「森の歌」の歌詞について、ソプラノのお姉さまから聞かれ、昔の記憶がよみがえった。
成田からモスクワ経由でシリアへ飛んだ時のことである。飛行機はシベリア上空をまっすぐに進んでいた。窓から下を見下ろすと何もない平原が広がっていた。ひと眠りして翌朝、再び窓の外を見ると、相変わらず同じ光景が続いている。「シベリアとはなんと広いのだろう」と驚嘆した記憶がある。
その数年前、シリアで病気になり、手術のために帰国した時はフランクフルト経由だった。上空から見下ろすドイツは、まさに「森の海」だった。深い緑の中に道が走り、町が島のように浮かんでいる。そしてアウトバーンが、それらを縫うようにつないでいた。その光景を見ながら、ふと頭に浮かんだのが「森の侵略」という言葉だった。
人間が手を入れなければ、森はやがて人間の生活圏を呑み込んでいく。道も家も畑も、放置すれば再び植物に覆われてしまう。ヨーロッパの昔話や文学に登場する森には、夜になれば人が立ち入れないような恐ろしい世界というイメージがある。人間の支配が及ばない、未知の領域である。
だからこそ、人間は森を切り開き、道を通し、集落をつくり、自然を自分たちの管理下に置こうとしてきたのではないか。ドイツの上空から見た景色には、そうした人間と自然との関係が表れているように思えた。
日本でも廃村や限界集落が自然に呑み込まれている。ただ日本とヨーロッパでは、自然に対する感覚や歴史的な向き合い方に、どこか違いがあるように感じる。共生と支配、だがそれは一面的な見方でもある。
第二次世界大戦では、ドイツとソ連がスターリングラードで激突した。現在のボルゴグラードである。
1942年、ドイツ軍はソ連南部への大攻勢を開始し、スターリングラードをめぐって激しい攻防戦を繰り広げた。同年11月、ソ連軍の反攻によってドイツ第6軍を中心とする枢軸軍が包囲され、翌1943年2月、ドイツ軍は降伏した。半年に及ぶ戦闘で、両軍合わせて100万人を超えるともいわれる甚大な犠牲者が出た。降伏後、約9万1千人のドイツ兵が捕虜となり、その多くがシベリアへ送られた。
スターリングラードの敗北は、ドイツ軍にとって東部戦線の大きな転換点となった。ヴォルガ川の交通路を押さえるこの都市は、ソ連の戦争遂行にとって重要な拠点であり、ドイツ軍が狙ったコーカサスの石油資源、ウクライナの穀物とも深く関係していた。もしスターリングラードを失っていれば、ソ連はさらに深刻な危機に陥っていたに違いない。
その戦争が終わり、復興の時代に生まれたのが、ショスタコーヴィチの「森の歌」である。1949年に初演されたこの作品は、戦争そのものを描いたものではない。戦後のソ連が推進した大規模な植林計画を称え、荒廃した国土に緑を取り戻し、自然を改造して豊かな国を築こうという国家の理念を歌い上げた作品である。
ただ作品にはスターリンを称揚する政治的な性格が強い。指揮者の山田和樹さんは、「もうこの曲を演奏するのは日本だけだろう」と話していた。ウクライナ侵略以後、現在のヨーロッパで、この作品は演奏されていないようだ。
ドイツの上空で感じたのは、森が人間の領域を呑み込んでいく力だった。一方、「森の歌」が描くのは、人間が国家の力をもって自然を作り変え、森を広げていく姿である。自然が人間を侵略するのか、それとも人間が自然を支配するのか。
ちなみに、スターリングラードの「グラード(\-град)」は、ロシア語で都市を意味する。ドイツ語の「ブルク(\-burg)」も、城や城塞、都市に関係する言葉だ。
シベリアの果てしない平原と、ドイツの深い緑の森。飛行機の窓から眺めた二つの風景が、半世紀近くを経て、ショスタコーヴィチの音楽と第二次世界大戦の記憶につながった。
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