mixiユーザー(id:1640816)

2007年04月11日23:47

342 view

蝸牛の歯の感触のこと。

入院時に、最初から最後までじっくり観ることが出来た二本のうち、ロマン・ポランスキー監督の「袋小路」については、「ダリの絵の中の男のこと」にて述べました。
今回はもう一本について語ります。
ピーター・グリーナウェイ監督の「ZOO」です。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=11603

初めて観たのは、高校二年生の時でした。当時の私はちょうどケン・ラッセル、デレク・ジャーマン、ロバート・アルトマン・・・とミニシアター系で作家性の強い映画作家たちを貪欲に吸収していた(渋谷のパルコにて、ケン・ラッセルの映画をまとめて上映していたのにも行きましたが、トイレにてケン・ラッセル監督と鉢合わせしたのは色々な意味で感激しました。笑)頃で、ピーター・グリーナウェイも骨までしゃぶるように栄養にしたものです。
グリーナウェイ作品は、「枕草子」、「ベイビー・オブ・マコン」以降観てませんが、今まで観た中ではやはり、「ZOO」が私にとってのベスト・オブ・グリーナウェイです。
まず。
音楽が何よりも衝撃的でした。
マイケル・ナイマンの毒々しくも、何と美しい反復と旋律。
特に、ラストシーンに流れる「エスカルゴ」は、ほんとうに聴くだけでイクことが出来ました。
無数の蝸牛に全身を舐められ、ゆっくり腐敗していく・・・
あのシーンの映像と音楽が放射する、「死の快楽」は、常に、私が中学生の頃に初めて撮った八ミリフィルムの映像を思い出させてくれます。
真っ白な夏の太陽の下。
カラカラに乾いたコンクリートの上。
干からびた蝉に群がる無数の蟻。
それを執拗に撮り続け、干からびたとばかり思っていた蝉が実はまだ生きていて、ビクッと大きく痙攣したのに、カメラを持つ手がびっくりして震え・・・
それからすぐに、土砂降りの雨の中の庭が現れ、ブロック塀を這いうねる蝸牛に迫るようにクローズアップしていき、片手で蝸牛をつかみ、うねうねとうねる「足」をウットリ眺めるように撮り続け・・・ゆっくりレンズの上に這わせて、画面がボケて薄暗くなったところで「初めての撮影」は終わっています。昆虫フェチの私にとって、蟻の群れはまさしく、マイケル・ナイマンの音楽そのものであり、蝸牛の官能的なうねりは、グリーナウェイの映像そのものでした。

・・・・・・

シャム双生児については、古い読者の方ならご存知の通り、私は異常なまでに執着するところがあって、「ZOO」に登場する、元シャム双生児の双子の兄弟も私を魅了しました。
デヴィッド・クローネンバーグ監督の「戦慄の絆」と同様、一人の女性を愛するのですが、「ZOO」が一味違うのは、兄弟の子供を女性が妊娠して、出産するところです。女性の死と引き換えに。
それで、ああ、ゼロを二つ足して、「Z(つまり、終わり)」になるんだなと。
シャム双生児について、情念抜きで、見た目(フォルム)の美学を徹底的に教えてくれた映画でもありました。

・・・・・・

今は亡き映画館の三鷹オスカーが閉館するにあたって、グリーナウェイの映画の三本立てを上映しましたが、この時、私はそれまでに何回も繰り返して観た「数に溺れて」、「建築家の腹」、「ZOO」を映像と音楽のシャワーとして、当時つきあっていた彼女との最後のデートをそこで終えました。
別れる理由は他人から見たら、とてもバカバカしく、理解に苦しむもので、「蝸牛の歯の感触は気持ちいいかそうでないか」の意見の相違でした。
私は実際に身体中に蝸牛を数匹這わせて、絶頂に達しましたが、彼女は、私に這わされてみて、ただ、ただ、感覚が混濁するばかりで気持ち悪かっただけと言いました。

病院にて、「ZOO」を観ていて、目蓋を閉じると、虚空の中に、実家の縁側にて、全裸で座禅を組んでいるテディボーイ時代の私が浮かび上がり、ラジカセで「ZOO」のサントラを大音量で流しながら、洗面器いっぱいに採集した蝸牛をひとつずつ、スキンヘッドの頭に乗せ、頬に這わせ、喉に這わせ、肩に乗せ、胸に這わせ、腹に這わせ、両腕に這わせ、両足に這わせ、特に肩に多めに乗せたのが次第に背中へ移動するのを感じながら、腐敗していく自分自身を思い浮かべて、少しでも「死」の感触を味わおうとしていたのが思い出されました。

それからだいぶ経って。

何かの番組で、蝸牛の中に危険な寄生虫が潜んでいるというのをレポートしていて、それを見終えた直後に、三鷹オスカーにて別れた彼女から電話がかかってきて、私の身を心配してくれたのには、思わず苦笑いしたものです。
幸い、サナダムシ以外の寄生虫に寄生されないまま、現在に至りますが、悪友の言葉が鋭く突き刺さります。

「おまえは、『ZOO』を観て以来、蝸牛そのものに寄生しちゃってるよな」

蝸牛を通して、私が見透かすのは・・・グリーナウェイがこだわるように、人間が死に対して抱く「美意識」そのものです。墓石の形状などではなく、生身としてどのようにして倒れるか・・・どのようにして横たわるか・・・どのようにして五体を天地にさらすか・・・そしてどのようにして腐敗して、「土に還るか」。その先には、自らの生を省みるきっかけになる、生き方の再認識もあって、私の昆虫フェチをますます濃くする一因となってもいます。

ビデオとして発売された当時、パッケージの説明には、スタイリッシュなヘンタイとか何とか書かれていましたが、そうやってすぐ言葉で決め付けるのにとても不快感を覚えたものです。とにかく。
観て。
痙攣的な「何か」を覚えるようなら。
それは、グリーナウェイの美学に共感を覚えたということなのです。
そして、マイケル・ナイマンの美しい響きにも。
0 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2007年04月>
日 月 火 水 木 金 土
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930