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2007年03月23日21:07

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南無、しんめ。

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=180052&media_id=2

これまでに幾度も触れたことですが、私の母方の曾祖父母の世代は、豪雪地帯ゆえの閉鎖的環境からくる近親婚を避けるために、東北の寒村から娘を「買ってきて」まで、新しい家族に迎え入れていました。
特に、母方は当時、「石女(うまずめ、産まず女、即ち、子供が産めない女のこと)」ばかりという不運で、断絶の危機を乗り越えるために、青森は弘前の貧しい農家から買い取った少女を「しんめ」と名づけて、彼女の子宮に家運を託したのです。「しんめ」は「神女」あるいは「深芽」と当てるのだそうで、母方にとってはまさしく神聖な「代理母」そのものでした。曽祖父だけではなく、石女を妻にしてしまった兄弟全員で、しんめに子供を産ませて、断絶の危機を乗り越えたのですが、世間体からしたらとても表に出せるものではなく、また、正妻たちの嫉妬を一身に受けて、しんめは生涯、土蔵住まいでした。

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このニュースからうかがえることは。
我が国は基本的に、古臭くて、それ以上に生々しい偏見と観念を抱いているのではないかと。
嫡子という言葉自体、異常なまでのこだわりがありますからね。
借り腹という言葉もかなりの偏見ぶりが感じ取れます。
要するに、生命よりも見栄なんですよ。
いつでもどこでも格好をつけたいわけです。
ほんとう、いつの時代だよって言いたくなります。
戦時中じゃあるまいし、我々国民の多くはいい加減、見栄よりも生命を選択するはずです。
法律ももういい加減に、現代に沿った再構築をはかるべきでしょう。

母方の祖父の一句にこんなのがあります。

我が母は 我が身に受くる 慈愛なり

祖父はほんとうの母と産みの母の板挟みに苦しんだことでしょう、でも、どちらも自分を子供として愛してくれているのだからと、上の句を詠んだのだと思います。
例え、世間が認めてくれなくともよい、そこにある愛が本物であれば。
私は高田夫妻を心から応援します。
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