海外現代文学コミュのアニータ・ブルックナーの描くもの

　文学というのは志向性を伴うことが欠かせないとわたしは思っていて、そのために身の程もわきまえず、ドリス・レッシングの分厚い『The Golden Notebook』をもう一年以上も英語にてしこしこ読んでいるわけである（頻繁に読みがとまるわけであるが）。

　そんななかでおなじイギリスの現代作家アニータ・ブルックナーの『嘘』を読んだ。
　イギリスでは、D.H.ローレンスが鉱夫をあつかい、アラン・シリトーが労働者階級を描いてから作品の主人公は様変わりしたし、第一次大戦の影響は後の世代におおきな影響を残したし、今では非ヨーロッパ世界を描くこと、あるいは非ヨーロッパ世界からの書き手らが脚光を浴びている。

　そんななかでブルックナーはイギリスの伝統的な静態的社会を描いたのである。
　お金に困らない階層のなかで、老いた母親の世話をする娘は自らの幸せについて思い描くことなく、おなじように老いていく。
　さしずめニホンの（辛口の）ホームドラマにもありえそうな話。

　しかしここでブルックナーは、女のひと固有のこまやかさにくわえ、大人の時間をも過ぎ去ったひとたちの世界に読む者をまきこんでいく。生きることと暮らすことの価値観が、一見、淀んでいるようにみえても、そこには近づき難さが見え隠れし、その異質性（意識性）に眼をみはる。

イギリス社会にて残りの時間をどう生きるか、その表情の襞が執拗に描かれている。この種の記述をわたしは文学に求めてはいないが自分の残りの時間に思いをはせると、鬼気迫ってくるのを感じる。傍観者のつもりで読んでいても身につまされる。やはりオースティンの国だけはある。

一方であまりにも詳細にひとりのこと、あるいは人と人との繋がりにについて叙述してしまうと、一般には見たくないところまで見えてしまうことを意味して、むきだしの姿が出てきてしまい、つまりは人間は孤独な存在でしかないというペシミスティックなところに辿りついてしまいそう。

この迫力は主人公らを掘り下げただけではなく、周辺の人物にも周到な叙述を割り当てたことで、対位法的な構造をもたらされたからだろう。五十を過ぎてからでも目覚めることはできるし、あたらしく生き始めることもできるというのは、これは戦慄をもたらすにちがいない。

いくら社会が変わっているように見えても、そのなかのひとが変わるはずはなく、たとえ意識が遅れたひとびと、後ろ向きのひとびとだと言われようとも、そこから見出せるものは普遍であるらしい。
　もちろん批評性、自己批評もふくめての批評性が欠かせず、それはたとえば眠密な描写、透徹した内面の把握なくしては達成できないことでもあるだろうけど。
そして生きる希望はどこからでも見出せるのである。

コメント(9)

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[2] mixiユーザー 08月17日 13:12

Claraさん＞
　おひさしぶりです。
　「秋のホテル」もたまたま持ってるので、近いうちにまた触れます。
　アニータ・ブルックナーを手に入れたのも、今回、読み始めたのもじつはまったく偶然です。
　しかし、イイものはだれがいつ読んでも、引きずりこまずにはおかない、ということんでしょうね。

　読んだのは邦訳本です。
　しかし邦訳本は品切れらしく、写真イメージがないのです。
　ということで、今回は英語オリジナル本の写真を拝借したしだいです。

[4] mixiユーザー 08月25日 22:04

カメレスですみません。
Anita Brooknerが大好きなもので、発言させてください。

確かにAnitaは、

＞イギリス社会にて残りの時間をどう生きるか、その表情の襞が執拗に描かれている。

を執拗に、小説に描いていますよね。邦訳6冊と、最新本"strangers"を読んだだけですが・・・

私が彼女の小説が好きな理由は、人生の孤独を徹底的に追及して描く一方で、主人公周辺の事物や心理の描き方が詩的で叙情的なところ。

翻訳者の小野寺健先生は、エッセイの中で彼女の魅力について次のように語っています。

「・・・では彼女の中心的主題は何かといえば、アイデンティティの追及だと言えばいいだろう。これには、それを促す強い孤高の精神と寂しさといった副産物が伴う。彼女はつねに感傷に陥りかけては、ぎりぎりのところで踏みとどまるのだが、その微妙な心理のバランスをとらえる繊細な文体が魅力的なのである」（p35, イギリス的人生, ちくま文庫）

"strangers"(2010)はAnitaが81歳の時の作品！！

内容をざっくり書くと：

70代の元銀行員のマジメな主人公 Paulは女性に縁のないままシングルを通し、
ロンドンのフラットで寂しい老後を送っている。

そこへ二人の女性が現れる。
一人は、ベニス行きの飛行機で出会った50代のVicky。
もう一人は、かつての恋人Sarah。夫に先立たれPaulと同じく寂しい老後を送っている。

