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栃木県の廃線コミュの東武鉄道日光鋼索鉄道線

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1927年(昭和2年)3月、日光登山鉄道設立
1929年(昭和4年)3月、着工。その後、恐慌の影響で中断される。
1931年(昭和6年)8月、当初電気鉄道の建設予定していた明智平−中善寺(中宮祠)間を
工事中の軌道敷を利用した自動車専用道に変更する。
1931年(昭和6年)11月、工事再開される。
1932(昭和7年)8月28日、日光登山鉄道(鋼索鉄道)開業。馬返-明智平1.2km
※日光電気軌道は馬返駅を移設し連絡を開始
1933年(昭和8年)11月3日、日光登山鉄道(架空索道)開業 明智平−展望台
1943年(昭和18年)9月、戦時体制のため架空索道休止、その後施設撤去
1945年(昭和20年)2月28日、日光軌道株式会社に併合される
1947年(昭和22年)6月1日、東武鉄道と合併。東武鉄道日光鋼索鉄道線に。
1950年(昭和25年)10年、 東武鉄道日光普通索道線として架空索道を再開される。
1968年(昭和43年)2月24日、軌道線廃止
1970年(昭和45年)3月31日、鋼索鉄道線廃止

昭和28〜29年は、日光の観光ブームで旅客数は236万人〜252万人と大盛況。
しかし、第二いろは坂完成の翌年度(昭和41年)は対前年度比40%以上減少すると、
急激に衰退して、廃止年度(昭和44年)輸送はわずか25万人、経営状況の悪化から廃止に至る。


左画像:馬返し駅があった地点
今では、ぱっとみ何も無く、ただの空き地に見える。

中画像:石垣
探索してみると、小高い丘になっており傾斜がみられ、石垣などがあったりして、
何かがあったと思わせる雰囲気です。

右画像:コンクリートの土台?

コメント(5)

左画像:コンクリートの土台

中画像:土台に埋め込まれている鉄柱2本1

右画像:土台に埋め込まれている鉄柱2本2

これらを見ると、確実にここからスタートしていたんだなと思いますね。
左画像:土台上から対岸を望む
真ん中あたりの枝の隙間から、対岸の橋が見えますが、
この右側に大鉄橋がかかっていました。

中画像:対岸の大鉄橋の橋台跡
これは、第二いろは坂に入ってカーブしたすぐ右側に階段があり、
そこを登るとあります。登るのは慎重に1段ずつ登りました。
2段ごとに手すりがついており、登りやすいですが、足元は腐食したりしています。

右画像:ありし日の大鉄橋(明智平ドライブインに飾られています)
第二いろは坂をオーバークロスしており、とても雄大な景色だった事でしょう。
左画像:鉄橋台跡の上より馬返しを望む

中画像:明智平方面を望む

右画像:路盤跡。
枕木のくぼみがコンクリート面にはっきり残っています。
左の黒い線は、通信用です。路盤跡を利用して明智平まで続いています。
左画像:明智平ドライブイン
ここが東武鉄道日光鋼索鉄道線の終点です。
途中、交換所やトンネルが2つありますが、山道を一人で探索するのは危険ですし、
時間も体力もないので、探索はいたしません。
興味ある方は、山道に明るい方や地元の詳しい方と一緒に行ってみてください。
この左にあるロープウェー(普通索道)で展望台まで行けます。

右画像:明智平ドライブイン裏の終点地点
裏窓から見れます。この裏窓周辺には、過去の写真などが飾られています。
この足元あたりに巻上げ設備がありました。
ここを見ると、明智平ドライブインが終点駅だという事を実感します。

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