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2007年03月07日22:30

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East is East, West is West.

私にとって。
美しい日本語とは、「語り口」である。
従って、幼少時から落語に親しんできた私は、噺家の繰り出す話術を日本語の教科書とした。
だから、夏目漱石の「我輩は猫である」や「坊ちゃん」などは、私の「日本語」の基礎のひとつである。
それをさらに磨き上げたのが、泉鏡花と谷崎潤一郎、川端康成、そして三島由紀夫。
英語においては。
そもそも美しい英語というものが理解出来なかった私に、英語そのものに興味を持たせてくれたのは、平井呈一翁だった。
創元推理文庫の怪奇小説傑作集第一巻にて、小学生の低学年にあった私を魅了した初めての英語・・・Ghost Stories・・・ゴースト・ストーリーズ・・・何かワクワクする響きだったことをよく覚えている。
それ以来。
ほんとうに私の読書遍歴は、海外怪奇小説から出発した。母や学校に無理矢理読ませられた我が国の本など、少しも頭に入らなかった。感動するから読めと言われて、一体誰が読む気になろう?自分で面白いと思ったものしか読みたくないのは当たり前である。
で。
英語そのものを勉強し始めた頃。
だんだん「美しい英語」というものを理解し出してきて、何かいい教科書になるものはないかなと模索していると、当時の家庭教師はルイス・キャロルを勧めてきた。
一応、原文で「不思議の国のアリス」を読んだのだが、中学一年生の英語力で理解出来るわけがない。
分かったのは、リズム感だけであった(韻を踏むというやつ)。
自分なりに。
字幕なしで「サウンド・オブ・ミュージック」や「メリー・ポピンズ」を観たりして、リズム感の楽しさから英語に慣れ親しもうとした結果。
私の「美しい英語」の教科書となったのが。
ジョゼフ・ラドヤード・キップリングであった。
「ジャングル・ブック」で知られる詩人にて児童文学者である。
キップリングの「なぜなぜ物語」の原書を手に入れる機会があって、「ぞうの鼻はなぜ長い」などの原文の表現を心から楽しめたのだ。
例えば。

great grey-green greasy Limpopo River

実に子供の舌でも読みやすい英語である。

「ひろびろとしてどんよりうねるこいみどりいろのリンポポ川」

キップリングで英語の基礎がようやく出来上がった私は、キャロルのアリスやスナーク狩りに再挑戦し、これをクリアすると、今度は英国少年が必修とする、詩人たちの作品を朗読、読解することを一通りこなした。
特にウィリアム・ブレイクの「虎」は性格的に覚えやすい詩であった。アレクサンダー・ポープの有名な「汝自身を知れ」も個人的に脳裏に刻み込んだ詩である。

Know then thyself, presume not God to scan;
The proper study of mankind is Man.

これは私の現在の立場の根本的な理念ともなっている。
英語に自信を持った私が一番最初にやったことは。
まず、読みたかった怪奇小説の原書の読破。
ペーパーバックのアンソロジーだったのだが、「ジキルとハイド」で知られるスティーヴンソンの「ボディスナッチャー」、つまり「死体泥棒」の一遍が原文だと恐ろしくつまらなくてひどくガッカリしてしまったことをよく覚えている。
平井呈一翁の訳だと、とても美しく怖かったというのにだ。
ここに、翻訳の素晴らしさのひとつを学びもした。
次にやったのは。
当時、市川駅の南口のアーケードの裏にひっそりと店を構えていた裏ビデオ店にて、堂々と中学校の詰襟制服で買い込んだアメリカの無修正ポルノを正しく理解しながら鑑賞。
ただ、隠語(スラング)が分からなかったので、いちいちメモりながら、ペンフレンドでこれまたいちいち年上の優しそうな白人女性を選びつつ、ある程度仲良くなったところで、ウブな少年らしく隠語(スラング)の意味を尋ねて、正しく教えてもらった。
蜘蛛の巣のごとく張り巡らしたペンフレンドの輪は現在でも生きていて、スペインや英国の友人たちもペンフレンドで知り合った仲である。
で、英語圏の友人たちが評するところによると、私のキャラクターは、キップリングの有名な言葉につきるのだそうである。即ち。

East is East, West is West.

東は東、西は西。

どんなに英語を学んでも、決して「かぶれない」。
つまり、日本人が抱えがちの、白人コンプレックスが私には全くない、そこがほんとうにいいと言ってくれた。
それは言われてみればその通りだ。
下世話な表現で申し訳ないが、笑、裏ビデオで初めて観た白人や黒人のペニスに、勝った!とニヤッと握りこぶしを突き上げたので、単純さも手伝って、現在に至るまで私はガイジンの前で萎縮したことはない。
というわけで。
子供たちはせっかく、私以上に英語に慣れ親しめる環境にいるし、これまた本をちゃんと読みさえすれば美しい日本語にいくらでも触れられる環境にいるのだから、もっと視野を広げるためにも、興味や好奇心のおもむくままに、勉強して欲しい。
勉強することが日本語を、我が国の文化を守るなどと肩肘張らず、ほんとうに自分の楽しみだけのために。

愉しい人生の中にこそ、個人的な美しさがある!
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