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2026年08月16日06:43

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高村光太郎と橋本國彦(7990)

高校の音楽室に、当時の日本を代表する合唱団が有名な曲を歌ったLPレコードの全集があった。その中に清水脩作品集があり、「智恵子抄巻末の歌六首」という男声合唱の小曲が収録されていた。これが面白くて、何度も練習し、合宿でも歌った。

それから高村光太郎の『智恵子抄』を読み、「あどけない話」や「レモン哀歌」は覚えてしまった。後になって、高村智恵子が精神を病んだことについて、夫である光太郎の責任を論じた本を読んだ。『智恵子抄』を読むだけでは見えてこない視点で、なるほどと思った。

同時に、戦時中に戦争を賛美する詩を書いた光太郎が、敗戦後にはそのことを恥じ、岩手県に隠棲するように暮らしたことも知った。

橋本國彦の曲を歌うのは、これで3曲目である。「斑猫」「お六娘」「黴」。作曲者について調べていると、橋本は若くして東京音楽学校(東京藝大)の教授となった、当時を代表する作曲家だった一方、戦時中には国家の政策に沿った作品を作り、戦意高揚にも協力していた。

敗戦後、その責任を問われて東京音楽学校を去り、さらに新憲法の施行を祝う作品も作曲している。戦時中には戦争を支え、敗戦すると今度は新しい憲法と平和の時代を祝う。もちろん、戦後に考えを改めること自体が悪いわけではない。

しかし、あまりにも大きな方向転換を見ると、「いったい、どこまでが本心だったのだろう」と思ってしまう。戦後世代の武満徹らが、戦前・戦中の音楽家の国家への協力を批判的に見たのも分かる。橋本は1949年に死んだが、もっと生きていれば自身で語ったかもしれない。

戦争は嫌いだ。だから戦争についての記事を読むことも、ニュースを見ることも、戦争をテーマにした映画を見ることもほとんどない。それでも沖縄、広島、長崎、南京には行った。アウシュビッツに行く機会がなかったのは残念である。

戦争を知りたいからというより、知らないままでいることもできないと思ったからだ。「時代がそうだったのだから仕方がない」とは思わない。それでは明治以来続いてきた日本の戦争国家を肯定することになるからだ。

高村光太郎と橋本國彦。どちらも戦争を賛美し、戦意高揚に加担した芸術家である。それでも、高村は戦後、自分が戦争に協力したことを背負うようにして生きた。一方、橋本については、戦後の方向転換を見ても、どうしても「手のひらを返したのではないか」という印象が残る。

もちろん、自分の勝手な見方である。だが、今、自分は橋本國彦の「斑猫」「お六娘」「黴」を歌っている。作曲家の思想と作品の価値をどう考えるのか。戦争に協力した芸術家の作品を、いま自分たちはどう歌えばいいのか。歌いながら、そんなことを考えている。

高村光太郎と橋本國彦。どちらも戦争を賛美した。それでも考える。やっぱり、高村光太郎かな、と。
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