オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)が上演するオペラの合唱団は、公募によるアマチュア団体である。もっとも毎回公募するわけではなく、今秋の《トロヴァトーレ》についても既参加者に案内が送られているらしい。実際には常連中心なのだろう。
自分はオペラがあまり好きではない。合唱といっても通常の合唱とはかなり違う。むしろ個々の演技やソリスト的な表現が前面に出る世界で、ハーモニーやアンサンブルを作る感覚とは別物だと思っている。
これまで《椿姫》《カルメン》《トゥーランドット》《ラ・ボエーム》など大きな作品のほか、オペレッタや《プトゥリサードン》《オペラ百万石》のような小規模な舞台にも参加した。しかし、やはり性に合わない。たまに声をかけられることもあるが、最近はほとんど出ていない。
今回こんなことを書くのは、第九の練習で金沢オペラ合唱団のメンバーについての不評、というより苦情を何人かから聞いたからである。10人ほどいるらしいが、自分が顔を知っているのは2人だけだ。
「自分たちは特別だと思っている」
「高飛車」
「やたら偉そうに指示してくる」
自分は普段、所属団体でも公募合唱団でも、他人についてあれこれ言わない。だから普通なら「ふーん」で終わるのだが、今回は何人からも同じような話を聞き、昔の嫌な記憶まで思い出した。いくらプロオケ付きの舞台に出ていても、所詮はアマチュアである。そこを勘違いしてはいかん。
たしかにオペラの現場には独特の雰囲気がある。舞台経験も必要だし、多少の芝居心も求められる。しかし、それだけで急に“指導者気分”になる人がいる。頼まれてもいないのに歌い方や動きを指示したり、いかにも「分かっている側」の顔をしたりする。
見ている方は結構しらける。
本当に実力のある人ほど、むしろ余計なことを言わないものだ。少なくとも、自分がこれまで見てきた上手い人たちはそうだった。
地方都市の限られた音楽環境では、少し舞台経験を積むと、自分がかなり上の存在になったような錯覚をしやすいのかもしれない。しかし、全国レベルで見れば、そんなものはたいした差ではない。
水曜日のジョイントコンサートで、休憩中に初めて話したソプラノの人から合唱歴を聞かれた。二水、高校、大学、一般と答えた。「どこでやっていたんですか?」という反応だった。今の自分の声からは意外だったかも。だが、経歴が声を作るわけではない。長くやっていれば偉いわけでもないし、オペラに出ていれば上手いわけでもない。結局は毎回の練習でどれだけ音楽を作れるかでしかない。
アマチュア合唱でいちばんみっともないのは、「自分は分かっている」と思い始めた瞬間ではないかと思う。
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