Vickyは自己中な性格でPaulを振り回して、アウト。
PaulはSarahともう一度人生を共にする夢を見るが・・・・

残念ながらハッピーエンドではありませんでしたが、明るい将来を期待できる文章で終わっています。

老人の寂しさが、美しい英語で語られていました。Anita Brooknerの文章はどこまでも理知的。
内省的なのにすごく抑制されたクールさが漂います。

個人的には、理想と現実の挟間の感情を、彼女は小説にぶつけているんじゃないかと思います。

だから、読んでも結末は美しくないし、すっきりしない。
それでも、読んでて癒されるのは、彼女自身が神経症の治療のために、小説を書き始めたからでしょうか。

[5] mixiユーザー 08月28日 13:40

　Marikoさん＞
　貴重な情報、ありがとうございました。

　きらびやかな作品を綴る書き手でなくても、しっかり眼にとめて読みふける方はやはりいらっしゃるものだと感銘をふかめました。

　読んで自分で感じることに素直であれば、よい作品にはかならず反応できるのだなという思いを新たにしました。

　最新作をすぐさま読みこなしてしまうMarikoさんのようなひとを大切にしていきたいです。

　もう一作読んだところであらためてわたしもなにか綴ってみようと思っています。

[6] mixiユーザー 08月30日 21:58

さぼさしさん

ありがとうございます。ぜひまた感想を聞かせてくださいね。

"Latecomers"(1988)（邦題：「異国の秋」）は、Penguin Decades 1980s（Penguinのペーパーバックの中で、その時代のランドマーク的な小説が選ばれる）に入選したので、やっぱり本国では人気はあるみたいですよ。

「異国の秋」は、Anitaのせつなさが薄らいでて、私も一番好きな作品です。

邦訳されてないもので、その他のわりと評価の高い小説を読んでみたいと思って何冊か取り寄せたのですが、ツンドクのままです、笑。

[7] mixiユーザー 10月12日 12:37

　「秋のホテル」、読み終わりました。

　・・・・・・
　妻子ある男と深く関わっていた中年女性作家が、結婚に袖にふり、スイス山中の山奥の季節はずれのホテルに閉じこもる。
　このイーディスは内省的、屈折的な日々を送るが、この閉じた空間にはおなじように行き場がない女たちもいくらかいて、感情移入したり、自分と引き比べてみたりする。
　それでも新たな結婚の契機が訪れようとしたものの、やはり幻滅。
　いわばからくりめいたものに身を削り、それでも再出発を目指そうという位置にまでは立ち戻る。
　いい意味でもわるい意味でも、ジェーン・オースティンを意識しているが、結婚とはあまりにも虚ろなゴールでもあり、それからがすべてが始まる、あるいはその寸前にて立ち止まってしまうというヴィジョンが押し出されている。
　あらためて透徹した心理描写に敬服。

　・・・・・

　スイスの山中に閉じこもるということから、そしてその閉鎖空間でどのような人間関係が生まれるか、そんな意味においてトーマス・マンの「魔の山」を思い出してしまいそうです。
　でももっとウエットな味付け。
　それなりに多彩な工夫がこらしてあるけど、わたしにとっては｢嘘」のほうが深い掘り下げがあったような。
　「嘘」はほぼポリフォニーの話だったし。

　ほんとは邪道な思いだろうけど、作品と作者との関係をあれこれ考えてみたい誘惑にかられます。

　Claraさん指摘のキタクスルとモドルのちがい。。。これからイーディスがなにをしようとしているのか、によるんでしょうね。
　モドル、というと元の関係に戻るなんてことを思ってしまいますが。

[8] mixiユーザー 03月25日 15:43

　何の因果か（笑）、ふたたびブルックナーの作品『結婚式の写真』を読む。
　一族の話、ということでまずは「ブッデンブローク家の人々」を思い浮かべる。
　原タイトルも「家族と友人」というくらいで、結婚式での一枚の写真をもとに、その成員の過去現在未来をこの著者本来のしぶとい筆力で描いていく。

　このアニータ・ブルックナーというひとには、やはりジェーン・オースティンの流れがいやおうなく注ぎ込んでいるのだろうと思っていた。
　しかし今回、たまたま藤原正彦の「遥かなるケンブリッジ」を読んでいて、じつはイギリスがレイシズムの国であること、しかもユダヤ人差別が執拗に残っていることをあらためて教えられる。
　イギリスにいるユダヤ人はいま３５万人。
　この著者がいくらインテリジェンスに恵まれているとはいっても、やはりイギリス社会での物足りなさ、居心地の悪さをたえず感じつつ生きてきたのではないかと思わせる。
　この著者は、つまりイギリス社会にとってのあくまでもアウトサイダーであり、だからこそイギリス社会を横眼で眺められるまでに至ったのではないかと思える。
　だからその筆致もただ正確なだけではなく、冷たいところもありそうだ。
　しかもこの作品の主人公も東ヨーロッパからの移民らしい。

　この作品では、出ていった者と残った者とが巧みに描き分けられる。
　しかし一族はすぐさま破滅に向かっているわけではなく、世界観ではなく描写こそが主人公であるように思える。

[9] mixiユーザー 09月16日 14:15

　アニータ・ブルックナー『英国の友人』（１９９０）晶文社　
　どんな因縁があるのか、この作家のものを読むのはこの数年で四冊目。
それほど惹きつけられている作家ではないのだが、ニホンへいくたびにわたしの目の前にしゃしゃり出てくる、しかも割安に。
　それにその静謐さといい、安定した話の運びといい、読んでいて不満があるわけではない。

　そう若くもない独身女性レイチェルが老夫婦を長年知っていたが、この老夫婦は楽な身分へとすすみ、その娘ヘザーが奔放に、あるいは思慮もなしに出たとこ勝負のような生き方をし、親も苦々しく思っているが、レイチェルは、侮蔑的な眼差しをむける。
　しかし付き合いのある老夫婦の娘であるから、それなりに世話もみてやらなくてはならなく、その身持ちに振り回される格好になる。
　しかしレイチェルも自分の仕事のことやら将来のことで思い悩むことが多く、ヘザーの生き方をそれほど批判的に見ることができないのではないかと思い始める。

　なんとかドリス・レッシングも読み終わり、たまたま今、ヘンリー・ジェイムズの『ある婦人の肖像』を読んでますが、これは「英国の友人」での解説にも触れられてて、イギリス小説の手ごたえというのを一人で勝手に分かったようなつもりになってます。
　

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