小学校の教諭をしている後輩から、以下のサイトを持ち出してきて、道徳の時間に「アマラとカマラ」の話をしようと思うんですけれど、先輩はどう思います?と聞いてきた。
http://www.eurus.dti.ne.jp/~k-mizuta/kamara1.html
註)「アマラとカマラ」についてはこちらを。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%81%A8%E3%82%AB%E3%83%9E%E3%83%A9
「懐かしいね、オレらの世代だけかと思ったけど、今でもこの話を持ち出すんだ。いいんじゃないの?いや、是も非もなく、持ち出すべきだな。人間について考える最高のきっかけだよ。何、オレにわざわざ言ってくるってえこたあ、アレかい、モンスターな親御さんとやらにビクビクしてやがんのかい」と私。
「実はそうなんです。ウチの子には絶対にグロテスクなものを見せないでくださいってねじ込んできたのがいましてね・・・」と後輩。
「そりゃ一体何でだよ?」
「乙武広匡氏の『五体不満足』の話をしたんですよ」
「何だと。そんなバカ親なんざ、学校で門前払いしちまえ。先生様のやることが気にくわねえってんなら、どっか山ん中で暮らして、てめえで勉強を教えなって言えよ」
「アマラとカマラのように?」
「そういうこと」
さて。
本題は実はここからである。
私の奇妙なフェチ(ここではインセクト、スクリーミング・フェイスなどを紹介した)のひとつに、「四つん這いフェチ」というのがある。
女性や少年の、こういうポーズに非常に萌えてしまうのだ。
自覚した時に、SMで言う、犬のポーズ(相手が自分に服従するというポーズ)に萌えるのかなと理由を探ったけれども、もっと原始的なものだと悟った。
上にあげた、狼に育てられた少女たちのような野生児のポーズと・・・自分が赤ちゃんの時に生まれて初めて世の中を移動したポーズ、即ち、「ハイハイ」のポーズは、実は同じところから来ている。
というのは。
それが一番ラクだからだ。
二本足で立つよりも、四つん這いになること。
その方が、自分がそうであるように、相手のまっさらな、「心を脱いだ状態」が拝める。
例えば。
知人に聞いた話だが、自分の妻が自宅出産を敢行した際、以下のポーズで産み落としたそうだが・・・
M字開脚で夫や医師、看護師の顔を睨みつけて絶叫しながら産むよりも、遙かに、動物的な何かを感じてしまって、かなりショッキングだったと感想を述べていた。
実にいい。
私自身。美術部でヌードデッサンをやるために、女の子を脱がす時は「今この瞬間の、キミの美しい身体の線をキャンバスに再現したい」とくどいたのだが、四つん這いになってもらう時は、「キミが赤ちゃんのようにハイハイすることで、身体の線がもっとキレイに見える」とくどいていた。
我ながら強引だったと思うのだが、その通りに従ってくれた女の子たちには今でも感謝している。
その通り、四つん這いになることで、すべての筋肉が、身体の線が美しく映えるのだ・・・
そして心も・・・
だから、牝犬もしくは牝豹ホーズとかで、挑発的に尻をあげる四つ足ぶりは、心の底から嫌悪感を感じる。
そんなのは、ちっともキレイに見えない。
ただ、黙って、自然に、四つん這いになるだけでいいのだ・・・
あくまでも、ラクなポーズで・・・
論より証拠。
読者諸君も、布団から起きる時にでも四つん這いになってみたまえ。
そうして枕でも噛んでくわえてみるがいい。
心がスッキリする奇妙な爽快感を味わうであろう。
そこに、私は執着するのだ。
ログインしてコメントを確認・投稿する