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2006年01月07日05:59

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「耽奇館主人の日記」自選其の三

2003年06月04日(水)
素敵な殺し方と死に方のこと。

今日は雨で撮影の仕事が中止になった。午前中は少々のデスクワークを片付け、おやつの時間に上がるまでに同僚の一人と「SARS対策法」を話し合っていた。

エマングロン人たちは、誰かが変な呼吸をしていると、もうその男を生かしておかない方がよかろうと考える。というのは、彼らはこう考えるからなのだ。つまり、その男は、どんなに努力してみても、もはや真の歓びに達することはできないだろうというわけだ。病人は、人々の自然な同情を引くことで、町中の呼吸を混乱に陥れることしかできないだろう。

フランスの詩人アンリ・ミショーの「グランド・ガラバーニュの旅」からの引用だが、何と現在のSARS流行の状況に似合うことだろう。ミショーは「ガリバー旅行記」のジョナサン・スウィフトが二十世紀に甦ってきたような毒のある作風でもって、こう続けている、そこで彼らは、怒っているわけでは全然ないのに、病人を窒息させて殺してしまう、と。大勢で「友達が来たぜ!」と病人の家に押しかけ、寄ってたかって窒息死させ、周囲の人々に「私たちが来た時には残念ですが、すでに息をひきとっていました」と話して回るのだ。そうして自分たちの土地に以前の平和と秩序を取り戻すと結んでいる。実に痛快である。スウィフトは著作の中で「貧乏人は自分の子供を食え」と過激な政治的提案を示しているが、ミショーのそれは過激を通り越して、もはや素敵としか言いようのない提案を続けている。
以下に、同僚との会話を並べておく。
「結局さ、病人と老人は早目に死んでしまった方がいいかもしれないな、少子化を解決するきっかけになるかもしれないぜ」と私。
「人間が少なくなれば、生殖本能が活発になるだろうってか」と同僚。
「ミショーは病人を殺す方法として、きれいな少女に首を絞めてもらうべきだって書いてるんだぜ。しかもその少女は処女でなくてはならないんだと」
「素敵な殺し方に素敵な死に方だな、それ」
「少女はゆっくり、かつ、優しく絞め殺さなければならない。病人が笑って死ねるように。病人がどれだけ満足して死ねるかによって、少女の母性愛が試されるというんだ」
「おれだったら、上戸彩に絞め殺されたいな」
私は笑い、アイドルなんかより、道端に咲く花の方が数倍も美しいことだってあるんだぜと言って、こんなことを言い合うまでもなく、殺し方と死に方にこだわるのは人間ならではのもので、一秒間に三人はどこかで儀式的なやり方にのっとった殺し方で死んでるだろう、と考えた。
でも、笑って満足出来る殺され方というものは、果たして現実に可能なのだろうか?例えば。「安楽死」を選ばざるを得ない状況にまで追い込まれた病人。彼らはきっと、そういう殺され方を望むだろう。生きることをあきらめた人間のみが粋な死に方を選ぶということだ。どうせ死ぬなら気持ち良く死にたいという気持ちは分からないでもないが、私としてはどうせくたばるなら人様のお役に立てばいいと考える方だ。臓器移植にはどうせ役に立たないんだから、オーソドックスに古来からの儀式に従って、どこかのダム建設などに「人柱」として生き埋めになってもらいたい。うまくいけば、その土地の神となって崇められるんだから、これこそ理想的な殺され方と死に方ではないだろうか?今日はここまで。
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