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2008年02月28日00:09

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海外DVDを買う。� �Mishima: A Life In Four Chapters」

最近、アマゾンの米国版、英国版、フランス版、ドイツ版の四つを使いこなせるようになってきたので、犬神図書館の蔵書、音楽、映像ライブラリーはますます巨大化する一方。

今回は、昔のビデオが国内ではDVD化されていないけれども、海外ではバッチリ出ているという点を狙って、「私自身の大切な過去を少しずつ取り戻す」という感じで、一枚ずつ買い始めた。

真っ先に狙った一枚目は、「Mishima: A Life In Four Chapters」。
三島由紀夫の作品群と生涯にそれぞれスポットを当てた映画で、監督は社会派のポール・シュレーダー。
元々このビデオを持っていたのは、中学生の頃、近所のレンタルビデオで海外輸入盤として置いてあったのを丁寧にコピーしたのが最初の出会いだった。
それ以来、画質が悪くなると、また借りてきてコピーするという繰り返しだったのだが、その店が店じまいして以来、ずっと永久保存版として本棚の片隅に眠っている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/Mishima:_A_Life_In_Four_Chapters



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私にとって、三島由紀夫とは、黒い神である。
マンディアルグのいう、エロスそのものだ。
いわゆる三島美学とは、自己のうちを這いうねる、わけのわからない何かに、言葉という「形」を与えるという「美化」にある。
「金閣寺」にて板東八十助演じる林養賢が思い描く、内部風景のもうひとつの金閣寺の美しさを観よ。
このシーンの大胆さは、はっきり言って、日本映画が二度に渡って映画化した結果を「無」に帰してしまうほどだ。
美しく、ありのままを撮るよりも。
自らのうちにある何かを、美しく撮る。
こちらの方が三島的な映画なのだ。
「鏡子の家」の李麗仙、沢田研二、「奔馬」の永島敏行もその演技に、情感たっぷりのエロスを漂わせつつ、彫刻のように無機質的な冷たさを匂わせている。
三島由紀夫を演じる緒形拳も、自分自身という存在に翻弄されつつも、これを征服せんと、どろどろに溶解した溶岩を冷やして固めて、美しく結晶化しようという熱演ぶりが光っていた(その一環としてボディビルディングがあった)。

緒形拳は三島を演ずるにあたって、役作りのためにわざわざ、三島を「嫌いだった」人々に会って話を聞いたという。
その理由をこう述べている。
「好きだった人の話は、あるていど予想がつくでしょ。“ほとんど輝くような人だった”とかね。三島さんのような実在した人を演じるとき、自分でその人に惚れてしまうのは、わかっているんです。でも、演じるためには、最初からドップリつからないで、もう一つ、つき放したところ、醒めたようなところが必要だと思う」
美しく「美化」するためには、当然、冷静な視線が必要である。
それも無機質的な。
三島美学そのものを演技に活かしたという意味で、緒形拳は三島由紀夫を演ずるに最もふさわしい俳優だったといえるだろう。

私の脳内では、「金閣寺」の板東八十助と佐藤浩一のやりとりがずっと「こだま」し続けている。

「と、永遠の世界が、こ、この胸の中、いっぱいにあふれてんのに、現実なんか、つ、つかめへんやないか。お、お、女、抱くことだけ考えよ思うたんやけど、も、もう、あいつが、み、み、見えへんようになってしもたんや。と、と、永遠の美しさちゅうもんは、こ、怖いもんやで。どんどん、どんどん、大きなって、な、何もかも、押しつぶしてしまうんや」

「美しさが怖いねえ。怖いのは美しさじゃなくて、自分自身じゃないのか。いいかげんにしろよ。美しさなんて、虫歯みたいなもんじゃないか。舌に触って痛んで、その存在を主張するだろ。それでとうとう痛みに耐えられなくなって、歯医者に抜いてもらう。ところが血まみれの小さな歯を手にのせてみて、“これか、こんなものだったのか”っていう程度のものなんだ。それを知ってることが力になるんだよ。それがわかってりゃ、人生のやりきれなさを、反対に武器にできるじゃないか。それで初めて自由になれるんだよ」

「う、う、美しさは僕のお、怨敵なんや。き、金閣寺が、ほ、滅びん限り、とてもやないが、耐えられへんにゃ」

・・・・・・

二人とも三島の分身であった。
それを思う度に、私の心は冷たく結晶化した涙でいっぱいになる。

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