バカボン 赤塚不二夫さん死去
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市川の花火大会から帰宅したら、赤塚不二夫先生の訃報が。
ご冥福をお祈りいたします、合掌。
私が赤塚先生を初めて知ったのは、マンガじゃなくて新聞だったんですよ。
スクラップブック作りがメインの趣味だった祖父がスケッチブックに貼っていた切り抜きにて、浩宮様がシェーのポーズをしている写真を見て、そこからイヤミを知って、赤塚マンガにたどり着いたわけです。
天皇家も読んでいた赤塚マンガ。
これだけでも先生の偉大さは不動のものでしょう。
ゴジラもやっていました。
高度成長期のあの世相。
私の記憶している限り、戦争に疲れた庶民は笑いに飢えていて、あらゆる方向性を試していました。クレイジーキャッツ、ドリフターズ、青島幸男、小松政夫、三波伸介、伊東四朗、東八郎・・・
私が観ていたのは、「8時だよ、全員集合!」と「てんぷく笑劇場」。
そうそう、「見ごろ、食べごろ、笑いごろ!」も観ていて、電線マンとかよくマネしたものです。
そういう笑いの下地があったので、ダークでマニアックな趣味を持っているにもかかわらず、私は人を笑わせるのが大好きなんですよ。
赤塚マンガも当然、私に大きな影響を与えました。
シェー!!は小学校の頃よくやって、そのポーズを極める前に、わざわざ靴下を半脱ぎにするという念の入れようでしたね。
後、拳銃をやたら撃ちまくるおまわりさんとうなぎ犬が大好きで、落書きでよく描いてました。
特にうなぎ犬を蒲焼きにして食べるシーンには悶絶して、夢の中で食べたくらいです。笑。
キャラの破壊的な造形も魅力でしたが、私にとってもっと魅力的だったのは、「語感」。
ダヨーンとか、〜ダスとか、ミーは〜ざんすとか、これでいいのだ!とか、レレレのレーとか、日本語がここまでおかしく聞こえるようにデフォルメしたのは、赤塚先生の業績だと思っております。
私の世代では、楳図かずお先生の「まことちゃん」の言葉で喋ってたんですけれども、年上の親戚たちのマンガで色々読み知っていた私は赤塚マンガの「引き出し」も持っていることで、クラスの「お笑い担当」でしたね。笑。
懐かしく、そして、だんだん薄れてゆく昭和を偲びつつ、あらためて赤塚不二夫先生のご冥福を祈って、合掌、南無阿弥陀仏。
おまけ)
タモリさんが何かで話してたんですけれど、若い頃、赤塚先生とホモを経験してみようということで、お互い一緒にお風呂で密着したけれども、「気持ちよくないので」、やめてしまったというのに、大爆笑してしまいました。
追加動画)
私が観ていた「天才バカボン」のオープニングをようつべで。
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