大阪のなにわコラリアーズで歌っていた頃、自分はいつも最後列が定位置だった。ある時、バリトンに若い新入団員が入った。ベテランの団員が彼に「うまくなったら前に出られるから」と言っているのが聞こえた。
そうか、下手な人間は後ろなのか。それなら仕方がない。別に自分が上手いと思っていたわけではないから、不満があったわけではない。
ただ、練習であまり顔を見たことのない人が、本番直前になって現れ、前の方で歌っているのを見ると、面白くはなかった。自分は金沢から毎回大阪に通うのは金銭的にも厳しく、せいぜい月に2回程度しか参加できなかった。それでも、前で歌っている人たちの中には、普段の練習であまり見かけない人がいた。
もちろん、上手ければいい。きちんとアンサンブルができるなら、それでいい。練習に出ていても、歌えなければ意味がない。演奏の質を高めるために、実力を基準に配置を決めるというのは、至極もっともな考え方である。それが合唱団の方針なら、受け入れるしかない。
実際、6年間通って、たくさんの曲を歌った。そして、アンサンブルというものを教えてもらった。それまで30年続けてきた自分の合唱経験が、ひっくり返るほどの衝撃だった。得たものは大きかったし、今でも感謝している。
それでも、あの配置の仕方については、どうなのかなという気持ちが今も残っている。
考えてみれば、今こうしてステージオーダーにこだわるのも、あの頃の経験を吹っ切れていないからなのかもしれない。
自分が前に出たいわけではない。実力で配置を決めることに異論があるわけでもない。ただ、何を基準に誰をどこに配置するのか。その判断に納得できるかどうかという問題なのだろう。
演奏の質を優先するのは当然である。しかし、それを理由にすれば、どんな配置でも納得しなければならないということにはならない。
30年の経験をひっくり返すほどのことを学んだ合唱団だからこそ、今になっても、あの頃の違和感が消えないのかもしれない。
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