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2026年03月22日22:19

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スカスカの帳尻合わせ(6849)

練習の参加がスカスカで、本番前になると人が増えて帳尻を合わせる――この構図の中で歌っていると、正直、疲労感ばかりが残る。積み上げてきた側と、最後だけ乗ってくる側とで負荷も責任も違う。それでも同じ舞台に立つ以上、結果だけは等しく求められる。この歪さに目をつぶったままでは、音楽以前の問題だろう。

そこまでして続けるくらいなら、自分一人で完結できる声楽の方がまだ筋が通っている。少なくとも、出来不出来の責任の所在は明確であり、不完全さをごまかす構造はない。

合唱は「mix」である。どれだけ個々が優れていても、「あの声はあの人のものだ」と聴き手に認識された瞬間に、アンサンブルとしては破綻している。個性を競う場ではなく、個を消し、全体に溶けることに価値があるはずだ。しかし現実には、その前提が共有されているとは言い難い。結果として、目立つことと良いことが混同され、合わせる努力が報われない。

さらに違和感を覚えるのが、欠席連絡の全体共有である。本来、運営が把握していれば足りる情報を、わざわざ全員に流す必要があるのか。「また欠席か」という空気を無自覚に積み重ね、練習の重みを自ら軽くしているようにしか見えない。透明性の名のもとに、規律を崩しているのであれば本末転倒だ。

もちろん、家庭や仕事を優先するのは当然であり、合唱がその後に位置づくのも理解できる。ただし、それを前提とするならば、最初から高い完成度や緊密なアンサンブルを求めること自体が無理筋である。関わり方が緩やかである以上、成果もまた相応のものにしかならない。この当たり前の前提が曖昧なまま、「本番だけは何とかする」という発想に頼る限り、状況は変わらないだろう。

合唱は、人と人との関係によって成立する表現である。だからこそ必要なのは技術以前に、どの程度の責任を引き受けるのかという合意だ。その合意がないまま続けるのであれば、それはもはやアンサンブルではなく、ただの寄せ集めに過ぎない。

現状を「仕方がない」と受け入れるのか、それとも意識を揃えるのか。いずれにせよ、中途半端なままでは、歌う側が消耗するだけである。
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