりやすくなります。

>伴立現象を伴う意識そのものが二つの異なる純粋本能が両立する為に生まれるバグ的要素を持ちつつ生きる為の環境問題を克服する為に役立つ意識その物なのかもしれない。

【卵子と精子の受精からバグ的であるけど進化が伴い人間の意識の世界が始まる】by 桜の花

【人間の純粋本能の意志】=【真理】=【客体】=【客観的といえるもの】に対して
 
バグ的要素を持つのが【人間の意識から生まれる意思】=【真実】=【主体】=【主観的と言えるもの】と考えられる。

十【茶飲み話】

意識と量子力学の関係性を色濃く考えられる起点とその範囲に澪筑紫(みおつくし)的に思いをよせる。


話のついでに【二つの純粋本能同士の融合】が可能な理由を説明できるのが【量子力学の世界】だと考えています。(笑)
ミトコンドリアは二つの純粋本能の融合はありません。

>伴立現象を伴う意識そのものが二つの異なる純粋本能が両立する為に生まれるバグ的要素を持ちつつ生きる為の環境問題を克服する為に役立つ意識その物なのかもしれない。

それでも 人間もミトコンドリアも【量子力学の世界】において理解できるようになるであろう進化のメカニズム、これは大きな意味で同じだと考えてもいます。(笑)

宇宙のみえざる意志の一部を含んだなかに存在する生命の誕生から二つの純粋本能(みえざる意志)の融合までを正確に語ろうという目的を持つのが量子力学だといえるかもしれません。(笑)

現代社会に於いては現実問題ですけど人間のバグを修正するのが【意識】であるのか【医療】であるのです。その結果として中途半端な思想哲学の範疇でもいたしかたがないのではないかと思います。人間の真理を抜きにした気分での自我思想家的主体が幅をきかせて社会の支配が横行してもいるのですから(笑)

【人間は記録のコアである】by 桜の花

人間の生きる目的は記録のコアとしての存在なのだろう 



時間の概念を【記録(データー)】と考える。

【宇宙の見えざる意志】の一つが【記録(データー)】と関係していると考えるなら、

【人間の純粋本能の見えざる意志】の一つは【記録(データー)】と関係していると言える。

生命は個々の固体のそのものが【意識(無意識を含む)=記録(データー)】を持つコアである。
無機物は固体の外に記録を持つコアである。
                          by 桜の花

ゆえに 人間の生きる目的も人生そのものも【記録】との関係を永遠の相(すがた)の下に持ちつつ実存的な意味での個人個人の人間は記録そのものである意識をもとにして快適な生活を個人個人が求めつつ過ごそうと常にしている【記録的なコア】のように考えられる。


【人間は記録のコアである 人間社会は人間そのものを反映させるところに一番の安定があるだろう。その安定とは自在な変化の存在を否定しない。】by 桜の花

真理=客体 真理と客体は同じ物とする 
真実=主体 真実と主体は同じ物とする 

こうすると二つの違いが解かりやすくなります。

伴立現象を伴う意識そのものが二つの異なる純粋本能が【意識や認識の機能の中で両立する為に】生まれるバグ的要素を持ちつつ生きる為の環境問題を克服する為に役立つ意識その物なのかもしれない。

【卵子と精子の受精からバグ的であるけど進化が伴い人間の意識の世界が始まる】by 桜の花

【人間の純粋本能の意志】=【真理】=【客体】=【客観的といえるもの】に対して
 
バグ的要素を持つのが【人間の意識から生まれる意思】=【真実】=【主体】=【主観的と言えるもの】と考えられる。

【人間の真理とは人間の純粋本能(人間のみえざる意志)の事である】

【純粋本能(人間のみえざる意志)は種の本質】

ゆえに【人間の真理は種の本質である】


仮説です 【卵子】【精子】が【みえざる意志】の本体です。細胞分裂は【遺伝子同士が伴立させて起動するみえざる意志】なのです。
【みえざる意志】は単体では存在しないに等しいから【みえざる意志】と言うに相応しいと考えています。いずれはもっと相応しい造語が必要になる時が来るだろうと思っています。
【みえざる意志】
それは【卵子や精子】と言う遺伝子の塊が単体で存在しても存在していないのと同じ事なのです。

【受精】すなわち【みえざる意志】が互いに伴立しあって初めて起動する。
電位差をもって電気を流し始めると思えるからです。量子力学の入り口になると考えています。

伴立は細胞を起動させて高次の意識や高次の感覚を作り出すためにも必要不可欠なのです。

【みえざる意志】の起動のための伴立事象によって全ては始まり存在を成すと考えています。

【みえざる意志が係わる因果関係】

【喜怒哀楽は矛盾を感じて起こる条件反射です】by 桜の花

Aと言う人に悪意があっても悪意が無くても関係なくて
Bと言う人に喜怒哀楽の感情は起こると言う事になる【みえざる意志が係わる因果関係】を簡単に表した一言です。

【矛盾】の本義は沢山が同時に存在していると言う事なんです。矛と盾の話に拘るから本義である矛盾の意味と内容を見失ってしまうのです。

同様に条件反射で不幸な突発事故もあれば偶然の幸せな出来事も条件反射としてあるのです。
【正誤の常識を発揮し正が正なりに誤は正にするように現象変換が見受けられる3%の意識が無意識を生きるための環境問題に向かって解決する。これが科学哲学に伴立している1つです。】by 桜の花
喜怒哀楽は矛盾を感じて起きる条件反射です。by 桜の花

人間の感情も進化した条件反射を生む。それが悪戯(いたずら)です。by 桜の花

悪戯(いたずら)は時系列で起きる環境の現象変換を求めた行為と意識の2つを伴う進化した条件反射です。by 桜の花

世の中には【ギャンブル依存症】と言う事象と言葉があるが、これも悪戯(いたずら)と同じく時系列で起きる条件反射です。by 桜の花
【戦争】も【いじめ】も【人類の未発達な脳が悪戯(いたずら)をしたがる事】が原因だと言う風に科哲的に考えると腑に落ちる。

人類にとっての歴史で知ることですが、人類にとって歴史的な人類の悲劇は何度も起こっている。

私は悲劇である戦争も歴史の中で、人類の進化発展の過程で避けられない事態であれば【悪戯(いたずら)】と解釈している。
人類の進化発展の過程で避けられない事態を【悪戯(いたずら)】と言うほうが私にとって腑に落ちると思える。

人類の進化発展の過程で起こる戦争が悪戯であれば、
人類の進化発展の過程で起こる【いじめ】も避けられない事態であれば悪戯と考えた方が適切かもしれない。

【人類の未発達な脳が悪戯(いたずら)をしたがる事】は悪戯したい衝動と言う本能の1つを意識を加えて駆逐するまで、人類が進化発展する脳を持つ人間になるまで我慢するより方法がない。進歩が無ければ【悪戯】が好きな性格は直らないと考えています。
仏教由来の【ふしだら】とは【意識のバグ】の総称。  【ふしだら】の語源的意味に通じているかもしれない。

【意識のバグ】の持ち主は支離滅裂な感情論者そして支離滅裂な唯識論者そして支離滅裂な妄想信仰論等の論法論者に拝見できる。

【高次の意識(見当識)】は生と死の間で存在する。だからそうなる事もあると言える。

そしてそういった【意識のバグ】を多用する処の意識のバグの持ち主は その人の意識の成れの果てが【ふしだら】的人生である。この様に考えると腑に落ちる。


【本来の家庭の原型】や【本来の社会の原型】は そういった【意識のバグ】の防止を人間の本能的なところで良し悪しを相対的に感じた結果であるのだろうと思う。 

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