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栃木県の廃線コミュの宇都宮線 宇都宮〜矢板

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1886年(明治19年)10月1日 宇都宮〜那須(現・西那須野)間開業。
※このときの宇都宮〜矢板間は、現・東北新幹線に近い経路でした。
1886年(明治19年)11月1日 宇都宮〜那須間に長久保駅開業。
1891年(明治24年)9月1日 宇都宮〜長久保間に古田駅開業。
1897年(明治30年)2月25日 宇都宮〜矢板間経路変更。
(毎年の様に起こる鬼怒川の氾濫、橋梁被害で運休が多発、経路変更を余儀なくされた)

左画像:宇都宮方面を望む
旧線跡地より宇都宮駅を望む。

中画像:旧線跡
正面のスペースが無駄に空いているのが分かると思う。
現在の新幹線とほぼ平行で、若干東にズレながら走っていた。

コメント(12)

左画像:御用川付近
中学校入り口です。数年前までこの撮影ポイントに橋台跡が残っていました。
しかし、現在の左に整備された河川工事で、撤去されたか埋められました。

中画像:残っている遺構
踏み切り近くの交差点を西に入っていくと整備された御用川があり、
その傍らに何気なく置かれています。

右画像:遺構の残骸
草にまみれて残骸が無造作に重ねられていました。
この遺構は、他にはもうないのでしょうか。

これらの遺構、川の傍らに放置しているのではなく、何かに利用するとか、
黒田原の先にあるモニュメントみたいにするとか出来ないですかね。
左画像:高麗神社古墳
旧線をたどって行き、現在の環状線を超え、地図を頼りに探すとありました。
説明文には「封土の一部が掘削されていますが」とあります。
鉄道の事は何も書かれておりませんが、この古墳を通っていました。

中画像:高麗神社入り口

右画像:高麗神社古墳を矢板側から見る
矢板方から切り通しの様子をみる。画面中央を旧線が通過していました。
古墳の中央がくぼんでいるのがお解りでしょうか。
左画像:橋台跡
見えずらいですが、木の根元に橋台がくっついています。
高麗神社古墳の先にある遺構で、宇都宮方のみが現存しています。
ここは資材置き場と住宅に挟まれた場所にひっそりとあります。
正面の写真を撮るには、個人宅庭より撮影しなければなりません。

右画像:矢板方面から望む
右側にある木々から、現在の住宅をつっきって線路は通っていました。
古田駅があった付近です。完全な森の中ですね。

左画像:古田駅への取り付け道路
現在は森へ入っていく道です。

中画像:宇都宮方面を望む
古田駅があったと思われる地点に、小道が南北に伸びています。
これが廃線跡だったと思われます。
地元住民が農作業する際の近道・抜け道として使っているようで、
わだちが出来ており、車ですんなり通れます。

右画像:矢板方面を望む
こちらも小道が延びています。
こちらは通っている跡がなく、雑草が生えまくっております。
西芦沼地区の神社の斜向いに、ひっそりとある橋台跡。旧線最大級の遺構です。

左画像:宇都宮側の橋台
東に向けて撮影しています。

中画像:矢板側の橋台
同じく東に向けて撮影しています。

右画像:説明看板
以前は違う場所(宇都宮側手前あたり)に建てられていたらしいのですが、
現在では、矢板側の橋台に寄りかかるようにして立てかけられ、
枠もサビだらけ、看板自体も汚れ放題です。
左画像:西鬼怒川対岸
西芦沼地区を抜け、西鬼怒川対岸を撮影。
現在も煉瓦作りの橋台跡というか構造物が残っているらしいのですが、
雑草が繁茂し、とても確認する事ができませんでした。

右画像:堤防跡
芦沼運動公園入り口にある堤防跡。掘削された断面を観察する事ができます。
川に対する面には石も積み上げられ、なんらかの対策がとられていたようです。
西鬼怒川を過ぎ、まもなくすると東鬼怒川があり、氏家大橋が現れます。

左画像:氏家大橋
矢板方面を望む。この氏家大橋とほぼ平行で掛かっていたらしい。
もしくは、若干北に向いて掛かっていたと思われます。

中画像:ウエル(井筒)
橋梁の下部構造物です。現在は残っているのが少ないです。
外部が煉瓦作りで中央がコンクリートです。
本来であれば、撮影するために立っている付近にもう1基あったはずで、
2基で1箇所の橋脚となっていたらしいです。

右画像:川の流れの中のウエル
こちらは2基残っています。しかし、倒壊していると思われます。
崩れており、斜めに傾いているのが解ります。
長久保駅があった付近です。現在は田んぼになっています。

左画像:矢板方面を望む
右にある森の左側に長久保駅があったらしいです。
撮影ポイントが旧線上と思われ、もしかしたらこの辺りに踏切みたいな物があったのかも。

中画像:宇都宮方面を望む
今は田んぼです。何も残っておりません。

右画像:取り付け道路跡
現在は、私道となっています。
[1]
長久保駅があった付近を過ぎて、交差点を越えた所にある押上小学校。
その校庭南側の片隅に、顕彰碑が作られています。

左画像:顕彰碑
レールも敷かれ、位置・方向ともに旧線に忠実だという事です。
「誰がどのような理由で、この顕彰碑を作ったか。」とても興味深いです。

中画像:宇都宮方面を望む

右画像:矢板方面を望む

たまたま散歩していた初老の夫婦に話を聞いてみると、
路線変更が明治30年にも関わらず、代々話が受け継がれ、快く話してくださいました。
「ここの辺りに駅があったそうですけど、残っていたら楽だったのにね〜。」
と、少々残念がっておりました。
現在線との合流地点付近

蒲須坂駅北端付近から見ています。
右手前から旧線は延び、左の本線へと合流していきます。


この旧線を見てまわって、旧線上にはまだ橋台など遺構が眠っています。
それでも十分、インパクトのある遺構が多く、なかなか面白い調査となりました。
しかし、いくつか以前調査した時より区画整理や河川工事により、
遺構がどんどん減ってきているのは確かです。
路線ルート図

左:宇都宮駅側、右:蒲須坂駅側

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