http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=75981&media_id=2
私の記憶が正しければ、確か、アメリカの怪奇小説家H・P・ラヴクラフトと、我が国のご存知江戸川乱歩である。
もちろん、他にも冥王星を題材にした作家はいるだろうが、私にとってはこの二人だった。
それが、今回、惑星から除外されるということで、涅槃の二人は果たしてどういう顔をするであろうか。
ちょっと楽しい想像に浸った。
・・・・・・
それにしても、ほんとうに、望遠鏡だけでよくもこれだけ大騒ぎが出来るものだ。視覚だけで物事を判断するなんてのは、全く何も見えていないことと同じである。
人類はいまだ、月までしか行っていないし、火星はやっと無人探査機を飛ばせたというところだ。
それなのに、太陽系の全惑星をコンプリート出来た気に、よくもまあ、なれるものだ。
威信だけでは宇宙へ飛び出せない。
科学万能主義、机上の論理だけでは、宇宙で生き残れるわけがない。
船に乗る、命知らずの荒くれ猛者たちと同じように、古来、人間は星空を眺めて、自らの想像力の限界に文字通り命を賭けて挑んだ。
星座の形成も、占星術の発展も結果のひとつである。
宇宙はあくまでも、「そう見えるもの」にしか過ぎない。
重要なのは、そう見ることが出来る人間の中の小宇宙だったのだ。
だからこそ、魔術、占星術の発展の一環として、哲学が生まれたのは必然であった。
今や、見えるものにしか目がいかない人間たちが溢れかえる世の中、なにゆえに、心がこんなにも殺伐してしまっているのか、その理由を知ろうともしないのに、冥王星は惑星ではないとか何とか・・・全く、茶番もいいところである。
・・・・・・
今一度、ラヴクラフトや乱歩の作品を読み返して、彼らが果たして目に見える冥王星を題材にしていたかどうかを読み解くがいい。
星空に輝くものと同じように、彼らの心が見えてくれば、人間はもっとましになれるはずだろう。
ログインしてコメントを確認・投稿する