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2007年02月13日04:55

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少年との正しい付き合い方。

「もしも自然が健啖なら、美は貪婪である。最後の際に自然を呑み込むものは美である」

ジャン-ポール・サルトル「聖ジュネ」


赤澤ムックさんの「繭文」の濃さがはらわたの中で蛇のようにうねり、のたうちまわりながら、チョコレートまみれのイチゴ、バナナ、キーウィを腹いっぱいに詰め込み、DVDで「シカゴ」を観た。
それらがレシピとなって、バレンタインの日に会う予定の女形の少年との付き合い方のアウトラインがおぼろげに浮かび上がってきた。
ボーイズラブ風に言えば、私が「攻」で少年は「受」である。
ただし、想像力が乏しいオタクな女性の憧れる世界とは全く別物になるだろう。
まず、第一に、中学生の少年に不純な関係を求めるのは間違ってるし、私はこう見えても意外と常識人だ。
従って、せいぜい、映画「ベニスに死す」のダーク・ボガードとビョルン・アンドレセンの関係程度に終わるであろう。
しかし、原作者のトーマス・マンは、みだらな想像を逞しくするオタクな女性以上に、ピュアなまでにみだらな想像力であの作品を書いたのだし、ルキノ・ビスコンティ監督もそのピュアさに魅了されたからこそ、トーマス・マンを終生の愛読書として、愛情と情熱を込めて「ベニスに死す」を撮った。
ピュアなみだらさ。
それこそが、私の「少年との正しい付き合い方」である。
経験豊かな、物知りの年上の男性らしく、父親のように、兄のように、厳しく、優しく接して、少年の善き成長を見守り・・・
かなわぬ夢である、少年の肌に触れることを広く、深く思いつめながら・・・
多くの観客に混じって、女形として大成する少年の晴れ舞台を熱く鑑賞する・・・
今までを貪婪に生きてきた私が究極に追い求めるのは、精神的な精進料理としての「自然」なのだが、歌舞伎関係の少年が相手なら、少年自身の「自然」に我が身を投じて、その胸に顔を埋めて安らかに眠りたい。
少年が決して、私自身の欲望に呑み込まれぬことを祈りながら。

・・・・・・

聞けば、少年は哲学に興味があって、サルトルなどを読み漁りたいとのこと。
サルトルなら、中学時代に読み耽って、その全著作を所蔵しているので、貸し与えることが出来るのだが、胸をよぎる不安感は一体何なのだろう。
思い過ごしであればいいのだが。
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